【波動解説】ちょっと違う!気の強さと我の強さ②

昨日の話の続きです。

↓昨日の話↓

【波動解説】ちょっと違う!気の強さと我の強さ①

2021年12月16日

 

エゴは△の世界、真我は〇の世界

昨日のお話では、「気」には「1.今にない心=エゴ」の気と、「2.今に在る心=真我」の気の二種類があるとお伝えしたところで終わりましたので、その続きを今日は書いていきます。

この2つの気の違いは、食物連鎖で違いを表現することができますので、食物連鎖で比べて見ましょう。

まず、「1.今にない心=エゴ」の気が作り出す世界観は、西洋人が考える食物連鎖であり、ヒエラルキー思考であり、思想です。

 

一方で、「2.今に在る心=真我」の気が作り出す世界観は、道理を主体としたこの世の事実に基づいた観念です。

※この図は「生きやすさを手に入れるための 波動とエゴの法則を書いた本」から引用したものです。そのため図の番号が間違っているように思われるかと思いますが、ご了承ください。本記事の説明としては図の番号が間違っているように映ると思いますが、それはこのためです。ご了承ください。

 

心の側面で2つの気を説明すると、内か外かの違いだけに見えるかもしれませんが、この内か外かの違いによって、生きる世界観は大きく異なります。

 

ですから、エゴが強くなると人は当然のことながら「我(個人)」を思う気持ちが強くなります。自分が頂点に行くことだけが「生き残るために必要な作業である」という考えになるため、否が応でも「我(個人)」の認識が強くなります。

一方で、真我(心が今に在る状態)が強くなると人は、自分を特別に思わなくなります自分自身も自然の一分であり、循環の中にいると感じられるようになるため、否が応でも「我(個人)」の認識が弱くなります。

 

また、真我(心が今に在る状態)が強くなると人は、気の感触に敏感になるし、もちろん気の循環も良くなります。宇宙や地球の気は「今」という瞬間にしか感じられないし、受け取れないものであるため、心が今に在ればあるほど、宇宙や地球との気による交流が盛んに行われるようになります。

一方で、エゴが強くなればなるほど、心が今から外れるようになるため(気持ちが過去や未来だけに置かれるようになるため)、気の循環が上手くできない事態に陥っていきます。気の循環が上手くできないと心は不安にさいなまれますから、より一層心が「今」から外れやすくなります。そして、不安や憎悪などがひたすら覆う悪循環が続くようになります。

↓この点について参考になりそうな記事↓

そして現在は、この2つの性質の違いに対する理解がおぼつかないため、いろいろな事が曖昧に間違ってしまって伝わっていると私は感じています。

「我から発する気」と「自然の一分となって発する気」は反比例です。

ここまで説明してきた内容でどこまで理解が伴うお伝えができたのか分かりませんが……私が「ちょっと違う!」と、タイトルにまでした理由と言うか……本題に入ります(*’ω’*)

ここまでお伝えしてきた通り、「エゴ」から醸し出される気は、我という個体からだけです。一方で「真我」から醸し出される気は、宇宙や地球の気を含んだものとなります。

当然気の性質というか強さというのは、後者(今に在る心=真我)の方が圧倒的に強いです。っていうか、我(個体)からのみ発せられている気というのは、気に見えるまやかしみたいなものです。

ですが、その違いを今を生きる私たちはあまり理解していません。

そのため気を強くすることを「我を強くする(エゴを強化する)こと」だと勘違いしている人も多くいるように見受けられますし、気が強いという言葉と「我が強い」と言う言葉が同義語のように使われているように思います。

これが私が違和感を覚える最大のポイントです。

とはいえ、現代人のほとんどは「エゴの自分」=「本当の自分」だと思って生きているので、こういう解釈になってしまうのは致し方ないとも言えるのですが、本質的な意味においてこれは間違いです。

なぜなら、「我」と「本当の気(地球や宇宙の気を含んでいるもの)」は反比例の関係にあるからです。

 

このような矛盾があるのに、同一のものと考えているから、定義としておかしなことがいろいろと起きており、世の中が混乱しています。

だって、我が強い人には、案外気弱な人が多いのが定説ですから。

たとえばメンタリストDaiGo君などが典型的なタイプだと思うのですが…自分の凄さを見せつけようとする人ほど、実は気弱ってこと、多くないですか?

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こういうタイプの人は、我を前面に押し出すことで気の弱さを補填しているにすぎず、また本質的に言えば「単に気の弱い人」なだけなのですが、これが明確に区別されず混同されていることに、最近の私は違和感を覚え続けているのです。

 

一方で、「腹が据わってる」と表現されるタイプの人は、性格的な我の強さはどうであれ、必ず「気が強く」なっていると思います。

というのも、「腹が据わってる」状態というのは、「今」という時間に人生を掛けている人だけに訪れる状態だからです。ですから当然のことながら、気は強くなり、普段以上のパフォーマンスができるようになります。

 

このような解釈で気の強さを見えていくと、昨日の記事の冒頭で申し上げた辞書の解釈に違和感を覚えてきませんか。

 

気が強い

強気(つよき)である。強情(ごうじょう)である。あつかましい。⇔気が弱い。

 

気が弱い

強く自分の気持を表わすことができない。また、情に負けやすい。⇔気が強い。

 

私はここまで申し上げた通り、気に対する解釈の違いから違和感を覚えていましたので、ここでお伝えさせていただきました。

 

それではまたね♪

 

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6 件のコメント

  • こんにちは!今日は寒いですね。でもこのキンと冷えた寒さが心地よくも感じています。

    波動の記事をありがとうございます。
    竹久さんもエックハルトトール さんを引用して説明されていた「ぬるいスープ」への対応を思い出します。
    お店でぬるいスープを出されたとき、気が強い人は「スープがぬるいので替えてください」と言える。気が弱い人は、我慢してそのまま飲んでしまう。我が強い人は対応に関わらず「この店はクソ!食べログにボロクソ書いたろ!」と決意する…という感じでしょうか。

    私はこのぬるいスープの話を読んでから、同じような状況では「かえてください」と言うように心がけるようになり、最近はあまり抵抗なくこうした発言ができるようになりました。ただおばちゃんパワーが炸裂してきたという説もありますが…。

    • こんばんは。

      あぁ…言われて思い出しました!
      確かにそうですね。「ぬるいスープ」と同じ話です。

      そこに我の強さと気の強さの違いがあったことに、全く気が付いてなかったです。
      教えてくださり、ありがとうございます。

      ↓エックハルトトール?と思った方のために……その話↓
      https://ameblo.jp/yuriyuriko28/entry-11989362866.html

      簡単そうに見えて、あの答えを淡々と行うには、意外と腹の据わりが必要なんですよね。
      だからこそ、気を出すことができるんですよね。
      些細なことなのですが、その些細を淡々と行い、淡々と生きるって案外練習が必要ですよね。

      何が正しいとか、悪いとか、そういう視野で生きるのではなく、互いが居心地よくなるために気張って生きたいですね。

      それではこれからも宜しくお願い致します。

  • 仰るとおりです。
    この対応の際、場合によっては「おーし、言うぞ〜、言ったれ〜、You言っちゃいなYO!」と心の中で自分を鼓舞せねばならず、まだまだ修行中であることを痛感します。

    >何が正しいとか、悪いとか、そういう視野で生きるのではなく、互いが居心地よくなるために気張って生きたいですね。

    本当にそうですね。ありがとうございます。
    ルールなども、それが正しさを強要するものか、お互い居心地よく過ごすためのものか考えて見てみると、道理にそった本質を見抜くことができ、ベストに近い形が見えてくるかも知れませんね。

    いつも素敵なお返事をありがとうございます。

    • おはようございます。

      ほんと、互いが居心地の良い感じを見つけるって、簡単そうで難しいし時間もかかるものですよね。

      でも、そういう難しい塩梅を見極めながら先人たちも修行を重ねていたはずで、だからこそ人生一生修行みたいな感覚の人たちが日本には多いんだろうと思います。

      私たちも先人たちの立派な部分を見習いながら、少しでも近づいていきたいですね。

      それではこれからも宜しくお願い致します。

  • いつも気付きのある記事をありがとうございます。

    我の強さと関連するか分からないのですが、最近気が付いた事があります。
    其れはヨガを熱心に行っている人に離婚が多いということです。
    片岡鶴太郎はヨガ離婚と言われましたし、ヨガ専門誌の表紙に「離婚」の文字を見かけた事もあります。
    知人のヨガインストラクターも何人も……。
    ヨガに熱中症するとなぜか離婚に行き着くように感じられます。ヨガそのものは良いものだと思うのですが。

    これも現代人が気の強さと我の強さを混同してしまっていることの現れでしょうか。

    • こんにちは。
      私の周りにヨガを熱心にしている人がいないので、そこら辺の感覚は分かりませんが、以前凄腕の整体師から、「ヨガインストラクターは実は腰痛持ちが多いが、必ずみんなその事実を隠してる」と聞いたことがあります。
      その時、やっぱり過ぎたるは猶及ばざるが如しなんだなぁと思いました。
      それと同じで、ヨガの世界ばかりが正しくなっていくと、調和が不調和になっていくこともあるのかなと思います。
      正しい、正しくないではなく、何事もほどほどにして、道理を重んじて生きたいですね。

      それでは今後とも宜しくお願い致します。

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