【どの時代も】一長一短だよね。

昭和より令和のが良いと思うのは、昭和を知ってるからなのかな?

 

令和の愚痴満載のドラマを観てて

1月終わりから、大好きなクドカンのドラマが始まりました。

このドラマは、タイムスリップを軸に展開していくお話で、1986年に生きてる人が突然2024年にやってきたらどうなるか、逆に2024年に生きてる人が突然1986年にタイムスリップしてしまったらどんな気持ちになるのかが軸に展開していく、SFコメディです。

このドラマを見ていると、この38年の間の進化が如実に分かって、気が付かないうちに自分もそこそこの長さの時間を生きてきたなって実感します。

火曜日の記事で、最近はスマホで何でもできるようになって便利だねぇってこと書いたんですけど、1986年当時だったら、そんなものがこの世に現れて、それを持ってみんな生活してるなんて想像すらできなかったはずですからね。

㊋進化しながら繰り返す→複雑→シンプル→複雑の循環

2024年2月6日

もちろんこの端末の登場によって世の中は格段に便利になって、時間がかかっていた作業の多くは省かれて楽になってるんですけど、一方で思考面の方向では複雑になってると(笑)

このことについてもたまたま今週の火曜日に書きましたが、こっちは一層複雑化しているように見えるんですよね。

何が正しいか分からない渦の中に入っちゃってると。

また、△の考えが強い人や土地柄に住んでいる人ほど、この渦の混乱の中にいるだろうと思います。

このドラマではテレビ局も舞台の一つになっていて、そして現場の不満がドラマの中に投入されているんですが、ここを見ている限り、テレビという組織はやっぱり強烈な△の思想の上で成り立っていて、自分も世の中もそうでなければ生きていけないという危機感があるんだなということを感じました。

それが良いとか悪いとかではなく、強烈な△の思考の上で生活せざるを得ない環境にいるのは、とにもかくにも居心地が悪いんだなということが嫌という程伝わってきます。

私個人は、既にそういう生活から離れているので、今の時代のデメリットを感じる瞬間はほとんどなく、メリットだらけだなと思うのですが、生活する立ち位置&環境の違いによって、人それぞれ思う事は違うのだなぁということを、この番組を通して学ばせて頂いています。

でもメリットの方が多いと思えるのも、結局比較論に過ぎないです。

それに私の場合、20代の頃から一人で会社を任せられていたという稀有な経験があるため、現代のように一人で何でも投資なしにできる環境がとにかくありがたいとしか思えないんですよ。

たとえば今は、Googleフォームを使えば、簡単にアンケートを作れるし、アンケートもSNSで送ればすぐ回答が来る上に、集計も自動なんですよ。

そしてGoogleが勝手に集計してくれたのを、エクセルに移してそしてピボット使えば、ほんの数時間で報告書まで作成できちゃうんですよ。

すごくないですか?

少なくとも私が20代の頃は、調査は最短で考えても1週間くらいかかるのが普通で、人員もお金もそれなりに必要でした。

だけど現代は、無料な上にポッチっと簡単にできちゃう。そんな有難みのメリットのが私には大きいんだと思います。

だから、昭和と比べたらこっちのが断然いいじゃんって私は思っちゃうんだけど、思想面を考えたり、△の環境に拘ってしまうと、そうとは思えないのでしょう。

とか言いつつ私も……昭和の空気感があるお店とかいくと、この上のない安堵感を得たりするんだけどね。

だから全て今の時代のが良いとは言えないし、一方で昔の方が良いとも言えない。

つまり、時代も一長一短。

その上どうあがいても時代は変わるものだし、現状△の時代は終わることは決定事項。

それを抗ったり、しがみついたり、執着しても意味がない。

こういう道理を理解した上で、それぞれの時代に対して有難みをもって生きていきたいものですね。

 

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2 件のコメント

  • 初めてコメントします‼
    どの時代も一長一短に納得です。

    こちらの記事を読んで思い出したのですが、最近都市伝説やスピリチュアル界隈で「縄文時代」が流行っているようですが、竹久さん的にこの現象はどのように解釈しているか気になります。

    ペンキ画家SHOGENさんの、「タンザニアのブンジュ村の村長から聞いた縄文の教え」は特に流行っている印象です。個人的には設定が甘くでツッコミどころ満載ではあるのですが、世の中的に「縄文の精神を取り戻そう」的な事を言っている人が増えているのは、何かあるのでしょうか⁉

    • おはようございます。
      日本の古代縄文時代は、世界的に見てかなり異質な時代で、何万年にも渡り殺戮された痕跡がなく、平等な社会が築かれていたと言われています。
      考古学の見地からここら辺のことを提唱する人が増えた結果、縄文イズムが脚光を浴びることになっていると思うのですが、近現代史や現状の二元論、さらに△の社会構造の本質的な部分が分からないままに縄文に走っても意味がないどころか、かつてHappyさんが壱峻島で縄文祭というイベントをやった時のように、変な形の流布が増えるだけだろうなとも思ってます。

      ただ、縄文の考えは圧倒的に〇であろうと私も思うので、△の時代が終わりを告げる時代に脚光を浴びるのは必然だろうと思っています。

      それではこれからも宜しくお願い致します。

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