スピ系教祖様に引っ付いて、アセンションを夢見てた人は未だアセンションすら手ごたえはないはずでwww
しかも、教祖が言っていた真逆の現実に首をかしげてるだろうけどwww
波動的に見たら、こうなるのは当然のお話なんです。
△が壊れて〇に以降してるんだから、動乱になるわな…。
スピ系教祖様たちが言うアセンションを真に受けている人ほど、現状について混乱しているだろうなって思ってます。
だって、第三次世界大戦が今にも起こりそうな雰囲気ですものね。
アセンションしたら、第三次世界大戦も回避されて、愛と平和に満ちた世界になるって思い込んでいたお花畑の人多そうだもんね(笑)
っていうか、そういう扇動をやっていた教祖さまたちは一体どんな訴求をしてるんだろうね。
興味もないから調べる気しないけど、どうやって取り繕ってるのかだけは気になるわ(笑)
こちらでは、ずっと一般的に言われているアセンションとは真逆の事象が起きると伝え続けて来たから、読者の方で混乱している人は少ないと思うけど……
日に日にいろんな事が変わってしまって、何を信じたら良いのか分からないって気持ちになってる人は、少なくないんじゃないかな思ってます。
そんな気持ちになっている人に、お伝えできることはこれ↓
一番良いのは、何も信じず、コツコツと普通に生きること、それだけだと思います。
そうすることがピラミッド型社会を作っていた波動を乖離させていくから。そして〇の世界の醸成に繋がっていくから。
ただ、全世界的に△で統一された世界観が壊れて、道理に基づいた〇に戻っていくのは簡単に行くはずもなく、それゆえどうしようもなく動乱は起きるものであり、
さらに言えば、これまで信じていたものが壊れていくことになるから、より一層世の中は不安定になってしまうのは避けられないでしょう。
私は以前より、アセンションで起きることは幕末からの動乱及び明治維新に似ているはずとお伝えしてるのですが↓
それに合わせて考えると、動乱が始まり落ち着くにはだいたい四半世紀くらい見て置く必要があるのかなと思ってます。
ひょっとしたらもっと早く落ち着くかもしれないけれど、とりあえず四半世紀くらいの余裕を持って見て置く必要があるかなと思ってます。
地球が、道理に即した〇の世界に戻るために具体的に動乱の時期に入ったのが2017年からとすると、今はまだ5年目。
ちなみに江戸の幕末をペリーの来航(1853年)とすると、5年後の1858年は安政の大獄です。
この先まだまだ混乱は続きます。
それと同じように私たちの社会も当面混乱が続くはずですが、そういうものだと割り切って淡々と生きていきましょう。
混乱の理由は、幻想の社会が崩壊し、道理に基づいた社会に戻ろうとしているため起きていると分かれば、そんなに不安になる必要はありません。
とにもかくにも自分自身も道理に合わせて生きていくように心がけましょう。
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アセンションビジネス、まだあるんですね(笑)
扇動してきた方を見ていると、「●月までに××しないと大変なことになります!」「次元上昇できる人とできない人」とか「土の時代最後の断末魔」みたいな人が多いように感じます。
アセンションしているはずなのに、煽るんだ・・・・みたいな。
激動の時ほど変わらない確かなものや言葉を求めがちですが、変わって行く前提で日々を淡々と過ごすことが、一番安定して過ごすことができるのではないかな?と思います。
ゆりこさんのおっしゃるとおり、道理に合わせて生きていくのがベストですね^^
おはようございます。
お返事とっても遅くなってしまいごめんなさい。
まぁ、人を恐怖に陥れるのが稼ぎの軸にあるのが教祖様ですからね。
辻褄の合わないことを、きっと今も言い続けてるんでしょうね。
時代の常識は常に変わるけど、私たち人間のしくみのほとんどは不変であるので、その不変の部分を理解して、人間らしく健康に生きるのが一番ですよね。
それではこれからも宜しくお願い致します。
竹久様、今日の記事を見て感が働きました。最近小学生の息子に算数を教えていてこんな問題がありました。四角形は三角形が2つで出来ている。五角形は三つ六角形は4つで出来ていると。すると三角形を無限に加えていくと、○になるんですよね?何か、真理めいたものを感じました。集団の中の頂点を目指す三角形ではなく、それぞれ個人個人が思い描く唯一無二の三角形の頂点を目指せば、世の中が○になるんじゃあないのか?とジョジョ風に書いてみました。
おはようございます。
お返事とっても遅くなってしまいごめんなさい。
わぁぁぁ~!!!!素敵な発見ですね!!
頭の中でそのビジョンを描いた時、なんだか興奮してしまいました。
本当に仰る通りで、誰かと比べて一番になるのではなく、それぞれが自分のベストで生きればそれが循環して〇になっていきます。
だから一番大事なのは、誰かの声に従うのではなく、自分の人生を自分の責任で生きること。
そうすると自分だけでなく、周囲も変化していき、その小さな変化の積み重ねが大きな変化に繋がっていきます。
まずは自分から頑張っていきたいですね。
それではこれからも宜しくお願い致します。
自分だけ助かろうとするアセンションはない。
そんな感じですね。
おはようございます。
まさにそんな感じだと思います♪
これからも宜しくお願い致します♪
返信ありがとうございます。
神になる為には、我をとらねばなりません
「かがみ」-「が」=かみ
と古事記で天照皇大神さまがご神勅をいただいてますからね。
そうですね。
そして石は意志とも。
我を抜き意志を持つことで、近づくことがようやくできるのだと思います。
それではこれからも宜しくお願い致します。
鏡とは、行動に対する結果と言えるかもしれません。自分自身の反応や、他者の反応、そして、その反応の反応と、まさに、波紋のように世界に広がっていきます。これも波動なのでしょう。
神道では、八咫の鏡、辺津鏡、沖津鏡と言った神器がありますが、そこは日本語で音そのものに意味があり、受けてレベルに合わせて引き出しがかわります。
こんばんは。
仰る通り、人の言動は必ず波紋のように広がります。
穏やかな波紋もあれば、荒々しい波紋もあります。
気を付けていきたいですよね。
外国人も日本語を話しているうちに性格が穏やかになると言われているし、一方で日本人も外国語を喋っていると攻撃的になると言われています。
音に合わせた波動に身を包むようになるのでしょうね。
それではこれからも宜しくお願い致します。
竹久様、ファル様、横からすみません!我を抜いたら神と言う言葉、最近思う事あったので書きます。三面鏡など覗きにこむと、自分の姿が無限に映しだされて、子供のころ不思議な気持ちになりました。神とは鏡に映し出された本体以外に無限に存在する写身の部分ではないか?と思うに至りました。八咫の鏡は二枚でひとくみと聞いてますし。
こんにちは。
私もその遊びよくやってましたよ。
なんだか怖かったけど、面白かったです。
私たちは神ではないですが、分け御霊ってそういうことかもしれませんね。
私たちは神の気持ちをかすかに感じられたとしても、神になることはありません。
我を無くすことによって、ほんの少し分かることができるようになるだけのこと。
自分を神と勘違いすると、「自分自神」みたいなおかしなことになるので気を付けた方が良いかなと私は思いました。
それではこれからも宜しくお願い致します。