昨日の話の続きです。
↓昨日の話↓
信じると参考にするの大きな違いはどこに?
昨日の記事で、「信じると参考にすることは違うよ」というお話しをした後に、「この違いはカーナビ(GPS)と地図の違いに似ているな」と思ったので、今日はカーナビと地図を例題にしながら、改めてお話していきます。
私は信じる行為とカーナビ(GPS)は似ているなと、昨晩閃きましたので、どんな風に似ていると思ったのか、まずは説明していきますね。
カーナビは目的地をセットしたら、後は何も考えることなく指示に従っていれば目的地に連れて行ってくれます。
考える必要もなく、道を覚える必要もなく、スピーディーに目的地に連れて行ってくれるのは便利ですよね。
これが「信じる行為に似ているな」と私は感じたんです。
誰かを信じる時も、考える必要もなく従っていさえすれば、目的地に連れて行ってくれる気がすることが似ているなと思ったんです。
誰かに従って上手くいくのなら、そりゃ楽でいいですよね。
ただ、これには大きな落とし穴があります。
改めてカーナビを例題にして考えてみましょう。
さて大きな落とし穴とはなんでしょうか。
大きな落とし穴…それは、カーナビに狂いがあった時に起こるあれやこれやです。
たとえばカーナビが狂えば、目的地だと思っていた場所は全く違う場所になって当然でしょう。
つまり、カーナビが狂った場合、目的地に辿り着けないことが第一の大問題!
そして、このような状況に陥った時のさらなる大問題はまだありまして、それは「どこで間違えたのかが分からない」ことと「どう歩んでここに辿り着いたのかも分からない」ということです。
つまり、カーナビなしには帰り道すら分からないことになります。
「自分で考えなくてよい」ということは一見楽で便利ですが、頼りにしていたものが無くなった瞬間に路頭に迷うことを意味します。
また何事においても信じていたものが狂いだす可能性は否定できません。ただただ付き従えば、一緒に道に迷うことにもなります。
ですから、そのリスクをふまえた上で便利なものは使わないと危険ですよね。
もちろん「信じる」という行為に依存した場合は、同様のリスクを伴うものだと言う事を予め理解しておきましょう。
一方で地図の場合。この行為とカーナビの違いを考えてみましょう。
地図の場合はまず自分がどこにいるか、自分で考え把握する必要があります。
そして、そこからどういう道のりを使って目的地に辿り着けるかを自分で考える必要もあります。
地図を手がかりに行動をするものの、考えて動くのは全て自分です。
ですから、どの道を使いどこで曲がって目的地に向かっているのかを自分で把握し続けることになります。
ただし、地図を使って歩む場合は、カーナビのように最短コースではなく、遠回りの道のりになる場合ももちろんありますし、うっかり道を間違えてしまうことも多々あることでしょう。
しかし、道を間違えたとしても、自分で考え歩んでいる時は振り返ることができます。
「どうも間違えたなぁ」と思った時に、どこで間違えたのか、どこまで戻るべきかということを、自分の頭で考えることができます。
そこが大きな違いです。
地図を使って行動するのは、カーナビと比べてとても不便で面倒ですが、いちいち考えなくては歩めない状況が路頭に迷うことを回避する手段に繋がります。
またこれが昨日お話ししていた「参考にする」ということの例題です。
考える軸は常に自分にあることが、生きることにおいて何より大事なことであり、情報社会の波の中で生きるためにもとても必要なことなんです。
ここから本題と言える部分に入りますが…今日も記事が長くなったのでページ分けます。
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非常に良い例えだと思いました。
アナログとデジタルとも言えると思いますが、
ここで昔は良かったではなく、現状を自分に落とし込んで
しっかり考える事が大事ですね。
タイムリーな所で、地震がありましたが、自然地震か人工地震かに囚われず、起きた事象に向き合う事が大切だと思いました。
それで自分に出来ることは何か?もしかしたら
困ってる人を助けられるかも知れないなど、出来る事は
身近にあるのに気づくのも大切ですね。
こんにちは。
世の中が便利になった分、自分のことを考える時間が与えられたはずなのに、考えることを忘れてしまったらもともこもないですよね。
先人たちが未来に残してくれた恩恵を有難く受け容れながら、しっかり考えていきたいですね。
それではこれからも宜しくお願い致します。