この世に未来があるとするのならば、未来の教科書には「第三次世界大戦は2020年から始まりました」って書かれるんじゃないのかしら。
平和・平時だと思うと、いろいろ読み違えると思う。
武漢ウイルス騒動が始まってからずっと私は「有事だ!有事だ!」って言い続けてるけど、
※関連記事沢山置いときます。
どうも一般的な世の中にはその真意は広がっていないようで、有事ではなく「新しい生活様式」の世界が始まっただけだと捉えている人が圧倒的多数のよう。
だからもちろん、今自分たちが戦争の当事者になっているという自覚はないし、意識もない。
戦火の足音が近づくどころか、目の前で戦争が繰り広げられていることにも気が付かない。
私は、今起きている全てのこと(武漢ウイルス問題、ワクチン問題、報道の方向性、アメリカ大統領選、中国の行動、ミャンマーやアフガニスタンのこと、中国に度重なる異常気象など)は、全て戦争に関連していると思っている。
また、全てが戦争、超限戦の最中であると思い見ていくと、一つ一つの細かいことにおいて正しさを探すのはとかくナンセンスに見える。
だって、戦争を仕掛ける人の理論って、私たちが基本で身に着けている常識とは逸脱するのだから。
そもそも次元が違う考えがある中で引き起こされているはずのことなのに、私たちが普段身に着けている常識で「何が正しい」を論議するなんて無駄だと思うから。
でも、自分たちがそういう中に置かれていると気が付かなければ、今まで通りの常識の中から正解を見つけようとしちゃうし、善悪もつけちゃうものだと思う。
それは誰にとっても当たり前の行動だと思うけど、本来次元の違う考え方を自分の分かる範囲の中で解釈することは、波動的には同期に値する。
これは戦禍を広げることに繋がるから避けたいけれども、去年から今日まで、結局これが横行しているのが今の日本。
まぁ日本だけでなく、世界中って言うべきかな。
だからこそ、もしこの世に未来があるのなら、未来の教科書には「第三次世界大戦は2020年から始まりました」って書かれるんじゃないかと私は思ってる。
戦争だと気づいて見るのか、見ないのかで未来も変わるよ
それから、今が戦時であることにどれだけの人が気が付けるかどうかで、この状況の継続時間は変わると思うのだけど……そして、このような時間が後どれくらい続くかは分からないけれど、それでもいずれ終わる時が来る。
そして、その時が来た時に多くの民が「今が戦争だった」ことにようやく気が付くのだろうと思うけれども、そうしたらそうしたで、きっと伊丹万作が憂いだ時と同じようなことが日本で繰り広げらるのだろうなと思ってる……。
↓ぜひ読んでね↓
でも…このブログを読んでくれている皆様は、そこ(伊丹万作が危惧した道)は避けて通ってほしいなと思ってます。
だから書いています。
また、避けて通るために必要なことはただ一つ
「だまされた」なんて思わないこと。
それだけです。
今一度伊丹さんの文章を一部引用するね。
伊丹さんは戦時が終了し、こう言っています。
我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された(終戦を受けて)。
しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
だから、だまされたなんて思うことのない生き方をしてほしいと思ってます。
みんなが戦時を自覚すれば、きっと違うだろうけど…。
はっきり言って私は、今政府やメディアが行っているあれやこれやの多くは間違っていると思っています。
ただ、現在があまりに大きな非常事態の最中なので、それも仕方がないことだとも思っています。
というより、間違った方向性を選んでいるのは国民世論でもありますから、政府のせいだけにはできません。
まぁ厳密に言えば…国民世論というより、「メディアが作り出したメディアにとって都合の良い空気」に政府が流され、そこに国民が付き合わされているとも言えるでしょうが、メディアの誘導に熱狂している国民が多数いることも事実であり、その事実があるからこそ政府がそこに付き合わざるを得ないという事情もあるように見えます。
またこのような体制は民主主義国家だからこそ起こりうることですから、自分が納得できない状況であっても、また結果になったとしても、その責任は国民全員で受け入れるべきだと思います。
しかしながら、何かにつけ「信じる」という気持ちで行動していた人ほど、期待を裏切られたような反動が大きく伊丹万作さんが危惧したような行動につながりやすいです。
このブログを読んでいる皆様は、どうかそうはならないようにお気をつけ頂き、世の中を俯瞰し、同期することなきようお気をつけ頂ければと思います。
オリンピック終了直後から激しくなった不安の揺れの中で、同期せず生活するのは本当に大変なことだと思いますが、どうぞ心を凪で整え、広い目をもって世の中を見守っていきましょう。
動揺してもしなくても、そのうち揺れは収まります。
どうせなら動揺せず、同期せず、凪の状態で揺れが収まるのを待ちましょう。
それではまたね♪
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いつも楽しく拝見しています。まさに超限戦の真っ只中だと思います。
現代の世の中、総べての人々に突き付けられている課題は「自分の頭で考え、判断をし、その責任は自らが背負う」という事ではないかと思っております。武漢ウィルスの件などは、まさにそれで・・。
そしてそれは、自らの命の行く末の選択であり・・。世の中の大転換気付いていない人の多いこと・・。
ですが覚醒していく人々も増えているので、希望はあるな!と思います。
やれる事を腐らず、地道にやって行こうと思います。
おはようございます。
このブログを読んでくださっている皆さんは、割合皆さん冷静で俯瞰して物事を見つめられ、尚且つ選択に対する責任も帯同されているなと感じているのですが、一般的な世の中は、かなり揺れているなぁと思ったので、改めてこういう記事を書きました。
お互いできることの中から地道にコツコツやって毎日を生きていきましょう。
力強いコメントありがとうございます。
これからもどうぞ宜しくお願いいたします。
信じるというのは思考を放棄する事だ と、とある作家が呟いていたのをふと思い出しました
15年以上まともにテレビを見ていませんが、SNSで嫌でもメディアの話題が流れてくるのでその範囲で見る限りでは、ここ最近メディアが今度は「五類にせよ」「イベルメクチンを承認せよ」と、ちらほら言い始めた所ですかね…
まるで戦時中末期に反戦を叫び始めたかの様に
※イベルメクチンについては論文に捏造が発覚し取り下げられたとも聞きますので、正式に新たな研究結果が出るまではなるべく触れないでいます
メディアはこの混乱を鎮めたいのではなく、懐事情が吹雪き始め副業の不動産商売とイベント商売で赤字を相殺したいからインフルと同じ扱いにしやがれっていうのが本音で、今後この煽りは勢いを増すだろうなぁ~と、静観しています
自粛煽りをした自業自得なのに勝手だなぁ、と思いますが、時既に遅しというか、焼け石に水な気もします
五輪後にメディアの不安煽りの駄々っ子が酷くなったのも、「オリンピックが終わったから加速する~」の記事でありました、リスカブスがもっと酷くなるそのものであり、今まさにリアルタイムで繰り広げられてるなとつくづく実感します
メディアに基本懐疑的であり、自分の出来る範囲で淡々と日常を送っている人も身の回りに結構居ますが、
ふとSNSのクラスタ(特定の話題や属性でつるむ集団のようなもの)を変えると、現状を過剰に捉えて世間に呪詛を垂れ流すところもあれば、我こそが正しいと議論や〇〇警察的な態度で対立する生臭いところもあったりで、パラレルワールドが幾つもあるなと思います
おはようございます。
私がこの記事で言いたかったことは、コメントの末尾に書かれていることそのままで、ふとした瞬間から足を掬われたかのように、二元論の縮図の中に納まってしまう人が多数見受けられることについて危惧したものでした。
一旦その中に入ると、抜けるのは険しく波動も著しく低下することになるので、お互い気を付けて気を引き締めていきましょう。
それではどうぞこれからも宜しくお願い致します。
本来次元の違う考え方を自分の分かる範囲の中で解釈することは、波動的には同期に値する」
分かっているつもりでも、つい目の前の現実を自分が今持っている定義で解釈して、そこから正解を決めて行動してしまいます。(明治維新後日本はずっとそれを繰り返してきたのかも。)
状況が刻一刻と変化していく中で自分の正義を実現しようとすることは、あまり好ましくない結果を引き起こすと昨日の大河ドラマ「青天を突け」でも描かれていたように感じます。
二元論の罠にすぐ引っかかってしまいますが、日常を気をつけて過ごそうと改めて思いました。
こんばんは。
推察された通り、日本は明治の世からずっと、この落とし穴にひっかり続けています。
というのも、日本的な考え方は、世界広しと言えど日本唯一のものであり、他にはない文化と道徳観念だからです。
でも、私たちはそれが稀有なことだとは気が付けません。
それゆえ、何もかも私たちの範疇に落とし込んで考えると、だいたい彼らの術中に嵌ることになってしまいます。
ですからその次元の違い(〇と△の世界の違い)を常に把握した上で俯瞰し、さらにその上で道理に基づいて生きることが必要なのですが…、これは想像以上に困難を極める作業の繰り返しになります。
でも、気が付いた人がその地道な作業をコツコツしてくださることによって、社会は微力ながら大きく変化していくと思っています。
私たちに与えられている今は困難ですが、過去に生きた人たちが、後世の私たちのことを思い真摯に生きてくださった背中を見習い、私たちも困難から逃げず、実直に受け止めながらもさらりと流して、後世へ日本らしい世界を残していきたいですね。
それではこれからも宜しくお願い致します。
戦時中ですよね…うち田舎なので過去の戦時中の疎開地域ってこんな感じだったのかなって感じです。でも感染者が近場でも出てきてて、そろそろあやしくなってきた〜
もうなにも信じられない。って感じですよね。たまたまですがプライベートでもそういう心境になって
なにを信じるかではなくて、今なにができるか。可能な範囲でなにをしたいか。が大事かなとなりました。
騙されないためにはなにも信じず、なににも乗らず、置かれた状況の中で今やれることをするしかないのかなと。
難しいですね。個人戦って感じですね。
こんばんは。
仰る通り、今の世の中で一番危険なのは「なにも信じれない」って気持ちに多くの人が陥り、不信が跋扈するゆえに余計な問題を増やし、問題解決から遠のくことです。
ですが、この不信はおお気づきの通り、何かに依存することから始まります。
ですから、そこをそれぞれが断ち切り、道理に基づいた上での自立及びそれによって作り出される和(輪)をそれぞれが模索することにより、この不協和音は軽減されます。
今までに体験したことのない社会の空気感ですが、これも貴重な経験と割り切って、お互い自分のやれることを地道にコツコツやっていきましょう。
それではこれからも宜しくお願い致します。
こんばんは。お久しぶりです。
つきみ さんへのお返事コメントで、なんというかすっきりしました。
私、今現在30代なのでワクチン摂取を非常に迷っています。
テレビを見ると、「絶対安全」の一択だし、会社では職域摂取が始まって、40代以上は打つ、一択だし、Twitterでもどんどん打つ人たちの意見一色になり、打たないという選択をするだけで反ワクチンだの、陰謀論者だの言っている人が多すぎて、Twitterも純粋に楽しめなくなりました。
迷っている、というよりは単純に怖いし不可解すぎて打ちたくありません。納得ができません。
でも、同調圧力に自分も結局押しつぶされそうになります。何を信じていいのかも分からなくなっていましたが、これに関しては自分の意見や信念に基づいて考えるのがいいのかな、と思います。
ちなみに、毎年インフルエンザワクチンは摂取しており、今年のインフルエンザワクチンももちろん摂取予定です。
早く終わって欲しいなと思いつつ、道理に沿って淡々と生きようと思います。
おはようございます。
見事に全体主義一色な雰囲気が気持ち悪いなと思って私もみています。
今急いでワクチンを打てという雰囲気が強まってますが、年内には塩野義のワクチンも出るそうですし、それに今蔓延しているのデルタ株には感染抑止力はなさそうですし……そういうことを考えると急いで打つ必要はないんじゃないのかなと私は思ってます。
ただ、流されずに自分と保ち、また自分の正義を主張せずに、周囲と調和しながら生きるって結構大変ですよね。
これも学びの時間として、成長の糧に変えていきたいですね。
それではこれからも宜しくお願い致します。