今朝の記事の追加
いつも後から驚いたりする。
今朝の記事を書いた後、どうして分からなくなっちゃったんだろ……と……そんな思いを人知れず抱き、ぼやぼやっと過去記事検索してたんだ。
そしたら、過去記事が今を当ててくれてた。
特に自分でもびびったのは、2年前のこの記事。
特にビビった部分引用しておきます。
いよいよ時が満ちたぞ。
始まる、始まるのだ。
今まで当り前だと思っていた事は、一気に終わりを告げる。
その理由は「腐る」からだ。
ダメなものでも循環が行われている限りそれは続く。
しかし、その循環が途絶えることがここまでの間に発生した。
そして、彼等はもう生きながらえないほどの負の循環に入り、そしてその循環すら断絶されることになった。
それは終わりを意味する。腐るのである。
そして、その腐敗の中から新しい芽が育つことになるであろう。
もちろん、順風満帆な道のりになることは考えがたい。
日本が、明治や昭和の時のような同じ轍を踏む可能性だってあるであろう。
だがその可能性は限りになく少ないと言えるであろう。
また民族国境関係なく、この百年この地球の民は同じ悩みを抱えてきた。
その悩みが失われた時、人はどうなるのか。楽しみである。
また同じ事を繰り返すのか、それとも互いを尊重し合い地球全体の循環を始めるのか。
それは今までの基準であったグローバルとは全くの異質のものである。
互いの所有を配慮した上で、互いの持ち場立場を理解した上で、循環を始めることができるのか、それが胆となる。
その試みが達成される前の段階で、個人主義のものは淘汰されていくことになるだろう。また我田引水な偽善者たちも同様だ。
素朴な日常に生きがいを感じられる者だけが、新しい時代の到来を喜ばしく思うであろうが、世の権力者たちは黙っておられず戦いを挑み始めるだろう。
しかし、戦う者同士たちは、いずれも過去の産物の「腐」である。
腐と腐が動乱を始めるだけのことである。
腐と腐の動乱を多くの人は眺めるだけのこととなり、その腐と腐の動乱の最中に新しい芽が出てそれが社会の主流となっていくだろう。
腐を感じることは避けられないが、腐を感じることは新しい時代の到来であると意識して、新たな時代のために、畑を耕し、種を蒔くのだ。
そしてその種から芽が出るようにその場を守るのだ。
そうすることで、自然と時代が転換していくのが分かっていくだろう。
そうだ、君たちの本当の場所は、別の場所にあるのだから。
今の常識の範疇外の場所にあるのだから。
そしてこの腐の攻防が終わった時に、その芽は力強く伸び始めることであろう。
以上である。
いつものことだけど……
言葉が降りて来た時の理解や想像は、いつも足りない。
だから、後になって自分の言葉を読み返して驚くことがある。
だけど、言葉はいつだって流れてく。
だから、覚えていない。
そして、読み返して驚く。
そんなことが時折ある。
今の時間は、どうしようもないほど腐を感じている。
腐だらけの中で、方向性など見えるはずもない。
だけど、この腐の感触こそが、今感じている腐の感触こそが新しい時代の到来だと、2年前の私は言ってたんだな。っていうか2年前記事読むと…当時の理解が如何に浅いのか、視野が狭いのかよく分かる(笑)
まだまだこの腐の感触は続くんだろうけど、もっともっと激しい腐を見ざるを得ないんだろうけど、それは新しい時代の到来を意味するものであることを理解し直して、今を生きようと思った。
古い記事見直すと、新しい発見があるものだね。
ではまたね♪
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