【道理】人間は斑があるものなんです。

人間は斑(むら)があるのが当たり前なのに、私たちって結構な具合で、それって許せないですよね。

変な話ですよね。

分かっちゃいるけど……。

人生楽ありゃ苦もあるさ。

そう、人生なんて、良い時もあれば悪い時もある。

楽あれば苦あり。

 

そんなの当たり前のことだし、

日々を切り取ってみても、晴れの日もあれば雨の日もある。

楽しい日もあれば、寂しい日もある。

何でも上手くいく日もあれば、ことごとく予想外の事が起きて悩まされる日もある。

 

そんなの当たり前のことだし、そういう外界的な要素によって、自分の気分に斑が生じるのも当たり前っちゃー当たり前のことなはずなんだけど、

 

こと現代人は、これを嫌い易いし、これに落ち込み易いよなぁと、自分自身を振り返ってみて思うことが多い。

 

気分の落ち込み云々は受け入れたとしても、昨日と同じようにできないことがあると、そこにやたら落ち込みやすいのではと、思ってる。

とかいいつつ、現代以外の人がこの部分についてどう思ってたかなんて、ぶっちゃけ分からないんだけど……

現代人のがきっと、この部分については落ち込み易いんじゃないのかなと。

既に気分が乗らなくて普段通りに上手くいかない状態になっているのに、そこに輪をかけて自分自身で自分を責め立てる気持ちが強く出やすいんじゃないのかなと。

 

ちなみに、沖縄の人ってそこら辺について、内地の人と比べてやたら穏やかなんだよね。

なんくるないさーで、

そんな日もあるでしょ、気にしないって感じで、穏やかにやり過ごしてく。

 

そっちのが人間の道理としては自然なはずで、そうでありたいと思うのに、気が付くと自ら「画一」という枠組みに入ろうとするし、入れない自分を責めてしまう。

冷静になれば自らダブルパンチする必要などないように思うんだけど、これが現代人の特性なのかなって思う。

 

私たちは、自由になりたいだの、多様性な社会でありたいとか言い張ってるけど、

その前に、自分自身の中にある斑を許せるようになるのが先なんだろうね。

 

それができないままに多様性を求めるからこそ、多様性と言う名の全体主義が横行することになってるんだろうね。

そもそも、自分自身の生活の中においての、自分自身のバイオリズムだったり斑を許容できていない事が多いもんね。

だからこそ、そうなっちゃうけど、これってものすごい客観視で俯瞰して見たら、この行為って自ら望んでロボットになろうとしているってことになるのかなぁなんて、思ってゾッとしてる。

自らロボットになることを望みながら、ロボットの自分に気が付いて自由を求めて、でもやっぱり生活習慣でロボットを求める。

そんな無駄なスパイラルを私たちは繰り返しているのではなかろうか。

そんな風に思ったりするこの頃。

皆さんはどう思いますか?

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