おはようございます。
火曜日は「変わる、終わる、始まる」です。
この「変わる、終わる、始まる」では、社会全体のトレンド(流行や趨勢・すうせい)に関する情報をお届けしています。
時代によって、インフラが変わり、またこの変化によって人の興味も変わります。
激動の時代と呼ばれる昨今の中で、立ち止まって全体を俯瞰できる情報をお届けしていきたいと思ってます。
また「変わる、終わる、始まる」も月曜日の「今日から使えるマーケティング講座」と同様、お仕事で利用して頂けたら嬉しいなと思っていますので、こちらも朝7時に更新していきます。
こちらも朝のお供として、是非活用してくださいませ♪
現代への転機は、明治維新です。
武漢ウイルス騒動によって、当たり前の毎日が封鎖され不安に苛まれている人も多いだろうと思います。
ただしは私は「私が思っていた方向に時代が動いている」という感覚が強まっており、想定外でありつつも推測通りという感覚を深めています。
こちらの記事↑でも書かせて頂いた通り、「元々立ち止まることが必要だったのに、それが人間だけの力ではできなかった。できなかったからこそ神が力を貸してくれているのでは?」と思いながらこの事態を見つめています。
また、私たちが今思い出すべきことは、明治時代の祖先たちの本音だと思います。
祖先たちは西欧に合わせ西欧に舵を切ったのですが…それは「日本が日本であり続けるための苦肉の策」だと、私は思っています。
西洋の文化が日本よりも優れていたから西欧に合わせたのではなく、日本が日本であり続けるための防衛策だったのだろうと今は思ってます。
確かに西洋の技術は日本を凌駕するほどの物を持ち合わせていましたが、もしそこに歴然とした差異が存在したのならば、日本は黒船を見た数年後に蒸気船を作ることなどできぬでしょう。
↓黒船エピソードはこの記事で↓
また日本は、明治の開国から数十年で、西欧と肩を並べる列強国になることもできなかったと思います。
ですが日本はあっという間に西洋に追いつき肩を並べました。
ここから「西欧にひれ伏すつもりではなかった先人たちの思い」が見えてきます。
先人たちは西欧と同じルールと同じやり方を模倣しながらも、それよりも良いものが我が国では作れるという確信があったのだと思います。
だからこそ、同じ土俵に上がり、その上で列強国に名を連ね、そして日本を強く平和な国にしていこうと考え実践したのだろうなぁと、私は思ってますが、今はすっかりその本質が忘れ去られていますよね。
そして敗戦した影響もあり「日本が悪くて世界が正しい」という考えも強めた結果、民族性を度外視した海外模倣を繰り返しより一層本質が忘れ去られていると言えるでしょう。
そもそも日本の良い所と海外の良い所には違いがあり、その違いをきちんと見極めて流入しなければ社会は混乱します。
明治維新に生きた偉人・西郷隆盛はこんな言葉を残しています。
広く諸外国の制度を取り入れ、文明開化をめざして進もうと思うならば、まず我が国の本体をよくわきまえ、道徳心を高めることに努め、そのうえで、徐々に外国の長所を取り入れるべきである。
ただみだりに模倣すると、国体は衰え、徳も廃れて、救いようがなくなってしまい、結局は外国の支配を受けるようなってしまうのである。
西郷隆盛の危惧は大いに辺り、結果として日本は海外からの精神的支配下に置かれるようになってしまいました。また第二次世界大戦で敗戦国となってからは、「日本の考えは全て間違っていた」という認識も表に立つようになり、民族として骨抜きにされるようになってしまいました。
ですが、ようやく時代は「西欧に従順だった日本という立ち位置」を手放せと言わんばかりの事が続いています。
今は△から〇に戻るための卒業試験であり、卒業証書をもらう時期。
戦後日本の義務教育は、日本が古から紡いできた国家感を排除しました。そのため「国家とは何か?」ということが分からないまま大人となり、デラシネ状態で生きている人が沢山います。
その上「日本の考えは間違っていて、海外の考え方が正しい」と刷り込まれるのですから、余計に混乱したままの思いを抱えてしまっている人は沢山おられることでしょう。
そのような思いに駆られている人ほど「明日の日本が不安だ!」と騒ぐ気持ちが止められないのだろうと思いますが、私はようやく「△の時代が終わる時が来た!」という思いが日に日に強くなっています。
↓△と〇の違いについて書いた記事↓
明治人が望んだ未来のスタートはここから!
明治の人たちが望んだ世界のあり方は、日本と同じ〇の循環型であったことでしょう。
しかしながら、世界の先進国はどこもそんな考え方で運用されておらず、日本が〇の循環型で挑もうとしたのなら、民族・国もろとも消えてなくなる運命しか考えられなかったと思います。
だからこそ、祖先たちは一旦△に馴染んでそこから〇の世界に変えていこうという希望を持ったのではなかろうかと、私は感じています。
どこまで自覚があったのかは分からないし、ほとんどの人は無自覚であったであろうとは思いますが「そうだったはずだ!」と、私個人は思っています。
しかしながらその希望であり野望は、この152年の月日の間ですっかり忘れさられ消え失せそうでしたが、今時代がそれを後押ししてくれているように思います。
そしてこの卒業試験であり、卒業証書を受け取るために私たちが目を開く部分は「何が明治から始まったことであるのか」という線引きでしょう。
たとえば集団教育である現在の義務教育の形は、明治期から始まりました。
それから、家庭と社会の断絶が始まったのも明治期からです。
さらに、都市部への一極集中も明治期から始まったことです。
まだまだ他にもあって、父性社会(男性優位意識)も明治期から始まったことです。
こういった西洋に合わせるために明治期から始まったものは、見直しと体制変更が必要になるでしょうし、体制変更をしていくことで、卒業試験を合格し、卒業証書が渡されるのではないのかなと思っています。
ちなみに明治期から始まったものとしては、戸籍や中央集権がありますが、この2つはまだ手放してはならないと思います。
なぜなら、この2つを手放すことによって、海外国籍の人たちによる支配が始まる恐れがあるからです。ですから、明治から始まった物事を全て手放したり改革するのではなく、役目を終えたものは終えたものとして新たな時代を創る必要性があるのではないかなと、私は思っています。
ということで、今日のお話は以上です。
それから「変わる、終わる、始まる」の過去記事が読みたい場合は、TOPの「曜日企画」→「㊋変わる、終わる、始まる」を押して下さい。
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それでは今日も張り切って働きましょう♪
ゆりさん、こんにちは。
卒業試験。そういう考え方もありますね。
目の前の混乱に右往左往して終わるのではなきな、卒業した後に広がる世界について考えておく必要があるのかもしれませんね、先人たちの遺してくれた様々な財産と照らし合わせながら。
別記事についてもこちらに書かせて頂くなら、地上波を停波した方が世間のパニックは収まると私も思っています。
ところで以前、コメントの返信に頂いていた4月のオンライン講座の無料版というのは、そのうちこちらで告知があるのでしょうか?
こんにちは!
先人たちが残してくれた足跡の上に今がある感謝をしながらも、時代と供に不要になるものを取捨選択する必要がありますよね。
それができるといいですよね。
それからオンライン講座(無料講座)は今週末から応募を開始する予定です。
少々お待ちくださいませ。
それではこれからも宜しくお願い致します☆