おはようございます。
火曜日は「変わる、終わる、始まる」です。
この「変わる、終わる、始まる」では、社会全体のトレンド(流行や趨勢・すうせい)に関する情報をお届けしています。
時代によって、インフラが変わり、またこの変化によって人の興味も変わります。
激動の時代と呼ばれる昨今の中で、立ち止まって全体を俯瞰できる情報をお届けしようと更新しています。
是非活用してくださいませ♪
全ては一律ではないと気が付いた社会の変化は実は早い!
戦後世代のほとんどは、時間は一律だと思わされて生きてきました。
それは急激に発達したマスメディアの影響が大きいでしょう。
というのも、戦前から含めて最近まで情報と言うのは「その時間・タイミング」に人が合わせなければ得られないことが大半でしたから。そしてテレビの発達がその空気感を強化させていましたから。
この影響下によって人は時間は一律だと思い込まされるようになって今いました。
そして時間を牛耳られる影響力を持つ者(主にメディアや権力者)が天下を納めることができていました。
しかしながら21世紀に入り時間の捉え方は急激に変容しています。
たとえば、ネットの発達によって、タイムシフトやタイムフリー機能が充実し、時間に縛られる必要のない状況が増え始めました。
そして、このインフラの発達によって、私たちを苦しめていた大きな要因の一つである「時」という要素の影響力がかすみ始めたのですが……一度かすみ始めた途端、道理に基づく形に戻ろうとする社会のスピードは異様に速いなと個人的に思っています。
発達障害も「時」を重視する思想から生まれただけのものでしょ?
たとえば、つい数年前までは日常聞かれていた「発達障害」という言葉ですが、最近この言葉も聞かなくなってきましたね。
これも時間に囚われない時代に突入した影響だと私は思っています。
というのも、今までの時代は「〇才になったら〇まるできる」とか、「〇歳になったら〇〇できなきゃいけない」とかいう…人の個性や発達を無視した大人の押し付けがすごかったでしょ。
ですが、それが起きていた事由もつきつめれば「大人が時間に縛られていたから」こそ起きた事です。
ですから、「そこ(時間)に囚われなくなれば、問題ではない」という意識に転換するものなのでしょう。
また発達障害というキーワードがあっという間にトレンドから消えていったのには、テレビ番組「博士ちゃん」の影響も多分あると思います。
↓博士ちゃん?と思ったらこれを↓
発達障害が盛んに叫ばれていたのは2010年頃からずっとですが、2019年に登場したテレビ番組「博士ちゃん」によって、ちょっと変わった子供が昨年くらいから突如キャッチ―になりました。
またこの番組が普通とは違う探求心のある子供を取り上げることによって、発達障害と勘違いされてしまっていた子供の環境も大きく変わったのではないのでしょうか。
っていうか、この番組の登場によって、何より大人の子供の見方が変わったのではないのでしょうか。
端的に言うと、「インフラ(タイムフリー)×価値観の変革」によって、発達障害というものの見方が消えたと私は思っています。(厳密には消えつつあると言った方がよいのかも?)
これは大きな時代の変化であり、時代が道理に合わせたものに変わろうとしている一つの大きな変化だと私は思っています。
そもそも違う時間軸にそれぞれいるのが道理ですし…。
そもそも私たちは同じ時間を生きているようで、誰一人として同じ時間を生きていません。
ですが、同じ時間を生きていなければ社会を保てないという不条理もこの世には存在しています。
特にこの200年くらいは、同じ時間を誰もが享受することによって劇的な文明開化を成し遂げることにはなったのですが、それは結局不自然なこと。
不自然な時代は長続きなどできません。
また一時的な不自然の後にあるのは、道理に戻そうとする力でしょう。
そこに今時代は戻っています。
ですからどうぞ皆さんもここに気が付いて、自分の時間を大事に、そしてそれと同じくらい相手の時間を大事に。別の時間を生きていると理解した上で大事にしていきましょう。
それが当たり前に分かり実践できるようになればなるほど、道理に基づいた面白い社会が花開いていきます。
既に終わった「直線の時間の時代」に縛られることなく、ゆるやかな螺旋を自分のペースで歩んで生きましょう♪
お互いにね♪
それでは来週火曜日の7時にまたお会いしましょう♪
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こちら読んで、なんだか長年の焦りがやっとなくなりました。
私たぶん超〜スロ〜ペースなんですよね。
気がついたらコロナ終わってそう。笑
スローなので時間を守るのがつらかったのだろうし
スローなのでみんなが当たり前にやっていることをしていて過労になったのだろうし
スローなので飲み会の時間に行って飲み会の間の短時間で人と仲を深めて解散〜って確かに色々早いなって思いますw
スローだから何歳までに結婚して仕事は大企業でバリバリ働くのが最高の生き方〜みたいな世界観がスピード早くて重かった
でもそれが自分のペースで
これからはそういう自分のペースで生きていい時代になったんだなぁと思ったらすごくほっとしました。
自分のスローさに一番追い詰められていたのは自分なんですよね。みんなの速度になろうとするとエンスト起こすわけですから。
精神面はすごい速度で成長したと思っていますが
物理的には自分を置き去りにみんなどんどん進んでいくので、焦りばかりが募っておりました。
でも本能では、ゆっくりじっくり熟成させた精神だからこそできることを後で発揮していくのだと分かってはいて
でも結果が出せないことで追い詰められて。という感じだったのですけど
スローでいいんだなぁとこちらよんで、じわじわと胸にしみて、涙がにじむほどほうっとしました。昨日読んで今日感動するというスローペース。笑
ありがとうございます。
新時代とその解釈に感謝です。
焦らず、今それでも生活できていることを喜んで、できることをやっていたいと思いました。
おはようございます。
私は逆でセカセカさんでした。時代の流れに着いていくのも好きでしたし、それがとても楽しい時期もありました。
ただ既存のマスメディアとネットという新メディアが融合していく2000年代は、そんな私でも時代のスピードの転換についていけなくなりました。
たとえばネットが普及していなかった時代は、写真を現像したり、資料を送ったりするための日程が数日必要となりますが、何事もデジタルに転換していくようになっていくと、そういう納品日がどんどん詰まるようになってしまい、便利になったら楽になるどころか余計に忙殺される状態が増えました。
さらに雑誌の発刊ペースが基準となっていた情報の速度も、ネットの普及によって信じられないような速度になってしまい、企画を作っている途中でトレンドが切り替わってしまうこともしばしば。辛かったなぁと、今思い出しても感じますが、あの時期(2000年代)が時間が直線に流れた時の頂点の速度だったのではないかなと思います。
ですから、時代の速度についていけている風に見えた人たちもみんな辛かったと思いますよ。
だから、今の緩い感じの時代になってホッとしている人も多いと思います。
でもそういう人はようやく定着し始めたのんびりのペースの掴み方が分かりません。
ですから、つきみさんのような人の出番ですね。
のんびりなペースを軸で持っている人がペースメーカーとなり、みんなのリズムを作っていくんだと思います。
それではこれからも宜しくお願い致します。
こんにちは。
つきみさんへの返信コメントを読んで、少し気付いたことがあるのでコメントしてみます。
コメントを読んでいて、今のマスコミの置かれている状況が、竹久さんが仰っている「企画を作っている途中でトレンドが切り替わってしまい辛かった」状況の正にそれの様な気がしました。
竹久さん自身の半生(?)がすごくマスコミ全体の状況とリンクしているように思えて、「なんか縮図だな」と一人納得してました。
ネットの普及の影響ってやっぱり凄いなと。
竹久さんは、そこから行動を起こし今に至るわけですが、マスコミは更に先鋭化してやたらめったらな行動で自ら蟻地獄を拡大しているどうにもならない愚かな行為を絶賛継続中(いつまで続けることやら…)。
マスコミ村の人達も、当時の竹久さんの様に思い通りにいかずに辛いんでしょうね(マスコミが辛かろうが知ったこっちゃないですが)。
ネットの普及で常に先端の情報を取得できても、次の瞬間には過去のものになるのでしたら、流行を追うこと自体がアホらしいですもんね。
私は「人生は一生勉強」を意識しだした頃(20年位前かな?)から少しずつ自分の至らなさや未熟さに向き合えるようになり、自分の「今やるべきこと」に集中できることが少しずつ増え、同時に過剰に周囲を意識することが段々と減り、その分醜くも等身大の自分を意識することが出来ました。
等身大の自分を意識できたことの副産物として、周りのペースが気にならなくなったのは大きかったです。
皆が知っている事でも、知らないことは知らないと恥を忍んで聞いたり調べたりするのは最初は恥ずかしさと抵抗(この感情こそが周りのペースを意識している証左)がありましたが、それ以上に自分の見識が広がっていくようで面白いと思うことの方が大きいです(たまに勝手に打ちのめされたりもします)。
一生かけてその様な気持ち(打ちのめされるのとは別に)でいられたら、この先の人生は結構素敵なものになるかなと勝手に思っています。
一生かけても解決しないものばかりの様な気もしますが、そこは解決しないのではなく「解決なんて概念が当てはまらない」ことと思えば、尚更今の自分に出来ることに集中できますし。
そうやって「身の丈が磨かれていく」のかな~なんてことも思います。
そして、各々が各々の「身の丈」を持っているということを考えれば、善悪の2言論的に物事を考えることもナンセンスですし、世の中のペースも、メディアや一部識者やインフルエンサーと言われている人達が作り出す雰囲気に惑わされず、それぞれがそれぞれにに見合ったペースを保っていけるのではないかと期待もしています。
横やりの挙句長々と持論を書いてしまい、なんかすみませんでした(^^;
こんにちは。
私はかれこれ四半世紀前から10年前まで、今で言う所の「インフルエンサー」な仕事をしていました。
当時(四半世紀前)はまだネットが発達していなかったので、マスメディアのインフラを上手く利用して口コミで商品を広げていました。
ですから、情報インフラの変革は私の仕事にとって密接克つ切実な問題でしたので、他のメディア関係者よりも早くその点に気がつけたのかもしれません。
ちなみにネットが登場する前と後では、流行の作られ方は真逆です。
それまでの時代はメディアが主導して流行を作っていましたが、ネットが登場してから徐々にメディアは受動型に転じ、今や完全に受動型になっています。
ですが、主導でブームを作ってきた幻想から抜けられない人々が沢山います。
特に報道畑ではその傾向が強いと思います。
圧倒的な成功体験ほど、過去の時代を引きずるというのは本当なのだなと思う次第です。
遅ればせながら私も、10年前からべっくはむさんと同じようなことを意識して生きるようになり、その感触に手応えを持ち合せる実感を日々広げています。
日本人の混乱は西洋思想と道理(日本人の生き方)の区別がついていないことなんだなという理解も、最近深まってきました。
気が付いた人から、本来日本人が得意な生き方にシフトすることで、後に続く人のための道を作っていきたいですね。
それではこれからも宜しくお願い致します。