㊋時代の読み違い!今は女性が踏ん張る時代!

  • おはようございます。
    火曜日は「変わる、終わる、始まる」です。

この「変わる、終わる、始まる」では、社会全体のトレンド(流行や趨勢・すうせい)に関する情報をお届けしています。

時代によって、インフラが変わり、またこの変化によって人の興味も変わります。

激動の時代と呼ばれる昨今の中で、立ち止まって全体を俯瞰できる情報をお届けしていきたいと思ってます。

また「変わる、終わる、始まる」も月曜日の「今日から使えるマーケティング講座」と同様、お仕事で利用して頂けたら嬉しいなと思っていますので、こちらも朝7時に更新していきます。

こちらも朝のお供として、是非活用してくださいませ♪

 

人はどこまで言っても解放されることなんてないんだから!

スピリチュアル的な情報を見聞きしていると、相も変わらず「女性解放の時代」という言葉をよく目にしたり、耳にしたりしますね。

こういう言葉を聞くと「そうなんだ!」と真に受けてしまう女子も大勢いるかと思いますが、これ昭和の頃からずっと言われ続けていることですよ!

今時の人は「ウーマンリブ」と言われても、それが何を意味するのかすら分からないかと思いますが、ウーマンリブとは「1960年代後半にアメリカ合衆国で起こり、その後世界的に広がった女性解放運動」の事を言います。

この流れは、一昨年トレンドとなった#MeToo運動のように、日本に流入されました。

【#MeToo】予言がまさかの斜め上過ぎてビビる!

2018年4月24日

#MeToo運動は一時的なイデオロギーのパフォーマンスに過ぎない産物としてすぐさま過去に葬られましたが、ウーマンリブは日本にフェミニズムを定着させました。

つまり女性解放とは、「今だから始まった!」とか「今時!」とか「今までになかったもの!」くらいに思ってしまうかと思いますが、そうじゃないんです。

古くから続いてる話であって、トレンドでも今時でもないものです。

また昭和の時代から続いてきた「女性解放運動」の成果で、既に女性は充分すぎるほど自由な環境を手にいれているのですが、なぜだかどんなに自由になっても人はそれに気がつかないようです。

逆に、あまりに自由になったからこそ、足場が分からなくなる事態に陥って、不必要なストレスに苛まれ不安に満ちるケースが増えているようにも思います。

人はどこまで言っても制限のある物体であることに気がつけなくなると、ゴールのない世界に迷い混み余計に苦しむことになるのかなと思ってます。

なぜなら私たちは、空気と食べ物と水と温度があって初めて生きられるものですし、また今の時代はお金が無くては生きていけません。もちろん嫌な人間関係の全てを無くして、自分にとって都合の良い形に整えられるはずもありません。

どんなに自由になりたいと思っていたとしても、一定数の制限なしに生きることなどできません。

つまり、解放されるという目的意識を強く持てば持つほど、どこまで言っても制限のある世界の中にある自分を自覚せねばいけないことになるだけなのです。

しかしながら、それに気がつけない女性は沢山おり、そういう人たちがあてのない上に途方も無い旅路を続けながら「女性はもっと解放されなきゃ!」と言い回り続けているものですから、私たち女性は、その言動に知らず知らずのうちに引っ張られてしまい、それが真実であるかのように錯覚し、そして不幸に陥ることを自らしてしまっています。

長々書きましたが……端的に申し上げますと、

女性の解放なんつーものは、もうとっくに終わっており、それがトレンドだなんて思うことこそが、流行遅れなんだよ!

つーことです。

そして、今の女性としてのトレンドはどこに向かっているのか、ここから確認しておきましょう。

 

男女の違いはなんのためにあるのか?

かれこれ2年ほど前に書いた記事の繰り返しになりますが、今は女性が踏ん張る時代だと私は思い続けてます。

↓2年前に書いた記事↓

【重要】本当の女性の役割とは?

2018年5月17日

そしてこれがトレンドであるはずだとも思ってます。

ぶっちゃけ今が踏ん張る時代というよりも、女性が誤った方向に走りすぎたからこそ、私たち自身が自制してより踏ん張らなくてはならない環境を作り上げてしまったという方が適切な気がしています。

そもそも男性と女性の役割には違いがあるということを、現代に生きる女性たちは忘れてしまいました。

男女平等という言葉にほだされて、男女ともに性別の持つ違いによる役割を放棄するようになってしまいました。

それゆえ沢山のトラブルが生まれていますが、それすら多くの人は他人事です。

自分は悪くないとついつい思ってしまうのです。

そして、その負の気持ちを払拭するためにさらに我を強める方向に張り切ってしまう傾向が多々あり、それがもっと自らを窮地に追いやっているのですが、目の前にある事象だけを観察していれば、この矛盾にはなかなか気がつけません。

元から考え直してみれば、神は男女という別の生物を作ったのか?というところから、見直していかなくては話の辻褄は整理できないのに、そこには誰も目を向けません。

ここの部分(なぜ神は男女を作ったのか)を掘り下げてくと話が延々終わらなくなるので今日の記事ではここをはしょりますが、この違いは合理性ゆえのことだろうと私は思ってます。

また古来から日本は男女の違いを受け入れ敬いあうことによって生き、それにより合理的な生活が営めるように進化してきたはずです。

しかしながら戦後の日本は、悠久の進化の過程を否定するかのように、男女が同じ者になりがたろうとしており、それによって不必要な不安と問題を増やしています。

 

※言いたい事がかなり溜まっていたようで、話が驚くほど長くなってるので記事を分けます。続きを読む人は「次のページへ」をクリックしてね♪

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