波動とか言う見えないものに興味をもってしまい、探求を今もなお重ねている私が言う事じゃないかもしれませんが……
精神世界って、どう考えたってヤバイ世界だと私は思うんです(^^;)
突然思い出した恍惚…
先ほど頂いたコメントを読んでいたら、高校時代にどうしても分からなかった恍惚のことが蘇ってしまい、その恍惚のことを思い出して改めて感じ直していたら、いろいろ書きたいなと思う気持ちに駆られてしまいまして、今記事を書き始めています。
↓ちなみに恍惚のことに関するやり取りはこちらの記事のコメント欄で↓
そして「恍惚」から始まって、この記事でタイトルにした「【精神世界】ヤバイと思ってるくらいで丁度いい!」と飛躍的な思いに至っているのか、お話しできたらなと思っています。
精神世界に恍惚を感じたらアウト!
精神世界って普通に考えて「ヤバイ世界だと誰もが思っているはずだ」と私は思ってます。
だから、波動とかいう見えないものに惹かれて一生懸命探求を続けてしまっている私ではあるけれども、この行動は「世の中的にみたらキチガイ染みている」ということは、重々理解しています。
だけれども、なぜだか分からないけれどもスピ系に嵌まる人、そして新興宗教にどっぷり嵌まってしまう人の多くって、
その「キチガイに思われて当然」という覚悟というか、実情というか、そいうものを完全に見失っていると思うのです。
さらに言えば、恍惚という言葉が相応しいというくらいの感覚に陥っている人がほとんどだと思うのです。
今さらですが、改めて恍惚の意味を確認しておきましょう↓
恍惚(こうこつ)
- 物事に心を奪われてうっとりするさま。「恍惚として聴き入る」「恍惚の境地」
- 意識がはっきりしないさま。
「将軍はすでに疲れ切っていた…精神も次第に―となるほどだった」〈藤村・夜明け前〉- 老人の、病的に頭がぼんやりしているさま。有吉佐和子著「恍惚の人」(昭和47年)により流行した。
これが、間違いのポイントだろうなと、私は思ってます。
つまり、精神世界に恍惚を感じてしまい、その恍惚が正しいと思ってしまうことこそが、私は間違いだろうなと思ってます。
精神世界はバランスが命!
精神世界(思考)があって現実世界が生まれることは、多くの人が知ることではあると思いますが、その比重のかけ方は8:2のパレートの法則と同じであってようやく循環が上手くいくものだと私は思ってます。
ですから、多くの人が違和感を感じるように、精神世界の比重が強くなったら、そりゃおかしくみえて当然なはずなんですよ。
でも一方で、現代のように精神世界をあまりに軽んじていることも、非常におかしなバランスです。
だって、良いバランスは8:2なのですから、9:1とか10:0になったら、やっぱりおかしくなってしまいます。
だからこそ現代人の多くは、そのバランスを取る場所が分からなくなっているのでしょうし、精神不安に苛まれているのでしょう。
さらにこのような現状が、スピや宗教や精神世界に依存しようとする行動を頻発させる原動力になっているわけですが……精神世界に没頭したからと言って問題が解決するわけでもないということも多くの人が知るところです。
とはいえ、精神世界に嵌まってしまう人というのは、必ずと言ってよいほど、その世界に「恍惚」を感じてしまうものなのですよね。
自分を救ってくれるようにみえる教祖さまの姿やその言葉に恍惚を感じてしまうからこそ、自分が世の中からみて、キチガイに思われてしまうという感覚を失ってしまうと思うのです。
それが私はヤバイと思ってます。
精神世界はヤバイという警戒心があって当然!
私はこういう精神世界の発信ばかりをしてますが(^^;)、少なくとも私は「こういう自分はヤバイ」という感覚を失ったことは一度も無いです。
だから、友達に精神世界の話をしきりに話すこともないし(でも聞かれれば答える)、友達に啓蒙しようと思ったことはないです。
とはいえ、全てを隠す必要はないと思っているからネットで本名を公開してやっているわけですが……、それでも、こんなことやってることを友人知人たちが知ったら、嫌われて当然だと思ってました。
しかしながら、おかげさまで友人から総スカンを食らうということはなく、今も普通に付き合いが続いておりますが……それもこれも、ヤバイっていう自覚が多少なりともあったからではないかなと思ってます。
だって、普通に考えて、私みたいなことをする友達が身近にいたら、友達としてヤバイって思って普通でしょ???
だから、私は友達が私に引くのは当然だと思ってるし、逆にひくことなく今まで通りに付き合ってくれているだけで有難いとずっと思ってました。
本当に友達のみんな!ありがとう!!!!!!
でも、恍惚の感覚に溺れる人たちというのは、そういう感じじゃないんですよね。
どっぷり、世の客観性や実情というのを失うんですよね。
私においては不思議極まりない事態です。
こんなヤバイ世界を恍惚して語るなんて……
スピ系教祖さまたちが大概偽名な理由
また、スピ系有名人の人たちのほとんどが、本名を明かさない理由もここにあると私は思ってます。
彼等の心のどこかに、そういう気持ち(おかしくみられるという思い)があるからこそ、本名で堂々とやってこれなかったのだろうと私は思ってます。
それくらい、本名も素性も全部明かしてこういうことをやるのは、もの凄く勇気がいることなんです。
逆に、本名じゃないからいくらでも煽れるし、嘘も言えるということに繋がるんじゃないかなとも思ってます。
逆に本名を隠して、精神世界をビジネス化する人は、その時点で自分に嘘をついているということだとも私は思ってます。
ですから、その時点で怪しんでみた方が良いのではないかとすら私は思ってます。
なぜなら、精神世界こそ等身大で生きなくては危うい世界だからです。
また現代は、現実世界でも等身大でいられない人が多いですよね。にもかかわらず、精神世界で等身大で生きるなんてもっと難しい作業なんですよ。
でも、そこら辺のこと、スピ系教祖さまたちは無関心ですよね。
なんなら、彼等はその等身大であるはずの本名を隠して活動していますし、一方で、経歴を自分の都合の良いように加工して活動されています。
おかしいと思いませんか?
世のため、人のためと言い、本当に良いことをしているという自負がある人たちが、なぜ自分の本名を隠すのでしょう。またその一方で経歴を盛る(貧富の差アピール含む)のでしょう。
不思議ですよね。
本名を隠しながらも経歴をアピールするということは、等身大は伏せた上で人を惹き付けようとしているのだと私は思います。
そして、本当の自分を隠している教祖さまたちこそが、恍惚を強要させるような言葉を投げかけているのです。
この事実を受け取り側はきちんと理解していた方が良いと思います。
恍惚って、「老人の、病的に頭がぼんやりしているさま。」でもありますからね。
思考能力が奪われているだけなんですよ。
思考能力が奪われているからこそ、精神世界の話を「イケテル風」に捉えることすらできちゃうんですよ。
それってヤバイですよ。
こんなに精神世界の話ばっかりしている私ですら、「自分はヤバイ、イタイ」と思いながら生きています。
でも、「精神世界にどっぷり興味のある自分はヤバイ、イタイ」という思いがあるからこそ、割合普通に生きていられているというこの感覚だけは、失ってはいけないといつも思ってます。
だってこの感覚を失った時は、周りが変で自分が正しいになるはずだから。
そこを見失わないようにして、精神世界も受け止めながら生きていきましょ♪
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こんばんは!
精神世界に魅了されている状態がヤバイ!という
のはすごくわかります。
特に、現実の世界から逃避したくて、
4次元では、どうのこうのとか
弥勒の世が来たらいいのにとか、
今の足元の現状をかえりみす゛
キラキラした世界を妄想する人は、
本当にやばいと思います。
僕もぶっちゃけ、
その世界観にハマっていたことがありますが、
今思うのは、
神様のシナリオが毎日あって、
毎日の瞬間ごとに、生かされていることへの感謝と
自分が我欲まみれで、
それを認めて、一歩でも前に進んで、
みんながより幸せになるように、
自分の体を使って、それに貢献することだと
思いました。
自分のためだけ、という時代はもう終わりましたよね。
竹久さんのようなみんなの目覚まし係の人がいるから、
とても有難いなと思っています!
おはようございます。
共感してもらえて、嬉しく思います。
田中さんが仰る通り、現実逃避なんですよ。単なる現実逃避だからこそ、恍惚を無自覚の中で求め、そして恍惚によって彷徨うことに繋がっていると思います。
見えない世界と見える世界の繋がりなどが純粋な意味で理解できたら、やはり田中さんが仰る通り日常の捉え方が大きく変わるはずで、それを理解して行動していくと、日常がとてつもないほど神しくみによって成り立っているファンタジックな世界であることに気がつけるし、これを理解して生きると何千倍も生きることが楽しいですよね。
こちらこそ、どうぞこれからも宜しくお願い致します☆