はっ!と、気が付いたので、忘れないうちに書いておきます!
特別を求める思いは、もはや中毒の状況なんだ。
アル中、薬中……それからギャンブル中毒に、パチンコ中毒、それからそれから、タバコ中毒に、甘いもの中毒にチョコレート中毒と、現代には本人が辞めたいと思ってもやめられない症状を「中毒」と呼ぶけど……
同じような中毒症状に、「特別」というものがあることに、今私は気が付いた。
「らしく」で生きていた時代は、知らなくて済んだ思い。
日本はかれこれ160年くらい前の時代から、「らしく」を軸にしていた封建社会を捨て、誰もが「なりたいものになれる」時代に突入した。
ちなみに「らしくの時代(江戸までの時代)」の「らしく」とは、当然のことながら「私」を重んじた「らしく」=「私らしく」ではない。
当時の日本は、生まれながらに身分と一生がある程度決まってしまっていたので、農民の家は農民らしく、武士の家は武士らしく、商人の家は商人らしく、職人の家は職人らしくと、「私ではなく社会に属する家系の一員としての『らしさ』」が求められ、その「らしさ」を重んじながら、上も下も役目を果たす生き方をしていた。
今の時代の人から見れば、このような時代に生きた人はどれだけ精神的に不自由だったことだと思うかもしれないが、江戸の社会を見る限り、そこまで精神的に不自由であった様子は感じない。
というのも、互いにそれぞれ不自由があることを自覚しながら、互いを尊重し、そしてその中で精一杯自由に楽しく生きていたことが垣間見れるから。
だがしかし、当然のことながら、この時代にも不満はあった。
それゆえ、あの時代は壊れることになった。
そして今の時代は、当時の不満を大いに正当化した形になっているとも言える。
なぜなら、革命はいつも「世の不満」を持ち合わせている人によって起こされるものだから。
そして、その人たちの「自己を満足する形」に置き換えるのも当たり前のことだから。
こんな言い方をすると維新の人々を大変侮辱しているように思われるのが、もちろんそうではない。
彼らはお国のことを考えて精一杯生きたと思うし、日本が海外から侵略されることに恐れを抱き安全保障のために戦ったことは大前提だし事実なのだが、少なからず徳川の統治の仕方や長きに渡った封建社会の形に不満を抱いていたことは否めないし、西洋の財力に憧れを抱いたことは否めない。
だからこそ、日本は西洋を見習うと同時に、これまで当たり前に存在した「士農工商」を前提とした「らしさの時代」も幕を閉じることになったのだと思う。
そして、個人を重んじる社会、個人の能力が発揮できる社会に舵を切ることになったのだと思う。
だからこそ、今や誰もかれもが「家系や身分に縛られず、個人を重んじた行動を望む」のだろうと思う。
その象徴的な事例は「眞子さまに見える」と言えるだろう。
だがこの一件によって今や多くの現代人は、その怖さを知り始めている。
「誰もかれもが個人の幸せ」を求めたら、収拾がつかない事態になることを理解し始めている。
望んだ未来が道理とはかけ離れた理想であったことに、ようやく人々は気が付き始めてる。
でも、残念ながら後戻りすることはできない。
既に個人を重んじた社会の定着と国家が個人を指導する社会の定着によって、すっかりかつての家庭の形は崩壊し、長らく続いてきた地域コミュニティの形も崩壊してしまっているからだ。
何事も、一度失ってしまってからは立て直すのは難しい。
その難しさに多くの人が気が付いているからこそ、「皇室だけは」と思う気もちが高騰することになっているのだろうとも思う。
失ってからは難しい。
なおのこと、「特別中毒者」が異常に増えている世の中では、立て直すのは確かにいろいろと難しい。
…と書いてて、話がタイトルにした「特別中毒者」からどんどんそれていっていることに気が付きました(; ・`д・´)
だから、話を戻したいのですが、ちょっとどうしたらいいのか分からなくなってるので、とりあえずこの記事はここまでとして上げます。
この先というか、そもそもの本題は、明日以降の記事で書きますので、しばしお待ちを♪
それではまたね!
とりあえず「特別中毒者」というパワーワードに気がついた胸の内を熱いうちに披露したかっただけなので、大目に見てください。
それではまたね!
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以前コメントで士農工商いいねd(>_< )と書いた者ですが
私が検索して分かったのは、身分差あると結婚できないとかいう情報で、あまり深く分からなかったのです。
掲載の動画すごいですね!面白いし分かりやすいし士農工商はなかったとかマジかよw
そんな状況だったとは。
武家の子が小作人になってたとか面白い。
竹久さんの検索力もすごいw
動画は自分のペースで理解を進められないため(よくある動画のペースだと遅すぎてイラつくという短気)苦手なのですが、この先生はハキハキお話されて説明ペースも私にはちょうどよくちゃんと見れました!
ご紹介ありがとうございます。
歴史の常識って本当にどんどん変わっていきますね…。
士農工商も中国のものらしいですけど、竹久さんが以前に、三角の世界のものでも丸の世界の人がその世界観で理解すると別物になるとおっしゃっていたので
日本では別物になってるのはそういうことなのかなと思いました。
おはようございます。
教育で植え付けられるような身分制度でなかったことは間違いないですね。
ただ、動画でも言われている通り、「家」という単位で職業が分別されていたので、そのため今と比べて圧倒的に世襲という空気感は強かったと思いますし、結婚も個人のものではなく「家」という考えに基づいて行われるものなので、身分の違いと言う感覚から結婚反対されるケースもあったかと思うのですが、あの時代は結婚は親が決めるものという意識の方が全体に強かったはずなので、実例としてはかなりのレアケースであり、レアケースだからこそ話が広がったという見方もできると思います。
仏教も日本では独自の発展をしたのと同じく、海外の考えを日本なりに取り入れ直すことで、今で言うサスティナブル(持続可能)があらゆる場所で起きていたと思います。
だからこそ、いつも西洋をそのまま見習ってはダメだと思ってるんですよね。
ねずさんの話はためになることがいっぱいあるので、是非これからも見てください。
それではこれからも宜しくお願い致します。
最近、自分の中にあった、
皆使命を持って生まれてくるのだ、という考えが
自分は特別だと無意識に考えてしまう思想だなと思ったところでした。
皆、というところで賛同してたなぁと。。
淡々と目の前のことを、意識するならば丁寧に、こなしていくだけだよなと
改めて思いました。
おはようございます。
みんな特別を言い換えれば、それは普通のことですよね。
だけど、ついうっかり私たちは「特別」というキーワードに惹かれ、夢見がちになります。
お互いそこを気を付けていきたいですね♪
それではこれからも宜しくお願い致します。
百姓より武士となられた二宮尊徳先生は、令和の世であっても必要とされていますね。報徳仕法は正に今こそ実践すべきことですね。
今の社会システムは、産業革命の時代に合わせたものですが、ネットによる新しい社会シフト(新しい産業革命)が起きている中では、全てが時代錯誤と言えます。
今の時代は、江戸の時代の社会システムを取り戻した方が時代に合う事が増えてるので、温故知新な感じでリフレッシュできたら良いのですが……政治家も官僚も行政も、その時代の転換に全く気が付いていなさそうなのが残念ですね。
それではこれからも宜しくお願い致します。
杉浦日向子さんの本を読むと士農工商は、そこまで厳密じゃなかったり、半農半武士な人がいたり、徳川吉宗の母親は農民だったり、自由度高かったみたいです( ´ー`)
大名行列の時は土下座しなきゃいけない一方で、飛脚と産婆は前を横切ったり追い越しても大丈夫だったりして、これが身分社会でありながらも産業が発達した所以ですね( ´ー`)
縁あって農家に嫁いだのですが、旦那とは25才年が離れてるんですね。旦那は「となりのトトロ」の時代に子供時代を過ごしていて、牛と馬で田畑を耕していたり、ヤギの乳搾りをしてヤギ乳を売って小遣い稼ぎをしたとか話を聞くのが楽しいです。
機械化されてなかったから農作業は大変だったかもしれないけど、それぞれに役割があって、仕事のやりがいがあったんじゃないかな、と思います。
こんにちは。
そうなんですよね。お金が個人ではなく家に入る時代だったので、家督を継ぐ(同じ職業を続ける)のは今より一生懸命だったはずですが、意外と例外も多く自由な社会だなと節々から感じる事多いですよね。
杉浦日向子さんを教えてくださりありがとうございます。
多分読んだことがないと思うので、読んでみます。
それではこれからも宜しくお願い致します。