【あるかもね…】蓋を開けてみたら、皆いない。

「戦狼(せんろう)外交」を続ける中国共産党の今を、夢想してみました。

 

戦狼(せんろう)外交とは?

最近全ての国に牙を向けるようになった中国の外交。

その外交スタイルは「戦狼外交」と呼ばれます。

その戦狼外交とは、どんなものでしょう。

国問研戦略コメント(2020-11)中国の「戦狼外交」:コロナ危機で露呈した限界と課題より

「戦狼外交」とは、2015年と2017年にシリーズで公開された中国のアクション映画『ウルフ・オブ・ウォー(英語表記:Wolf Warrior)』になぞらえた、過激な外交官による中国の好戦的な外交手法である。

 

この説明に付け加えて言えば、この戦狼外交とやらは、国内世論を海外の敵に向けさせるためにあるものと言えるでしょう。

つまり、国内問題に目を向けさせないための中国共産党の常套手段と呼べるべきものでした。

 

が、どんなに「戦狼外交」を駆使して、海外に牙をむきだしたとしてもそれに賛美できるほどの余裕は今の中国国内にはありません。

【三峡ダム】開けても駄目・閉めても駄目のその理由

2020年7月16日

なぜなら、武漢ウイルス騒動に続き、多くの都市が洪水被害にあっているからです。

その上、バッタだの、豚インフルだの、ペストだのと……未曾有の難問が次から次へと現われてきています。

このような状況に陥った時に、多くの庶民において外交など、どう考えても二の次でしょう。

一刻も早い災害対策をしてほしいと多くの人が思う状況になって当然だと思います。

ですから、こういう最中において「戦狼外交」は、既に国内世論に効果を発しないのは言わずもがなでしょう。

それでも、つい数ヶ月前までは国内世論を統一するのに、これほど画期的なツールはないと思うほどのものであったのも「戦狼外交」でした。

しかし状況の転換による世論は身悶えするほど大きく違い、どう考えても既に「戦狼外交」は国内世論に効果を発しません。

それどころか、人民が大変な目に合っている状況なのにもかかわらず、海外ばかりに目を向ける行動は、国民にとって顰蹙以外のなにものでもないでしょう。

一方で海外諸国から見た時には、中共の先鋭化し過ぎた「戦狼外交」は愚策中の愚策であることは言わずもがなです。

どう考えてもこの半年間の中国の行動は、世界を敵に回したと言っても過言ではないでしょう。

つまり……この半年の間で中国共産党は、内も外も全て敵にしたということ。

結論から言えば…全て裏目に出てしまったと言えるでしょう。

残念でしたね。

来年で結党結党100年目を迎えるに……。

そしてその結党から100年を賭けて世界制覇のために地道に頑張って来たのに。

それがが、ゴール間近の時を境に真逆に動き始めてしまいました。

しかもそれはもの凄い勢いでの逆流です。

なおかつ、もう後戻りなどできないと確信できるほどの逆流です。

だって、中国国内も国外である世界も、中国共産党の横暴をこれ以上容認することなどできないのですから。

 

ヤバイ時は一目散に逃げるのが世界のTOPの常識

さて、この状況下において、習近平を中心とした共産党幹部はどのような行動に出るのでしょうか。

私たち日本人は、ヤバイ時ほど身を粉に天に捧げて社会のために戦うのが普通です。

それは庶民だけの話ではなく、頂点におられる方も同じ気持ちです。

逆に言えば頂点におられる方がそういう生き方をしてきたからこそ、庶民もそうなるのです。

また、私たちの国が消えることなく日本であり続けたのは、どんなに苦境の状態にあっても、そして自分の命が失われる状況にあっても、逃げずに向き合い続ける努力を続ける根性があったからでしょう。

そしてそんな祖先の叡智を引き継いで生きている私たちにおいては、無自覚ながらそれが当り前の行為として引き継がれていますが、この地球においてそれは「あり得ない」と多くの人が思うそうです。

ちなみに、私が以前よりオススメしている「日本人に謝りたい」では、この点に関してこう書かれています。

日本民族のもつ最大の財産は天皇制である。これは全く世界に類例のない偉大なものであり、人類の理想とするものである。

かつてユダヤ人の大思想家でフランス革命に大きな思想的影響を与えたジャン・ジャック・ルソーは、かの有名な『社会契約論』で次の如きことをいっている。

「人もし随意に祖国を選べというなら、君主と人民の間に利害関係の対立のない国を選ぶ。自分は君民共治を理想とするが、そのようなものが地上に存在するはずもないだろう。したがって自分は止むを得ず民主主義を選ぶのである。」

ここでいう君民共治というのは、君主が決して国民大衆に対して搾取者の位置にあることなく、したがって国民大衆も君主から搾取されることのない政治体制のことである。

ところがここで驚いたのは、日本人にこの話をするとみな不思議そうな顔でキョトンとする。私は最初その意味が全くわからなかった。しかし、だんだんその意味がわかってきた。日本の天皇制にはそのような搾取者と被搾取者の関係が存在しない、ということを私が知らされたからである。今度は私の方が驚かされた。

日本人のためにちょっと説明しておくと、欧州でも、また最近追放されたイランの王室でも、君主はみな国民大衆に対しては搾取者の地位にあるものである。したがって、亡命するときは財産を持って高飛びする。これが常識である。だが、日本人の知っている限り、このようなことは君主制というものの概念の中には全く存在しないのである。

しかるに、ユダヤ人ルソーの思想は搾取、被搾取の関係にない君主制を求めているわけである。これは確かに理想である。しかし残念ながら、ルソーはそのようなものが実在できるはずもないからやむを得ず、民主主義を選ぶというものである。

私がルソーの時代に生きていたならば、ルソーにこういったであろう。「直ちに書きかけの社会契約論など破り捨て、速やかに東洋の偉大な君主国へ馳せ参ぜよ」と。

ここで非常に重要なことをルソーはいっているのである。今日本で絶対の善玉の神として一切の批判をタブー化されている民主主義というものは、ルソーによれば君民共治の代替物にすぎないということである。私が日本人を最高に尊敬するようになったのも、この天皇制というものの比類ない本質を知ったからである。

日本では戦前、比類なき国体という言葉があった。またポツダム宣言受諾の際にも、この国体の護持という点が一番問題になったのである。これは真に賢明なことであった。

この日本の天皇制はユダヤ思想の理想であったことはルソーの言葉でもわかるが、他にもあるユダヤ人の言った言葉に次のようなものがある。

「わがユダヤの王は、目に見えない護衛だけで守られる。われらの王は威厳にみちてその権力を行使するのは人民の幸福のためにだけであり、決して王自身や王朝一族のためにこれを用うることはない。かくして王への尊敬と威厳はいやが上にも高まり、人民に崇拝され敬愛されるのである。そのため王は神格化されるだろうが、それはひとえに王の権威が人民に安らぎと幸福を保証するコーディネーターの役を果たすからに他ならない。」

断っておくが、これは日本の天皇制の描写ではない。ユダヤ民族の理想の表現なのである。これを見てもおわかりと思うが、ユダヤ人はルソーのいった如く、国民との利害関係をもたない君主が理想なのである。

私が日本の天皇制の本質を知ったときの驚きが如何なるものであったかは、推して知られたい。地球上にユダヤ民族の理想が実在したのである。一般のヨーロッパ人は、とてもこのようなすばらしいものを創ることはできないであろう。我々ユダヤ民族も残念ながら未だ創ってはいないのであるが、しかしそれがすばらしい理想であるということを知っているだけでも日本人に近く、ヨーロッパ人よりも優れていることを日本人に認めていただければ無上の光栄である。

一般にユダヤ人が天皇制の類い稀な点を発見したのは、戦後の天皇とマッカーサーの会見の時であった。かといって、ユダヤ人全部が知ったわけではない。今日本で勝手気ままにペンを走らせている若僧たちはもとより、こんなところまで知っているわけではない。

 

日本人においては馴染みのない感覚ですが、多くの国においては、搾取するもの(権力者)と搾取されるものが別れる関係にあり、そして搾取するものたちは、いざ国の危機となると高飛びするのが普通だそうです。

 

そして、この定例の方程式×中国共産党の幹部であるのならば、既に高飛びしたい状況でしょう。

しかしながら、現在は武漢ウイルスの問題もあり、好き勝手に海外に行ける状況ではありません。

しかも中国共産党は戦狼外交を極め、香港を非道に弾圧してしまったがために、世界各国から金融締め出しをくらっています。

また中国共産党幹部の頼み綱は、アメリカにおいてあるドル貯金であったでしょうが、それも凍結される準備が始まっています。

つまり、今までだったら当り前にできた高飛びはできない状況となっています。

しかも国内は火の車で、100年かけて築いてきた覇権の夢が根こそぎ崩れ落ちることが立て続けに起きています。

こういう状況下において、中国共産党幹部がこの立て直しを実直にするでしょうか?

 

私はしないだろうと思います。

もしこの事態を彼等が重く見ているのならば、誰かが現場に駆けつけるでしょう。

そして、一生懸命働くでしょう。

しかし、それをしている様子は皆無なのです。

中国の洪水被害は6月の中頃から始まり、かれこれ1ヶ月ほど続いているため、事態はより深刻になっています。

にもかかわらず、中国共産党幹部は誰も洪水現場に足を運びません。

 

先日李克強総理は、中国の都市に出向きましたが、そこは被災地ではありません。出向いたのはスマート端末企業です。

 

行く場所違くない?って思うのは、私だけではないはずです。

この情報を見た中国国民のほとんども同様に思っていることでしょう。

 

また、李克強総理が視察に現れた7月6日と比べて今は、もっと事態が深刻になっているのにも関わらず、幹部の足取りが見えにくい状況が続いています。

繰り返しますが、幹部が被災地に足を運んでいる様子は見えません。

 

一体これは何を意味しているのでしょう。

逃げる準備をしている可能性は否定できないと思います。

 

気がついたら「中国共産党幹部は一人残らずどこかに消えた」という状況も、起こりえるかもしれないなとすら思ったりしています。

 

あり得ないと私たちは思うはずですが、逆にこれが社会のスタンダードかもしれません。

 

私たちにとって考えられない事をしでかすことが「このグローバル社会の常」と思い、そういう可能性もあるとして、私個人は見守っていこうと思います。

 

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2 件のコメント

  • 徳と言う言葉は「本性」という意味だそうです。
    故に善徳と悪徳があると言えます。

    窮地にこそ、その人の本性が出ると教えていただいた事があります。

    • おはようございます。
      この半年はよくもわるくも、人の本性をむき出しにさせた時間でしたよね。
      またこの期間はここからさらに激しくしばらく続くと思われます。
      もっと本性が良く分かるようになるでしょうね。

      それではこれからも宜しくお願い致します。

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