㊋終わる!政治を右左で語る時代

おはようございます。
火曜日は「変わる、終わる、始まる」です。

この「変わる、終わる、始まる」では、社会全体のトレンド(流行や趨勢・すうせい)に関する情報をお届けしています。

時代によって、インフラが変わり、またこの変化によって人の興味も変わります。

激動の時代と呼ばれる昨今の中で、立ち止まって全体を俯瞰できる情報をお届けしていきたいと思ってます。

また「変わる、終わる、始まる」も月曜日の「今日から使えるマーケティング講座」と同様、お仕事で利用して頂けたら嬉しいなと思っていますので、こちらも朝7時に更新していきます。

こちらも朝のお供として、是非活用してくださいませ♪

 

右左の起源はフランス革命

政治ではよく右や左という言葉が使われます。

右というのは保守的思想のことを言い、左というのは革新的思想のことを言います。

またこの言葉の起源はフランス革命(18世紀末期)に遡ります。

当時の議会では、右側に座っていた人たちが保守と呼ばれる「王と中心とした古き良き伝統文化の中で国作り」を求める人たちで、左側に座っていた人たちが革新派と呼ばれる「王を潰して新しい国作り」を求める人たちでした。

フランス革命では、左側に座っていた人たちの意見が勝り、王(ルイ16世)を処刑することになりました。また左側に座っていた人たちは、その後社会主義と呼ばれる思想を確立していきました。(共産主義は、社会主義の派生形として、それから100年後の1900年代初頭に登場します。)

そして、その時の議会で議員たちが座っていた場所が、現在の政治用語で使われる「右左(右派・左派、右翼・左翼)」の語源です。

そして、そこからかれこれ200年間、右左という言葉を軸に政治が語られることが続いてきたのですが、今回の武漢ウイルスを機に、政治を右左で語る時代そのものが終わるんじゃないのかなと私は思ってます。

なぜなら左に存在する観念が、武漢ウイルス騒動によって、どんどん封殺の方向に動いていますから、終わるかなと思っています。

 

よく見たら、全部終わってく左の理想。

「左=リベラル=自由主義=個人主義」という定義を持ち合わせている人も多いかと思いますが、左の思想というのは「社会主義」が出発点となって派生しっていっています。

そして社会主義から共産主義が生まれ、そしてグローバルリズムという考えやリベラリストという考え方が生まれました。

グローバルやリベラルという国家よりも個人を尊重するような考え方は、社会主義や共産主義と対立するように思われますが、そもそも根本的には同じ思想と言えます。

どこが同じかというと、それは「画一化を求めるところ」です。

グローバルリズムは、グローバル基準という価値観で世界を画一化させていこうとしていました。

リベラルの場合は、弱者救済というスローガンの元、あらゆることを平等にさせていこうとしました。その平等は見方を変えれば画一化です。

また、グローバリズムやリベラルは個人主義者なので国家という枠組みを嫌いますが、同様に国家の枠組みを嫌うのが共産主義です。

共産主義の目的は、世界の全てを共産主義化にしていくことですから、国家や国境は彼らにとって邪魔な存在です。

その国境を取り除くためには、国家よりも個人の主張が強い方が都合がよく、その点でも個人を主張するグローバルリズムやリベラルは彼らの考えと同調するものでした。

 

しかし、残念なことに勢いよくその全てが終わり始めているんですよね。

まず終わってしまったものと言えば、グローバル。

【グローバル】まさかの強制終了の勢い!

2020年3月22日

あんなに国境線を無くそうとしていたEUですら、手のひらを返して国境封鎖となっています。またグローバルの時代は、お金優先の社会でしたが、今回の事でお金に目がくらむと手痛いしっぺ返しが来るということを体感せざるを得なくなりました。そのため、コスト面を重視した海外投資という発想はどうしようもなく減り、内需の循環でなんとかしようという動きが強まると思われます。

 

そして、世の中で主流であった「理想的リベラル」の発想もここに来て煙たがれるようになりましたよね。

ちょっと前の平和の時代だったら共鳴されていた彼ら特有のスローガンも、共鳴されにくくなっています。

↓詳しくはこの記事で↓

㊋変わる!理想的リベラルが主流の時代から、リアリズムへ。

2020年5月12日

 

 

しかも極めつけは、今回の騒動の引き金をひいたのが、共産主義国家チャイナであること。

左派思想の要であり中心であったチャイナがここから世界から省かれるものと思われます。

㊋ABCD包囲網から、ABC戦争へ変わる、時代

2020年4月21日

 

このように、人間以外の力で強制終了が始まっているとしか思えない左派なのですが、この流れがどんどん浸透していけばいくほど、「国内の政治で左の議論をする必要性があるのか?」という状況にもなっていくんじゃないのかなぁと、私は思っています。

また「左の思想は失敗だった」ということで、彼ら自身の存在意義を失うことになると思うのです。

もちろん彼らはそういう事態を回避しようとして、懸命に手段を選ばす工作してくると思うのですが、その工作が余計裏目に出ると思われるんですよね。

【#検察庁法改正に抗議します】の一件みたいに。

【#検察庁法改正に抗議します】籠池隠しなのでは?

2020年5月12日

 

今まではマスメディアが味方についていることでなんとかなった部分も、マスメディアも左派以上に崖っぷちの状態に陥っていますから、なんとかなりようがないと言えます。

㊋武漢ウイルスによって変わる…テレビの制作事情

2020年3月31日

 

ですから、今まで通りの「右左で討論すると言う環境が続く」と考える方が無理があります。

 

この流れで見れば、左というものが存在する環境こそがカウントダウンに入ったと言えるのではないのでしょうか。

そして、左という概念が無くなった時には、右左という議論の体制自体がなくなるので、もっと有意義に本質的な議論が始められるようになるんじゃないかなと思ってます。

とはいえ、まだそこに辿り着くためには数年の時間は必要だろうと思いますが、数年後には「左」という観念が無くなってしまっているんじゃないかなぁと思うし、個人的にはそうなる事を期待しています。

 

ということで、今日のお話は以上です。

 

それでは来週火曜日の7時にまたお会いしましょう♪

 

それから「変わる、終わる、始まる」の過去記事が読みたい場合は、TOPの「曜日企画」→「㊋変わる、終わる、始まる」を押して下さい。

今までの過去記事が見れます。

 

それでは今日も張り切って働きましょう♪

 

 

 

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