昨日、イモトさんの記事書いてから、
突如イモト愛が私の中で溢れだしてwwwネットに落ちてるイッテQ(イモトのだけ)を見ててね、
それでまさか「あぁ……芸術ってこういうことだな…」とふと思ってしまったことがあるので書き残しておきます。
いつから芸術は主張の場になったのだ???
今年の夏におきた「あいちトリエンナーレ」問題。
一時期私はこのネタばかりを書いておりまして、そのためそれに関連する情報も集めていたのですが、そこで気がついたのは、現代アートという分野に関して大方みんな私と同じ事を感じていたのだなぁと思いました。
以前の記事で私はこんな風に現代美術(現代アート)の事を形容したのですが↓、
先に言っておくと、私は現代美術はそもそもそんなに好きではありません。
その理由は「押しつけがましい感じがする所」です。
「ただ椅子をそこに置いた」くらいのどうしようもないような殺風景を前にして、「ここに芸術を感じてください」的な感性がどうも受け付けないのです。
似たような感覚を現代美術に感じていた人が多かったことに安心しました。
芸術や美術というものというのは、受け手に感じる自由があるはずなのに、現代アートとなると、一転し作家の主張を感じなくてはならないという風潮がどうにもこうにも受け付けなかったのです。
さらに、あいちトリエンナーレを中心としたここ近年の現代美術に関しては、「作家の主張を感じなくてはならないという風潮」がどんどん強まりすぎた結果、「芸術とは主張するもの」という勘違いを生み出しているようにも思いますが、これこそが何より本質から外れていることですよね。
そこに疑問を抱いていたのは私だけではないことに気がつけて良かったです。
そして、イモトさんのおかげで「芸術ってこういうことか」とふと気がつくことにもなりました。
芸術とは主張ではなく……
昨日イモトさんの記事書いて、なんでイモトさんって13年もお茶の間に愛され続けてきたんだろうと、こんこんと考えていました。
そして、急にイッテQも見返してみたくなり、イモトさんが出ている動画を見てたりしてたのですが、一度見た事ある映像でも笑っちゃって笑っちゃって、そして一緒に自分も泣いちゃったり、その上気がつけば感動しちゃったりしている自分がおりまして……
その時に、「イモトってなんかもう芸術の域だよな…」とふと思ってしまったのです。
本人は意図せずとも、周りを楽しませ、泣かせ、その上感動させちゃうって、お笑い界における芸術の域に達してるよなぁなんて思ってしまったのです。
それで、その理由はなんなのかなぁって考えてようやく分かりました。
ひたむきな一生懸命があって、芸術であり、美術であり、アートと呼ばれるものが生まれるんだなと。
ひたむきな一生懸命で歩んだ結果が、芸術とか美術とかアートとか呼ばれるものなんだよな
って事にようやく気がつきました。
ですから、個人の主張が先にあるものの中に、芸術とか美術とかアートなんてものを感じられるはずもないわ!
という当り前のことにも気がついてしまいました。
個人を主張したところで、それはうざいだけ。
個人が一生懸命ひたむきに歩んだ後に、その歩んだ道の中に芸術や美術やアートと呼ばれるものが生まれ落ちる可能性があるだけ。
それが本来あるべき姿なのに、お金儲けの自己主張のが盛んになってしまった現代はいろいろとおかしくなってしまいましたね。
ただ、長年なぜ現代美術や芸術やアートがウザく感じてしかたなかった理由がようやく分かった事、そして芸術の本質が何か分かりかけてきたのは良いことかなと思います。
まさかイモトの動画見まくってる中で気がつくとは思わなかったけれどwwwww
イモトさんだから気がつかせてくれたのかな?
ありがとうイモトさん。
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こんにちは、いつも勉強になっています。
私の個人的な感覚ですが、「感情」を表現するのが「芸術」だと思っています。
そして、トリエンナーレのような現代美術に嫌悪感が湧くのは、作り手が「感情」ではなく「思想」を表現しようとしてるからじゃないかと思います。
「思想」を表現しようと意図した作品って、どうしても受け手に対して「こんな風に思え!こんな風に考えろ!」って命令しているように感じられて、それが不快感を生み出している元凶に思えます。
たとえ製作者がサヨクっぽい反戦・平和主義的な思想を持っていたとしても、「戦争で生まれる悲しみや怒り」を表現した作品であれば、美しさは感じられると思います。
しかし、トリエンナーレにあるような現代美術の作品は「こんな風に考えろ!こんな風に思え!」という作り手の意図や傲慢さが垣間見えるので、全く美しさを感じられなかったのだと思います。
私はイッテQはほとんど見たことがありませんが、安室さんのサプライズの企画は拝見しました。
イモトさんの安室さんへの愛は素直に応援したくなりますよね。それはひとえに彼女が「好き」という感情を素直に表しているからだと思います。
なんだか、恐竜だとか変身ヒーローだとかの、“すごく好きなもの”に夢中になっている子供を見ているような感覚になりますよね。
こんばんは!
ウサギさんのその感覚分かります!というか、私も同じようにずっと思ってました。
ただ、あの人たち(津田界隈)も、表層的には同じ事を言うのですよ。私たちが「思想」と扱うものを、彼らは「感情の一部」と捉えている。その違和感が気持ち悪くてずっと考えていて、ようやく「思想ではなく主張だった!」という事に気がついて、
でも津田界隈と同じように誰もが「思想」を持ち合せていて、場合によってはその「思想」に感動を生む感覚を覚える時もあって、それは何かと考えてたら、「主張のないただ純粋な人間の感情がそこにあるのかないのか」ということに辿り着き、そういう感情はどのようにして沸き上がるのかなと思って考えていて、そこで私は「ひたむきな一生懸命」なのかなと思って記事を書きました。
表現に行き違いがあったと思いますが、多分ウサギさんが思われていることと私が感じた事は同じ感覚だと思ってます。
「ひたむきな一生懸命」はウサギさんがイモトさんを見た時に感じた素直さに出てくると思います。
その素直な感じが人を感動させるのでしょうね。
それではこれからも宜しくお願い致します。
ロードバイク、フォーミュラマシン、戦闘機、そして日本刀など、装飾などない実用性を突き詰めたモノには、
美しさがありますよね。
神社、神道もある意味シンプルな「生活」を突き詰めたものですから、日本人の腑に落ちやすいですよね。
こんばんは!
前どこかの記事に書いたのですが、日本の生活用品は、美術館に展示される芸術作品よりも優れた芸術性を持ち合せているように思います。
伝統工芸の美しさは本当に秀でていますよね。
利便性と美しさを兼ね備えられる日本人の心大切にしたいですね。
共感できて嬉しいです♪
これからも宜しくお願い致します。