【あいちトリエンナーレ】辺野古作家は言葉が不自由

国際芸術祭である「あいちトリエンナーレ」にて公金を使い左翼活動をしているアーティスト高嶺格(たかみねただす)さん。

先日の記事でも「そもそも言葉の意味を知らないのでは無いか?」という疑惑を投げかけたのですが、

【あいちトリエンナーレ】尊い信仰を冒涜することが芸術ですか?

やっぱりそうだと確信できる情報を読者様から頂きましたので、記事にします。

 

NIMBYの本当の意味とは?

先日のこちらの記事で↓

【あいちトリエンナーレ】芸術展でまさかの辺野古活動!!

とりあげさせて頂いた 金屏風を雑に扱った辺野古活動作品。

↓これね

この作品のタイトルはNIMBY (Not in My Back Yard)とのことで、

初めてその言葉を知った私は、ネットの解釈通りの意味合いに思っていたのですが……

こんな感じに……↓(先日の記事一部引用します。)

そして作品名のNIMBY (Not in My Back Yard)って何だろうって思ってググったら……

NIMBY(ニンビー)とは、英語: “Not In My Back Yard”(我が家の裏には御免)の略語で、「施設の必要性は認めるが、自らの居住地域には建てないでくれ」と主張する住民たちや、その態度を指す言葉である。日本語では、これらの施設について「忌避施設」「迷惑施設」「嫌悪施設」などと呼称される。

NIMBY(ニンビー)とは

はぁはぁなるほど……、辺野古基地反対を訴える作品ということなのですね。

訴える気持ちまでは否定しませんが、これは芸術ですか???

単なる思想の押し売りではありませんか?

【あいちトリエンナーレ】芸術展でまさかの辺野古活動!! より

と、NIMBYの深い意味合いを知らなかった私は上記の通り解釈したのですが、本当の意味は違うそうなのです。

ネイティブの間ではこの語源から派生した違う意味合いでこの言葉(NIMBY)が使われているそうなのです。

頂いたコメントを転記します。

お久しぶりコメントです(覚えて頂けていたらですが(^^;)

実は本日、豊田美術館のクリムト展に行きまして、トリエンナーレ見たんですよ!
本当にビックリしましたね( ̄▽ ̄;)

夫と色々こっそり突っ込みながら見てましたが、ネタを1つ。

NIMBY(私は全く無知で知りませんでした)とは、ゆりさんが書かれた通り、Not in back yard、迷惑施設、嫌悪施設、の意味ではありますが、実はその先の意味合いがありまして、「施設の必要性は認めるが、自分の居住地には建てないで」=ものすごい自分勝手な人、の意味らしいです。
なので、夫が、このタイトルつけた人は意味をちゃんとわかってつけてないんじゃないかと言ってました。(ちなみに夫は英語ペラペラですのであしからず・・・)

だって、自分勝手って自分で言ってるんですものね(笑)

タイミング良すぎて、思わずコメントさせて頂きましたm(__)m

これからもブログ楽しみにしております!

教えてくださりありがとうございます!!!!

そうなんですねwwwwwwwww

その意味を知った瞬間から、さらに作品の見方が変わり「滑稽だな」と思えるようになってきました。

言葉の意味をきちんと理解できると、見方が変わるから不思議ですよね。

 

NIMBY=辺野古反対派は自分勝手の集団です

高嶺さんはこの陳腐な作品を通して、辺野古活動の正義を訴えようとしていたのでしょうが、

「施設の必要性は認めるが、自分の居住地には建てないで」=ものすごい自分勝手な人

という意味ですwwwwww

と言うことは、辺野古に集まる活動家はみんな「ものすごい自分勝手な人です」と自ら宣言したに等しいのですよね。

笑えますよね、笑えます。

まさにブーメラン。

 

言葉、そしてその定義を大事にしなくてはいけない理由

以前、居島さん(虎ノ門ニュースMC)が、Weekly虎ノ門ニュースでこんなことを仰りました。

「一つの言葉は一つの定義。同意語とは別で、ちゃんとそのような意味をなされなくてはならない。これが人の世を律し、秩序を保つことに繋がる」

↓詳細記事↓

【人間の根幹】国語を大事にしよう!!

居島さんがあの時投げかけてくださった言葉が改めて身に染みます。

「自由」にかまけて定義をおろそかにすれば、秩序が乱れるのです。

そして無駄な混乱だけが増えるのです。

前に書いた味噌汁のたとえみたいにね。

多様性であることが普通だと思っているのにも拘わらず、現代主流の多様性という言葉を危惧しているかというと……

現代は、善悪や正不正を軸とした教育と社会環境の中で生きているため、多くの人が物事の道理や本質を忘れているからです。

道理や本質をみんなが理解している中で多様性というのは、自然の道理の中にある「ある種普遍的なもの」だと思うのですが、今はそれが分からなくなってます。

たとえば、お味噌汁を作る時に、それぞれ好みの味噌や出汁や具材があるわけで、だからこそ、お味噌汁一つとっても多様性のある美味しいお味噌汁ができるわけなのだけれども……

 

現代の思想面をお味噌汁で表現すると、味噌が入ってないものも「味噌汁と呼べ」だとか、どう考えても不味いとしか言いようがない味付けの味噌汁も「尊重されるべきだ」と主張されたりとか……そもそも議論の範疇にも収まるはずもない事を言ってきても、それを多様性として認めるとかいう馬鹿馬鹿しいことが起きているように見えるのです。

だからこそ、「お味噌汁の枠組みってこういうことですよ」って、定義を繰り返しお伝えしなくてはならない事態が増えているだと思います。にもかかわらず、こういうことをすると「自由を妨害している」とか「人権侵害だ」とか、さらに明後日に向かっているとしか思えない論争に繋がっていきやすいのです。

そういう意味で現代の多様性は危険だと思っているし、危惧してもいるのです。

【分断工作】善悪や正不正で考えることの罠 より

 

祖先が紡いでくれた歴史や伝統や文化があってこそ今の私たちがいます。

それを大事にしながら、今の時代の新しさを紡いでいきたいですね。

 

 

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