【分断工作】善悪や正不正で考えることの罠

2019年7月17日

どうして情報戦は「分断工作」に力を入れるのでしょうか。

 

多様性の面倒くささ

現代は「多様な意見の尊重が大事」的なスローガンが盛んになっているように思いますが……この傾向は「分断工作」の一つか、もしくは「戦後洗脳のなれの果て」かなと思ってます。

こないだの記事↑でも書いたけれど、みんな違って当然なのだから敢えて「多様性こそが正義」というような空気感を作り出す必要はないと思ってます。

しかも大概の所、多様性を軸にした主張をする人は、単なる個人の我が儘に過ぎない主張が「世の中の正論なんだ」という世論を作ろうと必死になっているようにしか見えなくて……つまりは……「多様性と言う名のファシズム」が横行しているようにしか思えません。

言い方を変えると、「いろんな意見が大事」という風潮を作り出すことによって、敢えてマイノリティの意見を大きく取り上げ、そしてその馬鹿馬鹿しいマイノリティの意見を尊重せねばならない空気感だけを作っていくだけのことに見えてしまいます。

LGBTや障害者などの社会的弱者擁護の論調もそうだし、こないだあったkutoo運動とかもそう。

↑ちなみに、案の定ですがkutoo運動を応援しているのは朝日新聞などの左派です。

会社に自分の都合を押しつけるんじゃなくて、ヒールが履きたくないなら、運動靴で通える職場を選べばいいだけの話なのに、何かにつけて女性蔑視とか、マスコミが喜びそうなフレーズをつけて、自分の正義が尊重される空間を作り出そうとする。

そもそもヒールを女性蔑視だと思っていない女性の方が多いだろうし、ファッションアイテムとしてヒールを履きたいと思っている女性も沢山いると思う。ヒールの方が、足は長く見えるし、綺麗にも見えるしね。

だけれども、「多様性」を合い言葉に、マイノリティの主張に快感を覚える人の多くは、マジョリティの中にある当り前を否定している事に気がつかず、また逆にこのようなマジョリティ思考を「洗脳されて可哀想」的な意識高い系の気持ちで活動してくるから、本当に面倒くさい。

自分だけで解決できることも自分だけで解決すらできず、社会の問題を増やしていることに気がつかない、その頭の悪さも本当に面倒くさい。

 

どうして多様性は面倒くさいのか

多様性であることが普通だと思っているのにも拘わらず、現代主流の多様性という言葉を危惧しているかというと……

現代は、善悪や正不正を軸とした教育と社会環境の中で生きているため、多くの人が物事の道理や本質を忘れているからです。

道理や本質をみんなが理解している中で多様性というのは、自然の道理の中にある「ある種普遍的なもの」だと思うのですが、今はそれが分からなくなってます。

たとえば、お味噌汁を作る時に、それぞれ好みの味噌や出汁や具材があるわけで、だからこそ、お味噌汁一つとっても多様性のある美味しいお味噌汁ができるわけなのだけれども……

 

現代の思想面をお味噌汁で表現すると、味噌が入ってないものも「味噌汁と呼べ」だとか、どう考えても不味いとしか言いようがない味付けの味噌汁も「尊重されるべきだ」と主張されたりとか……そもそも議論の範疇にも収まるはずもない事を言ってきても、それを多様性として認めるとかいう馬鹿馬鹿しいことが起きているように見えるのです。

だからこそ、「お味噌汁の枠組みってこういうことですよ」って、定義を繰り返しお伝えしなくてはならない事態が増えているだと思います。にもかかわらず、こういうことをすると「自由を妨害している」とか「人権侵害だ」とか、さらに明後日に向かっているとしか思えない論争に繋がっていきやすいのです。

そういう意味で現代の多様性は危険だと思っているし、危惧してもいるのです。

 

善悪、正不正の軸が見えなくするもの

善悪や正不正で語ることの危険性は、何より道理や本質を見失いやすいことだと思ってます。

どんなことも、道理や本質に沿っていなければ上手くいかないのに、多くの議論は、本質や道理がどこにあるのか分からないまま、近視眼的な主観による善悪や正不正で物事を判断しています。

だから、問題が解決しないだけなのに、幼い頃から善悪や正不正で語ることしかしてこなかった私たちは、ここがピンときません。

そして、こういう状態の方が、世論工作や世論の分断工作はやりやすいのです。

なぜなら、道理や本質に基づけば、意見の多様性はあったにせよ枠というものは自然と守られます。しかしながら、善悪と正不正が軸となっていくと、枠を超えるどころか、本質がどこにあったのかすら分からない場所にどんどん引きずりこまれることになるからです。

さらに、人というのは道理や本質に基づいた中での判断には怒りや落胆も覚えないのに、善悪や正不正が軸となった論議となると感情的になりやすいため、冷静さを欠きやすいのです。

感情がどんどん前にでるからこそ、対立は起き、分断もされていくのです。

人間の感情が分断されていくことは、侵略を狙っている敵国にこそ都合が良いことであって、自国においてのメリットはほぼありません。

 

本当の多様性は、一致団結できてこそ

お味噌汁に使う味噌や出汁や具材は千差万別であったにせよ、お味噌汁という定義が揺らがなければ、「お味噌汁を作ろう」と言った時に、特段問題が生まれることはありません。

しかしながら、味噌汁の定義が分からない人や味噌汁の枠組みを理解していない人たちばかりになると、「お味噌汁を作ろう」と言った程度のことでも、揉めますよね。

しかも、味噌汁とはなんぞやと言うような本質に基づいて会話するのではなく、善悪や正不正を軸に味噌汁を語り始めたらもっと揉めますよね。

場合によっては対立になってしまうかもしれませんよね。

こんなことで対立するなんて馬鹿馬鹿しいと思うかもしれませんが、今の日本の政治や思想の分野で起きている対立ってこういうことですよ。

戦後教育によって、現代人は誰しも国の成り立ちや国はどうして存在するのかなど、基本中の基本や枠組みを教えてもらえず、善悪や正不正、さらには枠組みを度外視した成功という名の理想の基に生きているから、不要なことを論議せざるを得ない時間が増えています。

これって心底馬鹿馬鹿しいと思いませんか?

少なくとも、私は馬鹿馬鹿しいと思ってます。

自分自身がこの国の事、国の枠組み、そして世界のことを知ろうとしない限り、この不毛な議論の渦中で人生を過ごすことになるわけです。

これって、空しい人生ですよね。しかしながら、ぶっちゃけ団塊の世代の多くは洗脳が私たちより深いため、多くの人がここから逃れられなくなってます。

これは私たちの代で変えていかなきゃいけないことだと、私は思ってます。

ちなみに、右翼左翼なんて言葉もその対立も、国の本質さえ分かれば、そもそも不毛な事になるような気がしてます。

そのためには、国の成り立ちを理解していくのと同時に、善悪や正不正が軸となった二元論の中にいる自分を脱却させることでしょうね。

本質に沿えば、善悪や正不正などの議論は、そもそも不毛なことであったと気がつくはずです。

 

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