【人間にとって一番辛いこと】変化がないこと

生物とは、常に変化するものですから。

 

人間が感じる変化の場所

植物を観察するのはとても面白い。

植物は昨日と同じように見えて、昨日と同じであることは何一つない。

成長するか、枯れていくか、分かり易いどちらかの方向で常に時を重ねている。

植物は同じ場所で同じように、変わらない形で存在しているように見えるけれど、そうではない。

この地球のサイクルの中で絶えず変化を繰り返している。

 

私たち人間も生物だから、確かにいつも昨日とは違う。

自分が気がつかないだけで、髪は必ず抜け落ち、一方で新しい髪は生え始め、皮膚は垢になる。それから、おしっこやうんこをして排出をするべきものはしながら、また新しい物を食べ栄養を得る。

でも、人間というのはそれだけ如きの変化は変化として感じられない。

分かり易い身体の変化(身長が伸びるなど)やもっと知的な部分での変化が無ければ生きている心地を感じられない生物なのかなと思う。

ただ、身体の成長はだいたい10代のうちに終わってしまいます。

しかし、「成長」という感覚を身体面だけのことだと思っている人が多いから、変化を感じられない日常に埋没してしまう人も多いのではないのかなと思う。

【根本論】変わりたいと思う人ほど、変われない訳

 

生物を忘れた人間の日常

現代を生きる私たちの不幸は、生きるフォーマットが出来上がってしまった社会で生活せざるを得ないことにあるでしょう。

しかもこの現代社会の生きるフォーマットは、昨日の記事で書いたとおり、生物である人間としての矛盾が大きいです。

【思いだそう】人間は生物です。

その上、変化がないことをこの社会のフォーマットが望んでいますから、このフォーマットの枠が強くなればなるほど、誰しも自然とストレスを抱えるものでしょう。

なぜなら、生物とは常に変化するものであり、その中でも人間というものは、知的な部分での変化があってこそ生きることを感じ取れるようにできているのですから。

今日も明日も同じ事の繰り返しと知的側面で感じるような事が続けば、それはもう生きているに値しない心持ちになって当然です。

たとえば大人が赤子や子供を可愛がり、育てようとするのは、子供の変化を自分事として楽しめるからでしょう。また子供の発育の変化によって、自分の日常にも変化が起きます。変化とは、本来楽しい時間なのです。

しかしながら現代は、その楽しい時間すら、社会の常識に囚われすぎて、ただのストレスになってしまっていることが多々あります。これは、大人にとっても子供にとっても、大変悲しいことですよね。

そして、発育の変化を楽しむことなく規定の枠組みに自分の子供が入っているか入っていないかばかりが気になることが起きていて、それぞれの成長を慈しむのではなく、とにかく枠の中に入ることばかりに一生懸命になっているだけなのですから。

しかも、その行為こそが本来あるべき成長の過程を無視しているのかもしれないのに……。

特に敗戦後の社会はこの傾向が強くなり、戦後世代が働き世代の大半となってしまった平成時代からは、この様相が社会的に色濃くなりました。

そして、生まれたのは、枠からはみ出ない生き方をすることが安パイな世の風潮です。

そして、昨日と今日の繰り返しをするだけの毎日が人生だと捉えられるようにもなりました。

そんなの知的好奇心が取り柄である人間のすることではないはずですよ。

しかも、その社会の枠組みは、すっかり生物である人間の形すら忘れて、人間を他の生物とは別の特別なものと思い込んでいるのです。

そりゃ苦しいですよ。

私たち苦しいはずですよ。

 

人間とは、昨日とは今日、違うことを思って当り前の好奇心を持って生まれてきました。

昨日も今日も、そして明日も、同じ事を思い、同じ事を繰り返し、同じ事をするために生きていません。

私たちが自分をロボットのように思ってしまうその訳は、自分たちが、昨日も今日も、そして明日も、同じ事を思い、同じ事を繰り返し、同じ事をする生物ではないと知っているからだと思います

そして、それができないことも分かっているからだと思います。

 

人間が好む変化とは?

私たち人間が好む変化というのは、物質的な変化では本来ありません。

知的好奇心に連動する変化です。

その変化も、自分が生物である自覚が伴った上であれば、もの凄く功を奏すのですが、人間が特別であるという慢心に陥れば途端に不幸に転じます……どうやら神から託された「知的」という有能さが、不幸に導く側面を持ち合せているのかなと思います。

つまり、私たちの知的によって、より地球を合理的によくすることもできれば、一方で破滅に向かうこともできるということです。

その方向の決断は、影響力の強い誰か1人の人間によって行われるのではなく、私たち人間1人1人の決断の総意によるものなのだと思います。

そこにも私たちは気がついていません。

それは悲しいことですよね。

さらに、知的好奇心が常に満たされる変化を感じていなければ、生きる心地を感じることのできない生物であることにも気がつきません。

ですから、脳が退化するような便利さに昨今の人間は溺れているのでしょう。

「考えなくて良い!」という言葉は流行のキャッチフレーズともいえ、世の広告宣伝は盛んにこの言葉を使っていますが、考えることを止めた人間など、そもそも生きる価値のない、変化のない人生を送るだけのことになるはずなのに……自らの苦しみを生む産物になるとも気がつかずに飛びつくなんて、可哀想ですよね。

 

知的好奇心を忘れた人間なんて……

考える事を忘れているのにも関わらず、変化のない人生に不満を漏らす私たち。

今の人間は、地球に存在するべき生命体なのでしょうか……。

私は、人間こそが地球のお荷物かもなぁってよく思ってます。

だって、地球に生息するための役割を全く果たせないのですから。

しかも、生物であることを忘れた人間たちは、自分たちのために地球があると思い込んでいるのですから。

そもそも地球なんて、人間のためにあるはずもないです。

地球は、宇宙にとって必要な部位にしか過ぎないと思うし、

【身体は銀河?】身体を銀河と捉えてみると分かる事(笑)

さらに、人間なんて、宇宙においては細胞以下の個体に過ぎないと思います。

ですが、それぐらいの存在に過ぎない人間を特別に思って、しかも人間の役目を忘れて、人間が主人公だと思い込むお門違いなことを繰り返しているのが、現代の人間であり、地球の人間です。

お荷物だと思われてもしかたが無いよなぁって思ってます。

【アセンションしたから】現在の地球の波動状況と対策

なんだか話がそれてきたので、話戻します。

 

知的好奇心の積み重ねが変化に繋がる

そもそも私たち人間は、変化無しには生きられないと思います。

ただ、その変化とは本来内向き(精神・知的)なものであり、外界の形を変えることではないと思ってます。

しかしながら、現代は内的な変化成長を完全に無視しているから、別の形でその変化を補おうとするのだと思います。

だから、外界の変化を求めてしまい、刹那的で感情的で肉欲的な言動が溢れてしまうのだろうなと思ってます。

このポイントの間違いに気がついた時、荒波のような心持ちは静かな凪の状態を思い出すきっかけになるのではないのかなと思います。

心が凪であって、始めて私たちの知的好奇心は本来の活動体制に入ることができ、その活動によって、私たちは心持ちの変化を楽しむことができるようになるのだと思います。

 

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4 件のコメント

  • 竹久さん、いつも楽しく拝読しております。
    今回の記事もまた、とても共感しました。

    知的好奇心を満たしていないときの私の心は、
    今の心持ちと180度対極するものでした。
    大変恥ずかしい話ですが、生きてるのか死んでるのか、全くわかりませんでした。
    自分や他人を平気で傷つけて、「だから何?」って感じ。
    目の前で涙を流されても、怒られても、どこか冷めた目で見ていました。
    こう書くとつくづく恐ろしいのですが…(>_<)
    でも私自身もすごく生きづらくて、「何らかの精神の病気なんじゃないか」と思っていました。

    それが、竹久さんのブログを皮切りに、ニュースを見たり、勉強会に参加したり。
    昨日は猫組長と上念さんの本を購入し、ずっと楽しくて楽しくて一日中読んでいました。(笑)
    暴飲暴食を辞め、運動を始め、なんだか別人のようです(^_^;)

    でもおっしゃる通り、全ては知的好奇心に起因するのかもしれません。
    以前は何も考えもせず、毎日が刹那的で断片的でした。
    だから辛かった。
    でも、昨日の積み重ねが今日になりますものね。
    「世界ってこんなに素晴らしいんだ。
    自分はなんて慢心してたんだろう」
    と理解したとき、「生まれてきたからには、ちゃんとお役に立ちたい」とやっと思うことができました。

    色々と遅いスタートでしたが、これからもコツコツ積み重ねたいと思います(^^)
    竹久さん、いつもありがとうございます。

    長々と自分語り、失礼致しました!

    • こんにちは!嬉しいコメントありがとうございます。

      私もそうでしたよ。30代に入ってから、仕事上目新しいことが減っていくにつれて、同じような心持ちになっていきましたよ。
      それでも毎日同じ事を繰り返している方が、人生は安定しているのは分かるけれど、それで自分の人生は満足できるのかなという気持ちに駆られて、純粋に興味を持った事を探求しているうちに、「あぁこれが生きるということだ」と体感する繰り返しができるようになってきました。

      今の社会の停滞は、多くの国民の知的好奇心を封殺し、変化のない安定を人生だと思い込むことから発生していることに、政治家の方々がもっと気がついてくれたらいいなと思います。

      それではこれからも宜しくお願い致します。

  • こんにちは。わたしは育休中で0才と3才の子どもを育てています。朝起きて、ご飯食べて、自然の中で体を動かして、夜は眠る。その中でいつのまにか子どもが成長していき、それを喜んでいます。
    社会とは別の世界のようです。こっちが本当の人間らしい暮らしなんじゃないの?とよく思います。

    • おはようございます。
      とっても素敵な毎日を過ごしていらっしゃるのですね。
      仰る通り、私もそれが本当の人間らしい暮らしだと思います。
      多くの人がその当り前を取り戻してくれたらいいのになといつも思ってます。

      それではどうぞこれからも宜しくお願い致します。

  • takehisayuriko へ返信する コメントをキャンセル

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