2-3.日本と他国の世界観の違い

※こちらは、以前私がアダルトチルドレン(現在の自分の生きづらさが親との関係に起因すると認めた人)の問題に向き合っていた時に書いた内容を掲出しています。できれば最初からお読み頂ければと思います。→0.はじめに

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アダルトチルドレンは国民病?!

第二章 過去と現代の狭間にあるもの

2-3.日本と他国の世界観の違い

 まず、私たち日本人が知らなくてはならないと思うのは、世界の大部分の国と日本の世界観の違いです。その違いを食物連鎖の図を使って見てみましょう。

日本の世界観で見る食物連鎖は図1の形になります。

全ての生命にはそれぞれの役目があり、それを全うする為に存在しているだけであり、そこに上下はないと考えるのが日本古来からの世界観です。私たちの祖先が育んできた社会観念はは、並列に基づいた「和(輪)」です。この考え方で長らく日本人は生きてきました。

日本人である以上、多くの人は無意識のうちに理解はしていると思います。しかし、現代社会に生きていると「和(輪)」の社会体制は「まるで理想」と言わなくてはならない環境になっています。

それはどうしてでしょうか。

 

その理由は、敗戦によって日本の社会を捉える形が変えられてしまったからだと私は考えます。

教科書で食物連鎖を習う時に、図2の形で教えてもらった人はいませんか?

実際、日本の児童書にはどちらのタイプも書かれており、どちらかと言えば図2の方がよく目にするタイプなのではないかと思います。

これは、西洋の人たちが考える食物連鎖の形で、この考え方に基づくと、頂点に人間がいる食物連鎖になります。

これを正しいと位置づけると、この図の右側に書かれているように、生産者よりも消費者が上であり、更にお金持ちの消費者やリピーターがより高い位置に存在するという妄想を生み出します。そして、私たちの生活の基盤である社会は、この妄想を元に形成していると言っても過言ではありません。

多くの現代人が生き辛さを感じなくてはならなくなっている理由、そしてアダチルが増殖の一途を辿っている理由はここにあると私は考えます。

本能的そして文化的に持ち合わせている和の精神からなる循環型の○の世界と頂点を目指すためだけにあるピラミッド型の△の世界。

私たちがそもそも持ち合わせている思考や概念と、戦後に導入された社会体制は大きく違います。この価値観の違いに気がつかないまま、欧米の世界観に合わせているため、様々な混乱が起きているように思います。

また、残念ながらピラミッド型社会では、恒常的な幸福感は甘受されにくくなります。

なぜなら、誰もが頂点を目指すための行動をするようになっていくため、当り前に椅子取りゲームが始まります。椅子がもらえなかった人は、不平不満を抱えるようになります。一方で椅子が取れた人もいつ奪われるか分からない不安を持ち合わせる必要性がでてきてしまいます。そのため、四六時中安心できない気持ちになってしまうのです。

つまり、私たちは戦後社会の在り方によって、不幸せを敢えて甘受せねばならない価値観の世界の中に埋め込まれてしまったとも言えるのです。

そして、「お国のために」という言葉一つに、強烈な拒絶感を感じている間は、敢えて不幸せを甘受せねばならない牢屋の中に入れられているとも言えます。

親の問題を解決する以前に、まず私たちはどうあれば幸せなことを感じられる民なのか、学習し直さなければなりません。

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