※こちらは、以前私がアダルトチルドレン(現在の自分の生きづらさが親との関係に起因すると認めた人)の問題に向き合っていた時に書いた内容を掲出しています。できれば最初からお読み頂ければと思います。→0.はじめに
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アダルトチルドレンは国民病?!
第三章 戦後教育・戦後社会とデュープス
3-3.共産主義の本音と歴史
共産主義という考え方は、ドイツ出身の哲学者であるマルクスとエンゲルスによって創り出されたもので、この考え方に基づいて起きたロシア革命(1905年~17年、明治38年~大正5年)によってソビエト連邦が誕生しました。
先の項目は教科書で習う共産主義をベースに説明しましたが、ソビエト連邦の中で起きていた実態は、実はもっと過激な思想に基づいて行われていました。この過激な思想は、ソビエト連邦の第一代最高指令者であるレーニンの考えが強く、マルクスが提唱した内容と異なる点が沢山あります。そのため、彼らの考えはマルクス・レーニン主義と呼ばれ、温和な共産主義思想とは差別化を図ってはいるのですが、現代に残る共産主義者は、マルクス・レーニン主義を主体にした考え方しかないので、共産主義というのは「マルクス・レーニン主義」のことを指すと捉え直した方が混乱は少ないのではないかと思っています。
なぜなら、マルクス・レーニン主義の根本にある目的や思想というものは、労働階級の人が支配階級の人を倒し、労働階級の人によって国を治めるという考え方で、それしかないと言って過言ではないからです。
その上で「生産手段を国有化して、一党独裁のもとで徹底した経済平等を目指す考え方」ということになります。
社会主義も同様に、全て国有化した上で国民の平等を理想とする考え方ですが、共産主義と社会主義の決定的な違いは、議会制民主主義の捉え方です。
社会主義はあくまで議会の手続きでその道を切り開こうとするため、武力を否定します。一方で、共産党の場合は、武力は必須アイテムで議会制民主主義は不必要なものとなります。
一党独裁である共産党が武力によって強制的に国民から土地や会社、そしてお金を取り上げて、全てを国有化していく考えが基本にあります。彼らの言い分は、武力であっても強制的であっても、全てを取り上げれば経営者と労働者、地主と小作にあった格差は取り外されることになるので、平等になるというものです。
このような考え方が根底にあった上で、様々な思考が創り出されているため、彼らが使う言葉の意味は概ね私たちが一般的に使う言葉の意味とは違ってきます。そのため、理解が一致しない場合が多々あります。
たとえば「平和」という意味においても違ってきます。
一般的な「平和」とは、「戦争が無い状態・穏やかな状態」を指すものでしょう。しかし、マルクス・レーニン主義者が考える「平和」というものは「革命を起こして、支配階級を倒して、労働者の独裁体制を築くこと」となります。そのため、支配階級がいる限り、また現在の国家が解体されないまでは、もしくは共産党国家が誕生するまでは、そして、地球上が共産党一党独裁になるまでは、この現状は「平和ではない」ということになります。
そしてこの理想的平和を勝ち取るためにだったら、何だってやるというのが共産党主義者の考え方です。
「平和」という言葉を合い言葉にしながら、彼らが常に好戦的で暴力的で、法に基づく平等感がないのは、このためです。
また共産党主義者には国境という概念がありません。地球上全てが共産党の一党独裁になることが平和だと彼らは考えている為、民族ではなく思想の繋がりが第一となります。そして、地球全てを共産党一党独裁体制にしていくことが彼らの共通の目的ですから、それぞれが表となり裏となりながら、共産主義同志は国境を越えた連携プレーが可能となっていきます。
また、近年第二次世界大戦当時の機密文書が続々と公開されるようになって、共産党員(コミンテルン)たちが国境を超えた連係プレーをしていた事が明るみになってきました。そして彼らの工作によって、様々な悲惨な現実が生み出されていた事実も明らかとなってきました。
彼らにおいては、共産主義国家以外の存在は全て敵です。だから、母国を守るという概念はなく、母国などそもそも彼らにとっては不必要なものです。それぞれの母国が疲弊し解体され、そして共産党の一党独裁になることが平和なのですから、全てにおいて考える軸が一般の人とは違います。この違いが多くの人には理解不能であったため、様々な混乱が生み出されたものと思います。
また、一党独裁による管理主義体制が「平和」と考えている思想なので、彼らは言論の自由のない「全体主義」であることが「平和の証」であるとも認識しています。
彼らが「言論の自由を守れ」と言いながら、「自分たち以外の言論を許さない」のは、非常に偏ったこのような考えが基に起きています。
一般的な考えにおいてはぶれているようにしか見えない彼らの行動は、マルクス・レーニン主義を貫いているだけなのです。
そして、共産主義の人たちが暴力的で革命に恍惚し続けるのは、このような思いがあってこそのことなのです。
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