3-2.共産主義の理想と現実

※こちらは、以前私がアダルトチルドレン(現在の自分の生きづらさが親との関係に起因すると認めた人)の問題に向き合っていた時に書いた内容を掲出しています。できれば最初からお読み頂ければと思います。→0.はじめに

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アダルトチルドレンは国民病?!

第三章 戦後教育・戦後社会とデュープス

 

3-2.共産主義の理想と現実

 私たちが知らず知らずのうちにデュープスとなっている事を自覚していくために、まずは共産主義とは何かという所から、理解を深めていきましょう。

共産主義というのは、「生産手段や販売方法、利益を平等に分配するなど、すべての人が平等な社会をめざす」主義思想のことを言います。聞こえは決して悪くはないのですが、どんな理想も現実に即していない考え方の場合、その理想によって世の中が荒廃してしまう事はよくあることです。

かつて、共産主義の理想を掲げて設立されたソビエト連邦という国がありました。ソ連は今のロシアと東ヨーロッパを足した面積を持つとても大きな国でした。この国は「すべての人が平等な社会をめざす」という事で立ち上がったのですが、「全て平等」という考えはとても恐ろしい社会を創り出します。

たとえば、共産主義社会は全てが平等でなければなりませんから、賃金にしても皆同一という考え方になります。どんなに頑張っても、逆に全く頑張らなくても給料は同じです。能力の差ももちろん加味されず全員同じ賃金あれば、人のやる気は損なわれてしまいます。

さらに、個性を尊重することもありません。みんな同じ服を着て、同じ物を食べて、同じように暮らすことが求められます。これでは新たな発想を生み出す機会すらありません。みんな一緒という平等概念の徹底は、個性に基づいた好き嫌いや得意不得意の個性すらなかったことにさせられるだけでなく、何が正しく、正しくないのかという基準は、全て国の管理を任された支配層に委ねられることになっていきます。ということは、言論だって支配者が決めたものに統一されていくことになります。

そして、支配者が決めたたった一つの答えが平等となり、その答えから逸脱する言動は全て罰せられることになっていきます。だからこそ、共産化社会ほど管理型社会となっていくのです。共産国家が必ずと言って良いほど独裁国家になるのは、統治をする者たちが民を画一的にコントロールする権利を持ってしまうからです。日本の近隣にある中国や北朝鮮のような共産主義国家が、平等とはほど遠い独裁国家となっているのはこのような現実的側面があるからです。そしてこの思想の危険性から、アメリカやドイツでは共産党は非合法団体とされています。

 

共産主義者たちが掲げた理想は、ソ連の崩壊によって幻の虚像だったと多くの人は既に気がついているはずなのですが、私たちの心持ちは共産主義を目指す人の根幹にある革命理論や被害者意識が不思議なほどまとわりついています。

第二章で自由と平等と人権のことについて触れましたが、そもそも自由と平等を並列することには大いなる矛盾があると私は考えています。平等を軸にすれば、当たり前に自由は奪われていきます。なぜなら、平等は、全て同じという画一化を表す側面があるため、答えが複数あって良いものであっても、一つにしていこうとしていきます。一方で自由は、答えや選択肢が無限大にある多様性を尊重していく概念です。つまり自由と平等の併記の矛盾は、一方では画一化を求め、一方では多様性を求めているところにあります。自由を求めれば平等は損なわれ、平等を求めれば自由は損なわれるのですから、上手く行かなくて当然でしょう。

また日本は古くから公平な社会が確立していたため、平等と公平を同義語的に扱う癖があります。そして、公平の中にある平等は当り前であったため、この矛盾に気がつきにくい傾向があり、それが混乱の元となっていることが多々ありますが、昨今の平等観念の浸透で私たちの心持ちに不自由さが増えているのは、共産主義的な平等観念で言論や規則を統一しようとしているから起きていることだと思います。

私たちが無自覚である隙を利用し、共産主義的な画一化はあらゆる場所で起きています。

どうしてこのような事が起きているのか、なぜ戦後体制が共産主義と共鳴しやすいのかを準じ理解していきましょう。

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