【児童虐待④】些細なことの積み重ねが生き辛い世の中を作り上げる。

昨日からの話の続きです。

 

行政の責任を追及することによって、生まれる不便さ

児童虐待で痛ましい事件が起きるたびに、「児童相談所などの行政としての対応が適切だったのか」という事が、問われやすい世の中が醸成されていくよなといつも思っています。

昨日の記事でも、平成22年を機に相談件数が増えている背景には、第三者からの問い合わせなども増えているのではないかと推察させていただいたのですが、

 グラフ:児童虐待防止全国ネットワーク

そもそもこの時期に何があったのか昨日の時点ではまだ調べていなかったので調べてみました。

この前後の年に、今でも記憶に残る残忍な虐待事件があったことが分かりました。

西淀川区女児虐待死事件(2009年)と大阪2児餓死事件(2010年)です。

大阪2児餓死事件(2010年)は、ネグレクト(無視・育児放棄)が大々的に知られることになった事件で、大阪市西区のマンションで2児(3歳女児と1歳9ヶ月男児)が母親の育児放棄によって餓死した事件です。

西淀川区女児虐待死事件は、親の残忍な虐待による惨事を今でも覚えている人が多いのではないのでしょうか。

西淀川区女児虐待死事件wiki

同居男性と女児母親は2009年3月中旬以降、被害女児に対して木刀やプラスチック製バットで殴打する、ドアに叩きつけるなどの非常に激しい折檻を毎晩長時間にわたって深夜まで加え続けた。また、毎晩ベランダに締め出し、寒空のもと防寒・寝具なしで寝ることを強要した。被害女児は硬く冷たい床にシート1枚という劣悪な環境下に連日晒された。そのため睡眠がまったく取れず異常な睡眠不足状態に陥り、室内で行われた折檻の途中に眠りに落ちてしまうこともあった。これが男性と母親の怒りを買い、虐待はさらにエスカレートした。

被害女児の1日の食事は残り物の白米で作った塩などの味付けの無いおにぎり1つのみ、もしくはバナナ1本のみしか与えられず、栄養失調状態であった。また、水分摂取も著しく制限された。水分は1日に500mlしか受け取ることができず、これは1日の必要量を大幅に下回る。また被害女児は喘息を患っていたにもかかわらず、喘息の薬を一切受け取れなかった。この食事制限・水分制限は毎日のことで、そのため被害女児は連日寒さに凍えながら異常な空腹と喉の渇きに苦しみ、喘息の発作を起こしても薬も与えられず水も飲めないという激しい苦痛に晒され続けた。検察をして「9歳の女の子が一身に受けるにはあまりにも強烈な虐待で、被害女児の味わった苦しみは想像に余りある」と言わしめた一連の激しい虐待・ネグレクトにより、やがて被害女児は酷く衰弱し、立つこともままならなくなってしまった。トイレに行きたくてもトイレまで行くことができず、失禁が度重なった。被害女児が衰弱死した前夜も、衰弱しきっている被害女児に対し、置き去り(失禁)、殴打・平手打ち、正座の強要、ナイフによる恫喝、玄関からの締め出し、ベランダへの放置という苛烈な虐待が行われた。

死亡した当日の被害女児は、肌着1枚の上に直接スウェットの上下に裸足という冬の寒さには到底耐えられない服装でベランダに放置されていた。

4月5日、ベランダで衰弱死している被害女児を同居男性が発見し、遺体を山中に埋めた。

2000年代に入ってから、子供の虐待に関するニュースは増える傾向がありましたが、特に残忍であった2009年の事件を機に、周囲が警笛を鳴らす傾向も増え相談件数が一気に脹れ上がっているのではないかと思います。

しかし、これで問題は解決しているかというとそうはなっておらず、単に児童相談所の負担が大きくなるだけで、そして行政の中で息苦しいルールが増えているだけとも言えると思います。

相談者が増えれば増えるほど、行政としては管理を徹底させていく必要性があります。

そのため、全ての親に「幼児虐待の疑念の目」をもって対応せざるを得ない形になっていきますし、親側も行政の指導に沿うような育児をせねばならないということになっていきます。

最悪の事態を防ぐためには必要なことなのかもしれませんが、親は「監視」の目というストレスを被ることになります。

また、躾一つとっても、それが「行政の目」や「周囲の目」から見て何か違うと思うことがあれば、それも許されないことだって起きやすくなっていくはずですから、親は自分の教育や指導に自信を持つ機会が保たれにくくなり、またその責任を負うという感覚も同時に損失しやすくなるでしょう。すれば、躾や指導は行政任せという考え方にも陥りやすくなります。

昨今、小学校で学級崩壊などが頻繁に起きていると聞きます。その要因としてあげられるのが、当り前の躾がされていないまま児童になってしまう子供たちの多さだと言います。

このような環境が起きている要因に、「行政の介入が大きくなってしまっている」事は考えられないでしょうか。

そしてその「行政が介入せざるを得ない状況を大きくしている」のは、「メディアを主体として作られた世論が常識となっている」からではないのでしょうか。

 

話やすい地域社会をそれぞれが復活させるべきでは??

虐待防止と言う言葉が盛んに言われるようになっていますが、このような啓蒙は「虐待を見つけたら行政に報告する」といういわゆる密告型社会を創り出す契機になってしまう一面もあります。

そしてそういった管理社会が醸成されることは、どんどん悪循環創り出すだけではなかろうかと、個人的には思ってます。

 

また虐待防止ということを盛んに言っても、反って虐待が増えている傾向があります。

このようになってしまっている理由として、結局ご近所づきあいが減ってしまっていることも多大に関係しているのではなかろうかと、私は思ってます。

たとえば、子供がすごく泣いていたとしても、その親子のことを地域の人が理解していれば、それを見守る余裕があるし、いざという時は直接親に話すこともできますが、互いに距離を取っている環境であればそうとはならず、児童相談所に通報されてしまうこともあるでしょう。

そういう事になると、親は疑心暗鬼になり、周りに監視されているような感覚が強くなり、不安と恐怖が強くなってしまいます。

それぞれが、要らぬ不安と恐怖を溜め込む方向に向かっていることが、問題を大きくしていることに繋がっているんじゃないかなと思うことが私は多いです。

挨拶が当り前にできる、近所の人と普通に話ができる、お互いの環境を知っていた方のがいざという時には協力がしやすいものなのに、その小さな当り前の人間関係を放棄して、全てを行政に委ねることが横行しているから、問題はますます大きくなっているのではなかろうかと思います。

人の疑心暗鬼を取り除くためには、お互いがお互いを知る事だと思います。仲良くできることがもちろんベストですが、無理してでもそうするのではなく、まずはお互いを知り、適切な距離の中で気持ち良く付き合う環境を育てていくことが必要なのではないのかなと思います。

そうしていくことで、家庭の孤立や子供の孤立というのは緩和される面もあるのではないのかなと思います。

このような環境を作り出していくためには、それぞれがまずは近所の人に笑顔で挨拶をするという些細な当り前なことからやっていく事が必要なんじゃないかなと思ってますが、敢えてメディアの論調は逆方向に動いているように思うんです。

以前「マンション内で挨拶をやめよう」とかいうルールが決まったという話をメディアで見ましたが、どう考えたってこれでは、ますます疑心暗鬼になるだけだと思います。

ですから、メディアに流されることなく、近所の人間関係を大事にする当たり前のことから復活できるようにそれぞれが努力していくしかないんじゃないかなって思ってます。

 

 

また極悪非道としか言いようがない親たちの存在ですが、それはやはり戦後社会の賜である面も大きいのではないのでしょうか。

↓武田先生のお話、ぜひ聞いてほしいです↓

リベラルという左翼が作り上げた歪な社会が私たちを苦しませていることに気がついて、その歪さから抜ける努力をそれぞれがしていくしかないなと思います。

 

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