※こちらは、以前私がアダルトチルドレン(現在の自分の生きづらさが親との関係に起因すると認めた人)の問題に向き合っていた時に書いた内容を掲出しています。できれば最初からお読み頂ければと思います。→0.はじめに
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アダルトチルドレンは国民病?!
第三章 戦後教育・戦後社会とデュープス
3-1.デュープスが蔓延する社会
デュープスという言葉をご存じでしょうか。
アメリカで「騙されやすいおバカさん」を意味する言葉です。それがアメリカの保守思想(アメリカの歴史や文化・国土を大事に考える思想)の人の間で「自覚がないままに共産主義的考え方に沿った言動をする人」を指す隠語となりました。
つまり、共産党員でもないし工作員でもないのにもかかわらず、気がつかないうちに自分の行動が彼らの思惑にはまり、操られている人のことの事をデュープスと呼びます。
デュープスという言葉、一見自分には縁遠いと思われる方が多いと思いますが、私は現代日本人の九割以上はみんなデュープスになってしまっているのではないかと感じています。
分かりやすい例で言えば、「憲法九条で世界平和が実現できる」と思っている人や「憲法九条をノーベル平和賞にしよう」という言葉に恍惚してしまう人は、GHQが作り出した社会観念と共産党系の思惑にどっぷりはまっているデュープスだと言えます。
現代人の多くは、軍事というものにとてつもない嫌悪感を抱き、またその必要性や事実から目を背けたがりますが、現実と向き合わず理想を語ることが戦後教育の賜であり、またデュープスと呼ばれる所以でもあります。
たとえば、今の日本で警察がいなくなったらどうなると思いますか?
その方が「治安が保たれて平和になる」と思われる方はどの程度いるでしょうか。
きっと誰もが「平和になどならない」と言うはずだと私は思っています。
日本の治安は警察がいるから守られているのであって、それが無くなった方が平和になるという論は荒唐無稽な話であると誰もが思うはずです。
しかし、戦後教育というのが大変恐ろしいと思うのは、もう少し視野が広がった国防の世界となると、「警察がなくなって治安がよくなる」と同じような荒唐無稽な話を真実だとして受け止めてしまうのです。
「日本が自衛隊を廃止して武力放棄すれば、それが世界の模範となって、世界は平和になる」
この言葉はテレビからもよく聞こえてくる言葉だから馴染みが強く、思わず「そうだ!」と言ってしまう人もいるのではないのでしょうか。これは何度も情報訴求を繰り返されたことによる洗脳成果です。人というのは、何度も同じ情報を受け取っていると、深く考えることもなく馴染みのある選択肢を自然と選んでしまうのです。ですから、国内の治安は警察によって守られているのにもかかわらず、国防組織は不必要だと現代人は思ってしまいがちなのです。
また、このような洗脳の成果によって、日本人は「日本人が世界で一番悪い民族」だとも思い込まされています。海外の人は日本以上にいい人なのだから、そもそも日本を侵略しようとする人などいないと思い込まされています。だから、国防組織は不必要だと思いがちになるのですが、本当にそうでしょうか。
日本が武力を完全放棄した時に、一体得するのは誰でしょうか。
得をするのは、日本を侵略をしようと考えている国家や輩なのですが、戦後教育がしっかりと入り込んでしまっている人ほどそこに思考が及ばなくなります。
そして、現代人の多くは十二年もかけて学習漬けの青春を送るわりに、本来論議の必要性もないほどの当たり前の事を当たり前に思えなくなるような考えを定着させていきます。
これを洗脳を言わずになんと言うべきなのかと私は思います。
今回の質問では、デュープスにならずにリアリズムな回答ができた方もいらっしゃるでしょうが、それはその症状や操られ具合に程度の差があるだけのことであると、私は思っています。
だからこそ、先ほど「現代日本人の九割以上はみんなデュープスになってしまっているのではないか」と書いたのです。
そう推察せざるを得ないのは、戦後GHQによって作られた社会体制は、革命思想が中心となる共産主義の思想が共鳴しやすくなる仕組みがふんだんに盛り込まれており、私たちの日常は、知らず知らずのうちにそれに彩られてしまっているからです。
多くの問題が解決ができず、どんどん問題を増やすことになっているのも、革命思想に基づいたマインドスイッチ(思い込み)で思考力が奪われているからだと私は考えています。
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