信号もない、コンビニもない離島での生活で気が付いたこと。
日常は非日常へ、非日常が日常へ
菅島に移住して一年ちょっと。
ふと気が付くといろんな感覚が変るものだなぁと思います。
例えばこの間、久しぶりに夜に伊勢にいたんだけど、その時思わず「久しぶりに夜の信号見た」って呟いてて、友達に笑われた。
菅島に住んでると信号見ないし、
菅島の終船は20:10だから、夕方までに島に帰ってることが普通だから夜の信号を見る機会がなくって(笑)
だから、つい驚いちゃったんだけど、
驚く私の方が珍しい光景なはずだよね(笑)
そして友達からしてみたら、どんな非日常的な環境で暮らしてるんだろうって発想になるんだと思うけど、
すっかりこっちが日常になってる私からしてみると、今の世の中の大概のものはほとんど非日常。
コンビニもファストフードもチェーン店もスーパーも非日常の中にあって、そこに行くのはある種特別な日の行為となる。
逆に、新鮮な魚介類を食べて生活するこの暮らしは、これまでの私にとっては非日常的なことだったけど、今の私にとってはこれが日常。
ほんと不思議なんだけど、ちょっとした環境の変化で、「当たり前」の感覚はこんなに違ってくるものなんだなと驚いてるよ。
昔からの暮らしの中にあるもの
でもね…
こんな私の暮らしは、決して突飛なものではない。
人間の長い歴史を考えたら、私の今の暮らしの方が人間の普通に近いんだと思う。
だからかな、
こっちに来て生活するようになってから、人間らしくなってきたって思うことが増えてる。
情報に振り回されることなく
今日の天気を見て生活する
季節に応じた生活をする
今採れた野菜や魚を食べて生活する
多分こうして長い間、人間は生きてきた
その当たり前の生活の中にいるから、人間らしい健康的なサイクルはようやく起動し出すのかなと、最近の私は思ってる。
しかも現代は、ネットのおかげで地理的距離の制限はかなり薄れているし、日本は流通網が発達しているから、田舎にいる不便はまず感じにくいしね。
だから、丁度良く現代のエッセンスをこの地で頂きながら、
この地の有難みを感じられるんだと思う。
結論、現代のインフラに感謝なんだけど、
このインフラあってこそ、素朴な土地が生きる時代が始まってる気がするんだよな。
消滅可能都市と言われている場所にこそ光が当たる時代が始まってる気がするんだよなぁ。
ではではまったね♪
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おほぞらに そびえて見ゆる たかねにも 登ればのぼる道はありけり
明治天皇の御製ですが、なぜかこれを思い出しました。
素敵な言葉をありがとうございます。