ほんの些細な……言わば…ニュアンスの違いみたいに見える言葉も、本質を掘り下げれば随分違ったりします。
ということで今日は、混同されがちである気と我について、少しばかり解説記事を書いておこうと思います。
気と我は、同じ部分もあるけれど、やっぱり違うもの。
気が強いという言葉は辞書でこう書かれています。
強気(つよき)である。強情(ごうじょう)である。あつかましい。⇔気が弱い。
対義語である気が弱いではこう書かれています。
強く自分の気持を表わすことができない。また、情に負けやすい。⇔気が強い。
日常私たちが利用している言葉の定義として、この意味合いに間違いはないとは思うのですが、気(=波動)という部分について、くだらないほど探求し続けてきた私からすると、この定義はどうしようもないほど適切ではないと……最近思えて仕方ありません。
だから記事を書いているのですが……どうしてそう思えるかと言うと……。
私たち現代人の「気」には、大きく分けて二種類あるからです。
「気」と言っても、同じものではないと言えるくらい異質なものが2つ存在しているからです。
またその二種類を言葉ですみ分けると、「エゴ」と「真我(今に在る心)」と言えるんじゃないかなと思います。
ということでここから「エゴ」と「真我(今に在る心)」について説明していきたいのは山々なのですが……説明をしていくと……とてつもなく説明が長くなるので、この件に関する詳細は過去記事や「生きやすさを手に入れるための 波動とエゴの法則を書いた本」でご確認ください。
過去記事↓
とは言っても……ほとんどの方は「何が言いたいのか……」という気持ちに駆られるはずでしょう。ですから、かなり割愛して「エゴ」と「真我(今に在る心)」をすみ分けしときます。
2つの「気」とは、「1.今にない心=エゴ」であり、「2.今に在る心=真我」の2つです。
申し訳ないくらい、かなり割愛して説明しておりますので余計になにがなんだかという気持ちになってしまった人もいるかと思いますが……、この2つにはどえらい違いがありまして、その違いとは「天との繋がりが持てるか否か」です。
というのも、人間は本来今に生きていさえすれば天と繋がることができる存在であり、天がもたらす波動を地上に与えることができます。また、この状態で生きている時の人は「真我(今に在る心)」で生きています。
ですがそれを止めるのが、「エゴ」なんです。
そして、現代人のほとんどの人は「エゴ」の妨害を受けて生きているため、本来の自分に戻る事ができず「エゴ」を自分だと勘違いしています。
ですから、「我」を支配しているのは「エゴ」であり、それゆえ「エゴが作った気」が「我」を作り出すことに繋がってもいます。
それゆえ、現代において「我」と呼ばれる気質のほとんどは、エゴに帰属しているものと思っていいし、逆に「気」というものが「我」と混同する事態に陥っているように感じています。
だから、「気が強い・弱い」の辞書の定義があの表現になってしまったのだろうと、今の私は思っています。
ということで……ここからどう違うのか、説明していきたいところですが……混乱している方も多いかと予測されるので……今日の所はここまで。
本題はつづきの記事で書いていきたいと思います。
混乱しているなと思う人は、過去記事のリンクから、私の説に対する理解を深めて頂けると助かります。
それではまたね♪
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