【違いは大きい】学ぶのか、それとも従うのか?

私たちは身近な自分の行動の些細な違いに気がつきにくい傾向があります。

そのため、同じ行動だと思ってしていることが、真逆の効果を生み出す結果に繋がっていきます。

その違いはどこにあるでしょう。

 

みんな学んでるつもりなのになぁ

タイトルに書いた「学ぶのか、従うのか?」という言葉に疑問を感じてしまった人は結構いるんじゃないかなと思ってます。

というのも、学ぶと決断した時、きっと多くの人は「従う」という概念は持ち合せていないはずなのです。

だから、学ぶことと従うことは違うことだと思っているだろうし、学ぶことが従うことになることなどないと考えているんじゃないかなと思います。

しかしながら、日夜私たちの身の回りで繰り広げられている現状というのは、学んだ結果が従うになってしまった人で溢れています。

また一方で、学んだからこそ、その学びを糧にして次の自分のステージに活かすことができる人もいます。

動機の段階では同じような志を持ち合せて、それぞれ自分が学びたいことを学び始めたはずなのに、その違いはどうして生まれるのでしょう。

 

学びになる人にあるもの、従うの人にないもの。

学んだことが次のステージに活かせるものになる人と、ただただ上に従うだけの事に繋がってしまう人、大きく分けて2パターンの人がいると先の項目で書きました。

出口は違うにせよ、学ぼうと思った段階では同じような動機……つまり入口は同じはずなのに、出口は2分化されてしまう事はこの世で多く起きています。

さて、それはどうしてなのだと思いますか?

私は、ここには大きく二つの違いがあると思っています。

それは「盗む」感覚と「対等」の感覚があるかなしかの違いです。

この2つの感覚を持ち合せていれば、よっぽど従属する領域の中に埋もれてしまうことはないだろうと思ってますが、現在はこの2つの感覚は宜しくないものとして敢えて封鎖してしまっているがゆえに、気がつけば自分の行動が従属になってしまうのではなかろうかと思ってます。

 

言われた通りにしたところで、人は絶対に幸せにならない

学びの行為が、単なる「従う」になってしまう人は、結局の所「言われた通りのことだけをする」事に従事してしまうからだと思います。

そして、それが幸せに繋がるという錯覚を起しているのだと思います。

もしも、それで本当に幸せになるなら、とうの昔に地球平和は成し遂げられ、世界の全ては平和になっているはずでしょう。

しかしながら、そうはなっていません。

つまりは、「言われた事に従っても幸せにはならない」ということです。

そして、その顕著な例だなと私が思っているのが、イスラム教です。

私は幼少期から、イスラム教をとにかく不思議だなと思ってみていました。信仰内容に問題があるとまでは思っていないのですが、イスラム教の地域って、私が産まれてからこのかた40年間ずっと不安定なのです。それが、不思議だなと思っていました。なぜ幸せになる宗教に従って、こんなにも不安定になるのだろうと、子供ながらいつも思っていました。

また、イスラム教が主流である中東地域は、オイルマネー以外の理由で経済発展している地域など皆無です。ですから、イスラム教の人々が経済発展できない理由もずっと気になっていました。

さらに言えば、イスラム教が入り込んだ地域はそれまで経済発展していてもダメになっていきます。どうしてイスラム教は経済をダメにしてしまうのか、それもずっと気になっていました。

そんな疑問をずっと抱えていたのですが、かれこれ2年ほど前、東條英利さん(東條英機元首相の曾孫)が私のその疑問に明確に、そしてシンプル教えてくださいました。

「日常の全てが神の掟(戒律・信仰)に沿うだけとなり、自分の考えを放棄し、自分で考えなくなるからです」(要約)

確かに、イスラム教は圧倒的にルールが多いです。

日本の神道から比べれば、キリスト教もイスラム教もどちらも同じようにルールが多い考えですが、キリスト教とイスラム教を比べ見ると、ルールが多くルールに従順なのは圧倒的にイスラム教です。

服装を筆頭に食べ物、礼拝、秩序、何かにつけてルールが多いのはイスラム教です。

そして、これほどまでにルールが多いからこそ、彼らは自分で考えることを放棄できるのです。

朝から晩まで、経典に書かれたルールさえ守りさえすれば神と近づけると思い込むのでしょう。

【どうして?】宗教にはまると不幸せになるの?

2017年11月30日

 

つまり、従うことの入り口となるのは、自分で考えるか否かです。

あれやれ、これやれ、そうすれば幸せになれるぞ!というHowtoに埋もれれば埋もれるほど、自分で考える機会は喪失されるということです。

だから、不幸せとなっていくだけのことですが、多くの人はそれが従うの積み重ねだと言う自覚がありません。なんなら、自分こそが「正義」という自覚だけを強くさせていくだけのことです。

そして、もっと努力だけをしちゃうんですよね。自分で考えることをせずに……。

 

学んだら、従うのではなく、実践です。

いつまでも言われた枠組みの中にいることこそが、従うことに繋がってしまうのですが、こうなってしまう人のタイプには先ほどお話しした2つの要素が欠けているように私は思います。

その2つの要素とは、「対等」と「盗む」です。

近づきたいからこそ、言われた通りにすることは必要ですが、伝授する側は意図してか意図せずか、全ての事は必ず教えないものです。

そのため、大概の人は「言った通りにやってみたけれども、どうして自分はできないのだろう……」そんな思いが生まれるはずです。

この時に、学びなるか従う人になるかの違いの1つが生まれます。

学びになる人は、師匠の言葉にしていない部分を見て真似たり、また言葉を自分のものにしていきます。また師匠のエッセンスを自分なりにアレンジして、自分流に変えていきます。

私はこれが「盗む」行為だと思ってます。

「盗む」というとあまり良い言葉のイメージはないと思いますが、そのイメージがあるからこそ、師匠の持ち合せている知識や品格を盗み取り、自分のものにしていくという行為ができないのだと思います。

盗むといってももちろん金品を盗むわけでもなく、師匠の名誉や論文を盗むのではなく、野球の盗塁のように、こっそりと進むだけのことですが、昨今はそういう行為に帯する抵抗感が持ち合せている人が多いように思ってます。

ただ、そういう感覚になるのは、単純に世の中全体が裕福だからなだけだと思います。

今の社会は1から10まで教えてくれるのが当り前だと思える状況だからなだけだと思います。

本来であれば、そんな事はあり得なくて、学び取る方法しかないんです。そして学び取る感覚であった方が、本来人はきっと伸びるはずなんです。ちなみに私が「盗む」と言っている言葉は、「学び取る」と言った方が適切かもしれないなと、今思いました。

 

従う人は、意外に努力家!

学びになる人は、師匠の言葉にしていない部分を見て真似たり、また言葉を自分のものにしていきます。また師匠のエッセンスを自分なりにアレンジして、自分流に変えていくということまで先ほどの項目で話しましたが、一方で従うになってしまう人の行動パターンはどうなるのでしょう。

従うになってしまう人は「自分の努力が足りないのだと」思い込み、師匠の言うがままの同じ事をもっと繰り返してくはずだと、私は思ってます。

つまり、従うになってしまう人は、「なぜ」を考えずに、「もっとやればきっと」と思ってしまうのでしょう。

ある意味それは良い人であり、努力家と言える人の模範例とは言えるのですが、それをもっとやればやるほど、それはただ単に教えの規律を守ることに繋がり、自分で考えることを放棄することに繋がります。

だからいつまでたっても、相変わらず不幸で不安定なままなだけです。

何事にも努力は必要ですが、向こう見ずな努力ほど、人を不幸にすることはないと私は思っています。

何か上手くいかないと思うのならそれにはそれ相応の原因があるはずで、そこに向き合う事が本来必要です。

でも、ノウハウやHow toに埋もれた現代人は、何故を考えることが極端に苦手になってしまったのですよね。

 

 

ちょっと話がそれますが、今週の月曜日から「マーケティング講座」の企画を始動しました。

どうしてこういう企画を始動したかと言えば、それは現代がノウハウに従ってばかりだからです。

ノウハウに従うのではなく、自分なりのノウハウを作れるように世の中が変わってほしいなと思ったからです。それがマーケティング的な視点ならできるかもしれないと思って、今週からお伝えしています。

㊊マーケティングって結構身近なものです☆

2019年10月7日

っていうか、さらに話が逸れそうですが……そもそも祖先のDNAのおかげで努力し続けることには長けているモノの、その努力は「考える」ことが片車輪となっていたのに、その片車輪が抜け落ちた状態で、考えることをせずひたすら努力だけしてしまうから、みんな気がつけば崖っぷちになっちゃうだけなんだと思います。

4-4.Whyを意識しなければ、問題など解決しません

2019年4月18日

 

どんどん話が逸れていきそうなので、とりあえずここで話は止めます。

まだまだ書きたい事はあるのですが、異常に長くなりそうなので今日の話はここまで。

できれば明日は「対等」についてお話しできたらと思っています。

それではまたね♪

 

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