皆の意識が変わったらよくなるのではない!
それ道理なんかじゃないですよ!
この世の中で「意識」という部分について言及していたのは、宗教とかスピリチュアルの世界だったんだけどさ、そこに真向に挑んできた政党があったんだ。
それが参政党。
だけどその実態が真逆だったことであったことは、このブログでいろいろとお話しましたが、今も参政党の表向きの主張の中には、「みんなが同じ方向に意識を向けたら世の中が変わる」っていうものがあって、そこはきっと変わってないと思います。
そして今も参政党の主張に賛同している皆さんは、その主張が道理なはずだと信じて疑わず生きていらっしゃるかと思いますが、それ道理でも何でもないんですよ…。
単なる主張であり、思い違いなんですよ。
そこについて今日はお話したく思います。
言葉なんて脆い。。。。
参政党だけじゃなくて、政治のほとんどはさ、選挙のたびに「同じ思いがあれば、良い社会は必ず築ける!だから私たちに投票してください!」って言うけどさ、それって投票のための意識付けであって、実態は「………」ってことがほとんどだよね。
特に、私と同世代の就職氷河期世代を生きてきた面々は、いちいち年代的に痛い目に合わされているというのが通常。
つまり、この時点で道理ではないと言えちゃうの。
っていうか、政治の思惑なんて結局人それぞれだしね。
あれだけ「みんなで考えて政治を作っていこう」をスローガンに掲げていた参政党だって、実情は全く違うでしょ?
つまりね……結局、言葉って脆いの。
現実を作るのは、それぞれ心の中にある「本音」であり「思い」なの。
そして、同じ方向性を見ていけば未来が開けるっていう言葉に賛同するってことは、発信者に追随する人を作るだけなんだよ。
共有するならゆるく共有するのがベストであって、同化する必要なんてどこにもない。
でも、こういう考えに賛同して嵌っていく人たちは、「百匹の猿現象」よろしく、同じ気持ちの人が一定数集まったらこじんまりとしていた物事が爆発的に広がっていくとつい思ってしまうんだよね。
だから、ついつい熱くなって頑張ってしまうけど、広がるのは宗教的価値観を共有できる人が増えるだけのことだから。
「みんなの意識が合わさったら世の中が変わる」なんて、宗教指導者の体の良い文句なだけだから。
どうか気をつけて。
「百匹目の猿」的な話だと気が付いたら、どうかそこから離れて。
その言葉は、世の中を良くするための話ではなく、その世界観を共有し支配される麻薬みたいなものだから。
前にアセンションが再熱した時に、同じく「猿現象」について書いた記事があるの。
それ貼っておくから、時間がある人は是非下記の記事もチェックしてね。
そして、当たり前の道理を大事にしていこ♪
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