自分たちがしているおかしさには気が付かなくても、他人事となるとそのおかしさには気が付くものですよね。
コロンブスもキリストも差別主義者?
先日の記事でも書きましたが
現在アメリカでは、あっちこっちで偉人の銅像が倒されています。
全ての理由は黒人差別をしたということですが……先日の記事でもお伝えしたような黒人奴隷のために頑張ったリンカーンのような偉人も一緒くたにされて倒されています。
7月4日はアメリカの独立記念日ですが(昔のアメリカはイギリスの植民地の一つとして考えられていた)、そこでは彼等のアイディンティティの要の一つになるであろうコロンブスの像が倒されました。
米国の独立記念日、バルチモアではコロンブスの像が引き倒され、海に投げ捨てられた。先住民を虐殺して土地を奪い取った暗黒の歴史に対する嫌悪感を破壊活動のカタルシスで解消しようというのか。長い歴史を所与とし、アイデンティティクライシスに悩まない日本人は幸運だ。 https://t.co/5zLcvWy0XD
— 山岡鉄秀 (@jcn92977110) July 6, 2020
倒される瞬間はこちらで↓
Antifa destroyed the Columbus statue in Baltimore’s Little Italy. pic.twitter.com/hQwWDGK5Rr
— Ian Miles Cheong (@stillgray) July 5, 2020
以前の記事で、「これは差別運動でもなんでもなく文化大革命と同じ」とお伝えさせて頂きましたが、文化大革命をこじらせると(過去を何から何まで否定していくと)、みな知らず知らずのうちに自虐史観になるのだなと思いました。
アメリカという土地にはいろいろなことがあって今があります。
ですがそれを否定しても今が改善するわけではありません。
今やアメリカの左派系活動家の間ではコロンブスもキリストも差別主義者ということで無かったことにしよう(否定しよう)ということになっているのですが、そこを否定したのなら、今の自分の存在も否定せずにはいられないでしょう。
そもそもコロンブスがいなければ、アメリカに白人が移住するということはなかったのですから。
過去の人の存在を否定するということは、結果論的に言えば、今の自分を否定することにつながり、否定しても消えない自分の矛盾を作るだけです。
でも、どうしてなのか革命思想に捕らわれるとこの矛盾が分からなくなります。
そして、何かにつけて「否定することが正しい」ということに落ち着くわけですが、否定したからと言って何か良い方向に変わる訳でもありません。
ただ多くの人が生き辛くなるだけです。
アメリカの状況を見ていれば、それは良く分かると思います。
ただこれは…戦後の日本がずっと当り前に続けていることですよね。
日本の左派も、日本の文化や歴史のあらゆることを否定し続けています。その否定の考えは学校教育にも取り入れられ、私たちは満遍なく自虐史観を植え付けられました。
国旗を否定し、国家を否定し、神社を否定し、天皇を否定しと……。
アメリカで起きたこの騒動を自分たちに当てはめ直してみると、このようなアイディンティティに関わる部分の否定の無意味さがよく分かります。
あっ……ちなみに日本に自虐史観を植え付けたのは、戦後のGHQ……つまりアメリカなんですけどね。
あれから75年の時が経過して、アメリカがまるでかつての日本のように真っ赤な自虐史観に染まってしまうとは思っていませんでしたが……これも因果応報・自業自得ということなのでしょうか。。
不思議だなとは思いますが、他人の振り見て我が不利直せで、自虐史観の無意味さに気がついてくれる人が増えたら良いなと思ってます。
そして、祖先が紡いできた歴史を素直に受け容れて、社会を発展させる方向で頑張りたいですね。
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こんにちは。
此度の騒動は行き過ぎた個人主義の弊害と感じています。
日本とアメリカの「個人」に対する考え方や向き合い方の違いが、わかりやすく表に出たように思います。
アメリカは「自尊心」を主軸としているように思えますが、
日本はそれ以前の「自重(じちょう)」が肝心とわかっているのではないかと。
車など通る様子のない交差点でも赤信号を守って渡らないような国民性がそれを物語っていると思います。
今の武漢ウィルス禍の対応でも、多くの国民の中でそのような素養が発揮されているように感じます。
(もちろん例外的な行動をとる人達(行き過ぎた個人主義)もいますが)
自尊心が大事な時もありますが、そこはやはり自重しての話でなければならないと思います。
個人的には「プライド」と「誇り」のニュアンスの違いもそこに感じています。
「自尊心」にはどうしても排他的な側面もありますから、高くなればなるほど左派との親和性も高くなるでしょうし、左派はそれを織り込み済みで「自尊心」を煽ってきます。
その結果不満が膨らむという構図。正に左派の狙い通り。
自分が自分でいられるために「自重(じちょう)」の概念が染みついた日本人で良かったと最近は特に思います。
こんにちは!なるほどですね。
自虐史観の歴史は日本の方が長いのに、ほんのちょっと刺激が与えられたアメリカでは日本の上を行く自虐史観の行動が散見されて、その理由が分からずにいたのですが、頂いたコメントで腑に落ち巻いた。
自重があるから表に現われないというか、アメリカのような馬鹿騒ぎにはならないということなんですね。
教えてくださりありがとうございます。
これからも宜しくお願い致します。