【こっちのが幸せ】国の為、道の為に生きる

ドラマJINで繰り返し使われた台詞が、ようやく響く器になってきたようです。

 

JINの再放送、絶好調みたいですね。

かれこれ3年程前、ひょんなことから空前絶後の大沢たかおブームが、私に訪れたことがありました。

 

そしてその時にJINを見直して「空前絶後の大沢たかおブームの理由はこれだったのか?!」腑に落ちる思いに駆られるようになりました。

 

そしてその頃から、「ここから日本はJINの時のような動乱(江戸幕末の動乱)が始まる」と確信するようになり、「JINを例題に対処せねばならない」という思いを抱えて生きるようになりました。

↓このことについて、詳しく解説した記事↓

【波動が上がると…】動乱の世になるとは言ってたけれど……。

2019年11月13日

 

そして、あれから3年ほどの月日が経過したわけですが………「まさに!」と言える日々が始まってますよね。

さらに、テレビ番組の制作ができなくなった現状において、ドラマの再放送は鉄板のアイテムとなっておりますが、そんな再放送ドラマの中でも、JINの視聴率がすこぶる高いことが話題になっているのも、3年前のあのお告げ通りかなと思わずにはいられません。

ちなみに私の住む愛知でも、土日はJINの再放送が行われており、今日も再放送されていました。

私は3年前にしっかり見直したので、今は再放送を見直す気もないのですが(っていうか見直したくなったらAMAZONで見れるし)…親が見ていたので、チラ見した場面があり…それが結論のところ「ズバっ!」と響いてしまいましたので、今この記事を書いています。

3年前には見落としていた言葉(特段自分には響いていない言葉)が響いている自分に驚いて、記事を書いています。

 

国の為、道の為

ということで本題。

私が今日たまたまJINを見て胸に刺さったのはこのシーンでした。

上の写真は、ちょっと分かりずらいと思いますが…仁先生がみんなに迷惑をかけるから診療所を閉めたいと言い出した時、診療所の医師・山田先生が「医療は国の為、道の為です」と反論したシーンです。

山田先生は、緒方洪庵先生の元で学びもともと仁先生と敵対していた人でした。ですが山田先生はコロリ(コレラ)になった時に仁先生に助けられまして、そこから態度が変わります。ペニシリンが消滅しそうになった時にも、体を張ってペニシリンを守り抜いたのは山田先生でした。

ちなみに本日山田先生が発した言葉は、恩師・緒方洪庵が常々言っていた言葉です。

それが

国の為、道の為

です。

 

 

この3年の成長を実感!!

ただ、3年前の私にはその言葉はまだ響かなかったのですね。

でも、あれから3年経った今は、滅茶苦茶響くようになりました。

 

その訳は、3年前にJINを見たからだと思います。(ちょっと分かりにくい表現かもしれませんがお付き合いください。)

私は3年前にJINを見た時に、「もう一度日本に生まれてきたい、そんな国にしたい」という龍馬さんの言葉が滅茶苦茶響きました。

↓その時の記事↓

 

私も龍馬さんを見習って、「生まれ変わっても、またこの星に生まれたいと思う星にしたい」と思うようになって、微力ながら精一杯その思いでこの3年間歩んできました。

だから、ようやく「国の為、道の為」という言葉が全身に響いたのだと思います。

 

つまり、3年前の気付きと供に成長した結果、ようやく「国の為、道の為」という言葉が響く器になったのかもしれないと…私個人は思ってます。

 

また今回「国の為、道の為」という言葉を聞きなおして思ったことは、「こっちの生き方の方が幸せだ」ということ。

 

我を忘れ、国の為、道の為と生ききった方が圧倒的に幸せだということ。

 

「生まれ変わっても、またこの星に生まれたいと思う星にしたい」とい目標を持ち合わせてから私は、星の為、国の為、道(波動)の為と思い生きてきました。

だから、ようやくこの言葉が腑に落ちるし、腑に落ちた上でこっちのが幸せだと思えるのだと思います。

 

私たちは小さな頃から人生は自分の為と教えられてきました。

ですから、国の為とか道の為なんて、なんて下劣な思想なのだと思う人がいるかもしれません。

もちろん私も皆さんと同じように「人生は自分の為」と思い生きてきました。

でも……ぶっちゃけ「自分の為」に生きるよりも「国の為、道の為」に生き直してからの方が、圧倒的に人生が楽で幸せです。

 

犠牲になるだけに見える「国の為、道の為」の人生の方が、なぜか心は楽で、なぜか幸せです。

 

このような自分の変化を見直してみて分かる事は、自分を思えば思うほど自我が発達し、本来の自分というものから離れてしまうのだなぁということです。

逆に自我を失う方向に舵を切れば、常に本来の自分と人生を共にできるようになるのだなぁと、より深く実感しています。

↓自分と自我の違いについて、詳しく説明した記事↓

【考察】自分と自我の大きな違い

2017年11月28日

 

結局、自分というのは自然の一分と思えるくらいが丁度良くて、その丁度良さが馴染むと国の為、道の為に人生を捧げられるようになり、それができると随分人の生き心地は楽なのだなと改めて実感し直しております。

なかなか理解してもらい辛い感覚かもしれませんが、同じ感覚の境地になる現代人が増えることを祈ってます。またこの心持で生きられた祖先というのは、私たちより随分幸せのニルバーナで生活していたのだなぁと改めて思っています。

やっぱり現代人の思考性こそが、人々の心持を不幸に追いやる元凶かもしれませんね。

祖先の足跡を紐解いて、自分に活かして楽に幸せに!!!……できれば立派にもなって、生きていきたいものですね!

 

年に一度の無料セミナー!

登録後すぐに視聴できます☆年に一度ですから、是非ご参加ください☆

↓登録済の方はこちらで動画をチェックしてね♪↓

 

 

本を発売しています。

変化が大きい今の時代にオススメの一冊です☆

書籍情報はこちらから→ほんの少し見方を変えたら~ようやく本質に戻れる時代の中で~

電子書籍は半額以下のお値段で購入できます。

↓電子書籍はこちらから、縦書きと横書きがあります。
【縦書き】

【横書き】

2 件のコメント

  • マズローの欲求6段階目、自己超越欲求でしょうか。
    段階を上がるごとに自己から離れていき、幸福感が増します。
    とはいえ、私はまだまだですが笑

    • おはようございます。
      西洋の心理学はあまり詳しくないのですが、多分そういう感じなのでしょうね。
      西洋の心理学の側面から入るとここに辿り着くのは難しいことに見えますが、祖先の生き方を見習い歩いているうちに自然とそこにはまるというか……多分昔の日本人の多くはこういう状態で生きていたのだろうと思います。
      祖先を見習い、同じ体感をしていきていきたいですね。

      それではこれからも宜しくお願い致します。

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

    CAPTCHA


    このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください