御蔵島から帰ってきて、最初に目に入ったニュースが「首里城全焼」でした。
まさか放火?沖縄行政は杜撰で図々しい?
昨日の朝のニュースは本当に驚きました。
沖縄の首里城が全焼してしまいましたね。
私は宿のテレビ(スッキリ)にて、初めてその事を知りまして、その時は電気系統の異常なのではと言われていましたが、どんどん情報が上がってくるに連れて、放火の可能性も拭えなくなりましたね。
さらに、沖縄県の杜撰な対応もどんどん明らかになってきました。
管理が県に変わった途端に起きたこの出来事。
沖縄県の方々は非常に悲しんでおられることと思いますが、沖縄行政の管理の甘さが引き起こしてしまった事態という言い方ができるのではないのでしょうか。
首里城、スプリンクラーなし 推奨も管理者把握せず
31日火災で焼失した首里城。防災設備は消火器や屋内消火栓、屋内消火栓ポンプユニット、放水銃、ドレンチャー設備などがあったが、スプリンクラーなどの消火設備は設置されていなかった。那覇市消防局によると、消防法によるスプリンクラーの設置義務はないが、文部科学省は今年9月に文化財にスプリンクラーの設置を推奨する文書を配布した。指定管理者の美ら島財団首里城公園管理部首里城事業課の町田宗紀課長は文書について「把握していない」と述べた。沖縄総合事務局がスプリンクラーなどの消火設備が設置されなかった経緯などについて確認を急いでいる。(略
那覇市消防局や那覇署によると、火災発生時の敷地内には警備員3人がいた。午前2時34分に正殿の防犯センサーが作動し、警備員が駆け付けると、正殿内で煙が上がっていたという。(略
首里城正殿などの有料区域は19年2月、国から県に管理が移行された。県は19年2月1日から23年1月31日までの間、沖縄美ら島財団を指定管理者に指定している。(以下略
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191101-00000001-ryu-oki
重要な建物が焼失してしまい、私も悲しんではいますが、沖縄県知事の行動をみていると、その気持ちは一気に失せてしまいます。
行政として、反省や謝罪をする必要性はあると思うし、また原因究明こそまずは徹底するべきだと思うのですが、知事は支援の要求だけに熱心です。
ついこないだまで独立するとか、一国二制度とか言ってなかったでしょうか?この知事。
愛知県知事もそうですが、ダブルスタンダードの極みだなと、改めて思いました。
マスメディアの自粛ムードに乗せられないように。
こういう時にこういう記事を書くのは如何なものかと思う方もいらっしゃると思いましたが、そういうマスメディアの論調に乗せられてはいけないなと、山野本さん(沖縄県の方)のブログを見て強く思ったので、書かせて頂きました。
こちら↓が山野本さんのブログ記事です。一部引用させて頂きます。
人はそれでも生きていく。~自粛ムードを強要するのは間違いです~
そうそう、このタイミングであまり言及はしたくないのですが、
沖縄は今、県民にとって大切なシンボル、心の支えを失って多くの人たちが
残念な気持ちを抱えていると思います。僕にとっても思い入れのある場所でもあり、やはり残念な気持ちでもあるのですが、
だからと言って、必要以上に
「悲しい悲しい」「残念」とマスコミがこぞって煽るのはいかがなものでしょうか。僕の家の隣に住む80代のおばぁ(首里出身)は、沖縄の地上戦と今回の2度、
あの首里城の焼失を経験しているのですが、昨日、廊下で他のおばあと井戸端会議をしていて、
2人はそのニュースに心を痛めながらも、
「でもね消えてしまったものは仕方ないし、次は火災に負けない造りにしたらいいさ~ね~。
それに今日はね、新しく出来たパン屋さんの行列に並びに行かないといけないからね、
そっちのほうが私にとっては大切さぁ~。」と穏やかに仰っていたのが印象的でした。なんだかね、とても健全なんですよ。
いくら県民のシンボルを失ってショックだったとしても、県民には県民それぞれに与えられた
その日1日のやるべきこと、大切にすべき生活があり、
それを素直に表現できている隣のおばぁが微笑ましくもあり、
そういう姿が健全で素敵に思えたのです。県民全体が自粛ムード、とにかく神妙で悲しくあるべき・・・という姿ばかりを
無言の圧力で強要しながらマスコミ一同が全国へ発信していますが、
実際、僕の周りの人たちは、今与えられている生活を生きることで精一杯ですし、
そこまで自粛ムードのような悲しい気持ちではありません。
何故なら、今、この瞬間、やらなければいけない仕事や生活が目の前にあるからです。
祈りの効果発揮せず……。
後、こういう時にネタにするのもなんだかなぁと思ったのですが、このニュースを見た時に私が一番に思い出したのが、去年の冬至の祈りのことでした。
首里城の付近で行われたあのインチキイベント。
あの頃「祈りで世界を救う」くらいの事を言ってたかと思うのですが、それから一年も経たないうちに起きた出来事は首里城の喪失でしたね。
そもそも言っていることが滅茶苦茶で、インチキなのはあからさまだから今さら取り上げるのもなんだかなぁとは思ったのですが
あの祈りはなんら効果のないものであり、もしかするとあの祈りこそが火種となって起きたなんて言い方もできるかもしれないなぁと、私は思ったので敢えて取り上げ直しました。
ちなみにさとうみつろう君は
首里城を何度も復興させているうちに、うちなんちゅはたくましくなったのだ。
首里城の復興の歴史こそが、
うちなんちゅの「たくましさ」のミナモトなのだ。
と書かれておられましたが、今回の事で首里城が再建された全貌を見るとなんだかなぁと私は思ってしまいます。
だって1992年も国費が使われた上で再建し、今回喪失した首里城も国費で再建する方向になっているからです。
国費を使う事に反対しているわけではないのですが、この言いぶりは「まるで、沖縄県だけでやっている」という言い方に聞こえるので、誤解を生むのではないかなと思います。
それからちょっと話はそれますが、やたらと沖縄県民アピールする彼ですが、実は沖縄の信仰について滅茶苦茶疎いことは、沖縄の人たちからやたら指摘されています。
正直な所、今回の首里城の喪失に関しても、さとうみつろう君は信仰あるふりをしながら間違った情報をどんどん拡散させるだろうなと思っているので、先に指摘しておきます。
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まさしく、人災ですよね。ヒューマンエラーが積み重なっている。
今もなお、機能している武田信玄公の信玄堤や徳川家康公の利根川東遷事業を思えば、国家百年の計をできる人を増やしていかないといけないと思います。
こんばんは。
そうですよね。悲しむ前に、反省が必要な物事だと思います。
治水こそが国家運営の基礎と先人たちはやり続けていたのに、コンクリートから人へというスローガンと供に、現代人は大切な事を見失ってしまいましたよね。
それではこれからも宜しくお願い致します。
竹久さん、暴いていきますねぇ。ナイス暴きです。
記事の人達は日本国民を欺けると思ってるんですかねぇ。
天罰が下っても知りませんよ。
別件ですが「波動とエゴの法則を書いた本」をやっと読み出しました。
まだ33頁目なんですけど。途中で「量子力学でも確認できている」と書かれてあって、
馴染める感覚なので大変有難いです。
もちろん「量子力学的な見解とは違う」ことを断わっていただいてるので、
頭をフラットにして楽しめそうです。
沢山勉強させていただきますね。
おはようございます。
ナイス暴きと言って頂きありがとうございます。
コメントを頂き、以前「いわゆる視える人」から、「あなたの任務は暴くなのね」と、突如ぼそっと言われたことを突然思い出しまして、任務実行できている感が増しました(笑)
本もお読みくださりありがとうございます。
あの本は、私1人で編集し校正しているため、文字の間違いがあったり読みづらい部分もあるかと思いますが、どうぞご容赦ください。
内容的には自信がありますので……(^^;)
それではこれからも宜しくお願い致します。
こんにちは
そもそも、最初のお城は日本(大和?)が作ったんですかね?
私もご自分らが主導で再建が一番「沖縄県の誇り」を保てると思います。
おはようございます。
創建されたのは13世紀頃で、当時の琉球王朝が建設したとwikiでは書いてあるので、大和王朝は拘わっていないだろうと思います。
ただ明治の段階からは、日本で管理することになっているので、そこからの再建などは本土が手を貸しているはずです。
ちなみに、今回の全焼の際に、「首里城は戦争で焼かれたものの沖縄は再建した」みたいなことさとうみつろう氏は誇らしげに言ってましたが、大阪城も名古屋城も戦争で焼かれましたよ。ですが、当り前に再建しており、そしてそれを自慢するような事はないです。
また大阪城の再建は市民の寄付だけで行っていたはずですし、現在名古屋城は木像建築に戻そうと頑張っておりますが、これも名古屋市民税で賄う形で話が進んでいます。
ですから、さとう氏の発信は非常にイラッとしました。
記事ではそこまで書くのを止めたけれども、悶々としてたので話ふってくれてありがとうございます。
これからも宜しくお願い致します。
政治や波動の記事など、いつも参考にさせていただいています。
さとうみつろう氏の件について、「あの祈りこそが火種となって起きたなんて言い方もできるかもしれないなぁと、私は思った」とのことですが、だとしたら許し難いですね。
昨年の首里城公園での祈りのイベントはともかく、御嶽を荒らす行為には苦々しく感じたものです。御嶽を荒らしたのみならず、あの祈りこそが火種となって首里城が焼失したのだとしたら許せません。
記事の中で、山野本さんのブログ記事とさとうみつろう氏の記事が引用されており、その内容自体は同じ方向性を向いてるように感じてしまい、あの祈りが火種になったという理由がよくわからなかったので、その理由についてご解説いただけると幸いです。
おはようございます。
「あの祈りこそが火種となって起きたなんて言い方もできるかもしれないなぁと、私は思った」というのは、私個人の感想であり、見えない世界の事なので確証あるものではありません。
ただ、波動的に言うと我欲の強い祈りが聖地の波動を汚すことは容易に考えられるので、このような解釈になりました。
山野本さんもみつろう氏も沖縄の方で、どちらも前向きな気持ちを持って行動しましょう的な事を書いていたので、同じ方向性を向いているように見えるかもしれません。
ただみつろう氏の場合は、こういった出来事をきっかけに間違った解釈を拡散させていく傾向があります(というかいつも間違った情報を伝え始めた挙げ句、自身の金儲けに転換されます)。
私が危惧しているのはその点です。
こちらの記事の中にあるリンクでは、去年の12月に行われた首里城の祈りが如何にいい加減で嘘つき内容だったのか、また彼に如何に信仰心がないのか書かせて頂いておりますので、合わせてそれをお読み頂けると、理解が深まるかなと思います。
またこのサイトの検索窓で「さとうみつろう」と検索してもらえれば、彼に関する該当記事出てきますので、そちらも読んで頂ければと思います。
それではこれからも宜しくお願い致します。