【戦後教育の後遺症】世界のスタンダードを知らなさすぎること。

戦後教育は、日本は下劣な人、国旗は汚い物、君が代は悪い歌という印象を積み重ねさせられます。

このような教育を受けて育ってしまっているから、世界のスタンダードがわからなかったり、露骨な嫌がらせを受けていても気がつかない残念な大人が量産されることになります。

 

国旗は、国家の顔です。

戦後教育を受けた私たちは、国旗どころか、国家の枠組みがなんなのか分からないまま年を重ね大人になります。

国旗の大切さなんてもっと分かりません。

数年前までの私は、こういう写真を見てもポカンとしていました。

今ならこの写真を見ただけで怒りがすぐに湧くのに、数年前の私は、この写真を見ても何が問題かすら分かりませんでした。

かれこれ4,5年前、日韓について調べ始めた頃の私は、まだまだお花畑で、まだまだお左翼で、国旗の重大性に気がついていなかったのです。

だから、この写真の何がいけないかすら分からず、怒りすら込み上げず、ぽかんとしていました。

戦後教育の恐ろしさは、こういう所にあると思います。

日韓友情というスローガンが掲げられながら、平気で日章旗を踏む行為をされる。こんな事をされていても、それが問題であると感じられないのです。

グローバルとか言う国際基準を重んじた環境下で生きざるを得ないのに、国旗がどのような意味合いを持ち合せるものなのかすら、分からないのです。

皆さんがどうかは分かりませんが……私は全然このような認識が育まれずに大人になりました。つまり、少なくとも私には、当り前のグローバルスタンダードは育成されていませんでした!

 

「国旗を踏まれても何も感じない、こういう感覚は私だけなのかな?」と当時の私は、あまりに世の中の基準を知らない自分をもの凄く恥じると同時に、突如不安になりましたが、現在展開されているあいちトリエンナーレの現状を見ている限り、そう思わない人が多数存在している国家だからこそ、あんな糞イベントに多額の税金が投入されてしまうのでしょう。

 

つまり、私たちは、世界中の国の人が当り前に理解している「国家の本質」や「国旗の本質」というごくごく当り前のスタンダードな常識を理解できないまま、大人になっているのです。

これが民族としての、そしてこの国家に属する個々人の危機的な問題だと、今の私は思います。

本来国旗とは下記に引用する本質があって、存在しています。

国家にとって国旗とは、人間にとっての顔にあたるものです。顔を見れば、誰それだと分かるように、ユニオン・ジャックを見れば、すぐイギリスを連想します。また、顔にはその人の個性や人生経験が刻まれているように、国旗にもその国の文化や歴史が反映されています。

~国旗と国家~ より

それが分からないまま多くの日本人が、したり顔で大人になってしまうからこそ、本来問題になるはずもない問題を、多様性という馬鹿馬鹿しい軸を用いて論議せざるを得ない事態になっています。

これこそが、現代日本の由々しき問題でしょう。

グローバルスタンダードで考えた時、国旗を冒涜することは、その国の宗教を否定する以上の問題なのに、それが分からない。

にも関わらず、この日本ではその基礎的なことが分からない人たちほど、グローバルスタンダードや世界平和を主張したがります。

これが如何におかしなことか、気がついた人から改めていきましょう。

 

表現の不自由展は、法律違反です。

私たち日本人は、韓国人のパフォーマンスに慣れすすぎてしまっているせいか、

国旗の冒涜に不干渉になり過ぎてしまっていると思います。

しかしながら、こういった行為は、世界的に許されるものではありません。

また日本の法律においては、外国旗に対して冒涜行為をするものは、犯罪として法律で定められています。

 

つまり、星条旗をこのような形で表現したあのお方の作品は、

表現の自由どうのこうのの前に、表現の不自由を訴える前に、我国においては犯罪です。

犯罪を表現の自由と認めることの方がおかしくないですか?

なんでも表現の自由として許されるのなら、テロも殺人も許さなくてはならないことになります。

それを阻止し、秩序を守るために、法律があり、その規範の中で私たちは暮らしているのです。

 

ただ、このような事が起きてしまうのは、私たちの日常があまりに国旗を軽視しているからです。

まずはそこから変えていきましょう。

 

ちなみに、外国国章損壊罪は、その国旗を損壊されたと外国側が訴えてくれない限り、犯罪にはなりません。

ぶっちゃけ、私はこの機会にアメリカから訴えられたいなと思います。

 

それぐらいの事が起きないと、日本国旗の大切さ、各国の旗の大切さというものが分からない残念な民族になってしまうと思うのです。

 

自分の国を大切にできる人は、他国の事も大切にできます。

自国を大切にできない人は、他国も大切にできない。

そして、周囲を思いやることができないからこそ、人から大切にされることもなく、不自由な日常となっていくのでしょう。

あの展覧会の思想の中には、人生が不自由になる思想が沢山詰め込まれていると思いました。

 

不自由を主張するのではなく、不自由である自分の理由をまずは省みることですよね。

また、世界平和を求めるのなら、最低限のグローバルスタンダードな秩序をふまえなければならないのは当り前のことですよね。

世界平和を望みながらトラブルばかりを作り出す、彼らの言動の根源たるものが、あの展覧会にはあったように思います。

 

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