※こちらは、以前私がアダルトチルドレン(現在の自分の生きづらさが親との関係に起因すると認めた人)の問題に向き合っていた時に書いた内容を掲出しています。できれば最初からお読み頂ければと思います。→0.はじめに
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アダルトチルドレンは国民病?!
第五章 アダチル連鎖を断ち切るために
5-2.みんな次の世代のために頑張ってくれたから
何かしらにつけて加害と被害を区別して、被害者を優遇することに躍起になっていた時代であるこの四半世紀を過ごした私たちは、被害者としての主張をすることを当たり前のこととして思いがちです。
親子関係ということであれば、その力の差は圧倒的なものであって当然であり、この思考性で考えれば、必ず親は加害者となり子供は被害者となります。
しかし、それでは絶対に解決には至らないと思い、時代を遡った上で「解決できない理由」を書き連ねさせて頂きました。ただこのままでは、解決の糸口が見えないままになってしまいますので、過去に生きた日本人の歴史の中から解決の糸口を見つけていきたいと思います。
そこで、第二章でも紹介したパール博士の言葉に書かれていた「広島原爆乙女」の言葉を紹介したいと思います。
この博士の講演に引き続き無残にも悪魔のツメアトも生々しい4名の原爆乙女が壇上に立った。ケロイドで引きつった顔に黒眼鏡をかけた佐古美智子さん(当時20才)が、
「わたしたちは、過去7年の間原爆症のために苦しんできましたが、おそらくこの十字架はなほ長く続くと思われます。しかし、わたしたちは誰をも恨み、憎んではいません。ただ、わたしたちの率直な願いは、再びこんな悲劇が世界の何処にも起こらないようにということです・・・。」
と、涙にふるえながらメッセージを読みあげれば、会場は感動のルツボと化し、嵐のような拍手が鳴りやまなかった。感極まった比島代表のアンヘルス氏が原爆 犠牲者に一分の黙祷を提案した。一同起立して、黙祷を捧げた。
この言葉は昭和二十七年(一九五二年)にパール判事が来日され、広島の爆心地・本川小学校で開かれた世界連邦アジア会議での言葉です。この頃は、原爆に巻き込まれた女性を「被害者」と言って区別する感覚もなければ、原爆に合われた乙女の心の中にも「被害者」という感覚を持ち合わせていないことがよく分かります。
当時二十歳だった佐古美智子さんは、与えられた現実をただ受け止め、それでも生きていく覚悟をして、そして、全体としてどうしたら良いか実直に考えた上で発言してくださっています。
現代人に欠落しているのは、このような感覚なのだろうと、私は思います。
原爆によってケロイドで引きつった顔になってしまった佐古美智子さんは、それでも「誰をも恨み、憎んではいません」と言いました。そして、「再びこんな悲劇が世界の何処にも起こらないように」と願ってくださいました。
私たちがするべきこともこれではないのでしょうか。
加害者と被害者をはっきりさせることに躍起になるのではなく、たとえ犠牲になったとしてでも、自分の人生を嘆くことなく、全体としてこれからどうするべきかを考えることが必要なのではないのでしょうか。
「パール博士のことば」には、戦中に大人であった人たちが「子孫のために、歴史を明確に正さなくては」と奮闘されている事実が沢山残されていました。
その努力空しく、一時的に私たちの歴史観は欧米主観による自虐史観に圧倒されました。しかし、当時の人が必死になって紡いでくださった言葉が今になって芽を吹くように表に上がってきています。
また、先の大戦で必死に戦ってくれた祖先も同様の思いだったことでしょう。我人生を捨ててでも、子孫のためにこの国を残さなければと、一生懸命戦ってくれたのだと思います。
現代を生きる私たちは、いつも自分のことばかり。
自分の人生が自分の思うような幸福で彩られているかばかりが気になって、そうでなければ悪態をつきますが、自分のことばかりを考えているからこそ、私たちは怒りと恐怖で雁字搦めになっているのだと思います。
集団のために自分が犠牲になるという考えは、古臭い考えだと思う人がいるかもしれません。
特に個人崇拝主義パラダイスとなってしまった現代日本においては、抵抗を感じる人が多いと思います。
しかしながら、日本の歴史を紐解いてみて痛感するのは、私たちの人生や日常というのは、常に誰かの犠牲があってこそ成り立っているのです。
幕末の動乱からかれこれ160年。あの時から日本は変化の激しい世界を生き抜くことを強いられています。
そして、少なくともこの160年の日本人の命というのは、変わりゆく世界の中で、日本が日本であり続けるように祖先たちが犠牲となって築き上げてくれたものでしかありません。
祖先たちが未来の日本を憂い思い、その為に自分たちが犠牲となって日本を守り続けてくれたから今があるだけということを、現代人の私たちだけがすっかり忘れています。
また老害とも呼ばれる団塊世代の人たちも、国の復興のために様々な部分で犠牲になってくれたからこそ今があることは、やっぱり忘れてはいけません。
私たちの不平不満の多くは、犠牲になるという覚悟なく、自己都合甚だしい自己実現というものに注視するからこそ生まれている部分も沢山あると思います。そこをまず乗り越える気概が私たちに必要なのでないのでしょうか。
少し話が逸れるのですが、私はあることがきっかけで七年前から精神世界とどっぷり向き合うようになりました。そして、現代人が抱えている不平不満の種を解き明かしていくことが、ライフワークの一つになりました。
通常精神世界に向き合おうとする時、多くの人は自己の幸せのために始める方が多いかと思いますが、私の場合は逆でした。
「自分の人生が犠牲になるだけで済むならいいか」と思って始めました。
精神世界と本気で向き合うには覚悟が必要だと思ったからこそ、自己の幸せの追求の全てを頭から追い払い、自分が犠牲になっても良いという決断を持って進んで参りました。
結果、これが良かったのだと素直に思います。
「自分がどうなるのか」という視点を持ち合わせている限り、視野は狭まれます。さらに心は恐怖で充ち満ちていきます。
一方、死ぬことも厭わない覚悟を持って物事に望むと、視野が広がり全体が見えてきます。さらに、いつ死んだって良い、自分の評価などどうでも良いと思っているので、日常に蔓延る様々な恐怖が自分の元から姿を消していきます。
すると、生活が滅茶苦茶シンプルになっていきます。私の場合は、精神世界と向き合うことでこびり付いていたプライドやエゴがべしべしと剥がれていったので、幸せを恒常的に感じられるまでになってしまいました。「犠牲になると言ってた割にすみません」って謝罪しなくてはならない程、恒常的に幸せを感じられるようになりました。犠牲という言葉に過度にセンシティブになる傾向が昨今の日本にはありますが、だからこそ自分のことしか考えられなくなってしまって苦しんでしまっているケースは多々あると思っています。そして、この意識から外れるためには、犠牲になってもいいという心持ちは必要不可欠でもあると思っています。
少なくともこの160年祖先は文句も言わず、この国の未来の為に、いつか生まれる私たちの為に犠牲になってくれたことを、私たちはしっかりと心に刻むべきだと思っています。
だからこそ、同じような気概を持ち合わせて、私たちもアダチルの現状と向き合い克服するために奔走するべきではなかろうかと、切に思うのです。
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