【気にしてみよう!】漢字に秘められた真意

文章を書く仕事をしているあるあるなのですが、

文章を見すぎて、文字が文字に見えなくなる時があります。

まるで、文字が暗号のように見えてくる時があるのですよね。

この文字ってどうしてこんな形をしてるんだろうっていう、文章とは全く関係の無い所に興味が嵌まって帰ってこれないのもしばしば……。

 

ということで、特に最近気になってる、私の中に宿る「漢字の暗号」について徒然書いてみたいなと思います。

 

最近、気になって仕方がない漢字

漢字は、遙か昔の中国大陸からやってきました。

だから、漢字は結構、古の中国大陸の趣が感じられる部分があるのかなと思ったりしてます。

たとえば「国」という文字は、中国らしさを象徴した漢字ですよね。

だから、「王の周りを塀で囲むという形」をしているんですよね。

日本は、城の外に城下町が生まれ、城の外も国なのですが、中国だけで無くヨーロッパなど地球の多くの国は、城の外に人が住むのは危険だったので、民も塀の中に住み、だからこそ、城の塀の規模が大きかったそうです。

万里の長城などがまさにその象徴と言えるでしょう。

塀で囲んだ中が国という概念が、中国にはあるので、「国」という漢字が生まれたそうです。

日本の概念とは少し違いますが、国という文字を私たちも使っています。

こんな風に、中国で生まれて、中国概念のまま使用している漢字もあれば、日本独自で生まれた漢字である「和製漢字」もあります。

私は漢字学者ではないので、今からお伝えする漢字が中国から来た物か、和製漢字なのかは分からないのですが、この漢字を作った人の気持ちを想像してしまう感覚がどうにもこうにも収まらないので、ただただ、私が最近気になってる漢字をお伝えして、そこからどうにもこうにも感じてしまう感情について徒然お伝えさせて頂ければと思います。

 

「儲かる」って「信者」って書くんだね。

気がつくまで、書くの大変な漢字だなぁって思ってたんですが、気がついた瞬間から、儲かるってそういうことかと、腑に落ちた気分です。

特に今年から、めっちゃくちゃ偽スピリチュアルとうい分野に人知れずのめり込んでしまい、

そして、儲かっている教祖さまは、必ず多数の「信者」さんを抱えている事にも気がつくことになっていき、

だから、最近は「儲かる」って言葉を見るたびに、少々げんなりするところがあります。

また、私の周囲は「儲かってはないけれど、まぁ生きていけるだけのお金はあるよ」っていう人ばかりなのですが、文字の中に「信者」という言葉を見た時に、なぜかこれまた腑に落ちる気分になりました。

この漢字を作った当時は、現代主流の「ファン」という言葉はなかったでしょうから、「ファン」=「信者」という言葉から「儲かる」になったのかもしれませんが、ビジネススキームとしては、過去も今も一緒なんだろうなと、突然開眼する気分になりました。

 

人の為って「偽」なんだね。

今時に生きる私たちは、二言目には「人の為」と言いたがります。

これまた偽スピリチュアルに向き合って気がついてしまったのですが、「人の為」と書いて、「偽」という漢字になります。

「人の為」と言っている人ほど、「偽」だという真実を見抜いた上で作られた言葉なんだろうなと思うようになりました。

結局、「人の為」と口にしている人ほど、「偽」って事なんでしょうね。

そう言えば、私が調べた偽スピリチュアルな教祖さまは、やたらと「みんなを幸せにしたい」と四六時中言っているように思います。

これこそが「偽」ということを、昔の人は知っていたんだろうなと思います。

 

不正すると「歪み(ゆがみ)」、「歪(いびつ)」になるんだね。

歪みという漢字が「不正」と書いていることに、最近まで全然気がつかなかったのですが、「不正」と書いて「歪み」や「歪」と読む事に気がついてからは、この文字を見る度に、福沢諭吉の「脱亜論」の一言が頭に浮かんで仕方がありません。

ここです。

悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。

↓関連記事↓

【学ぼう】福沢諭吉が危惧した朝鮮メンタル⑤

日本人は相手を分かろうとする気持ちが人一倍強い民族です。でもだからと言って、相手の悪事を受け入れることは、自分の心に「歪」を発生する契機になっているのだろうと、心底思うようになりました。

 

身を美しくすることが「躾(しつけ)」なんだよね。

最近、パワハラという言葉が世の中で話題の中心になっていますね。

いつの頃からか、躾というものは、上位にいる者が下位にいる者をコントロールするためのものに成り代わってしまっていると思うのですが、

本来のしつけは「身を美しく」するための作法だったのだと、この漢字のおかげで気がつけました。

そして、この言葉が本来持ち合わせているであろう意味に気がついてからは、人に何か助言する際にも、「相手の身を美しくする言葉になっているだろうか」ということが、とても気になるようになりました。

「躾」という漢字の美しさに気がつくまでは、しつけという音の響きが嫌いで嫌いで仕方なかった私ですが、この漢字の美しさに気がついてからは、古の人のように、身を美しくするしつけを心がけようと思えるようになりました。

 

日の上に立つ心が「意」だったんだよね。

私の言葉には、「意」という漢字が目立ちます。

意志、意識、決意、意外などなど、心を中心とした文章を沢山書いていると「意」を使う場面は沢山でてきてしまいます。

そして「意」を使う言葉を書いている時、私は知らず知らずのうちに、その一瞬に心をはめる作業をいつもしてしまうのですが、

改めて文字を眺めた時に、「意」とは「日の上に立つ心」だったんだと思いました。

この情景を想像した時、私自身は山の上に登り、そして下から昇ってくる朝日の前で心を強く何か思う瞬間だと感じました。

こういう時の思いというのは、とても強いものです。その心持ちの強さが「意」という漢字の中に宿っているんだろうなって思うようになりました。

 

心が今にあれば「念」となる

「今に在りましょう」「心を今に入れて」みたいな話ばっかり書いてる私ですが、「今の心」と書いて「念」と読むということは、実は数週間前にようやく気がつきました(笑)

だから、「念」なんだ!とようやく開眼(笑)

慌てて、新しい書籍にもこの開眼したからこそ気がついた思いを書かせて頂きましたよ。

とか言いつつ、言うほどたいしたことは書いてないので、このくだりに対して期待はしないでください(..;)。ただただ「今に心が在る」って「念」ってことなんだっていう、開眼がでかかっただけなんです。

それに、このブログを読んでくださっている人なら、「今の心」と書いて「念」と読むというだけで、大概のことは分かってくれると思うので、これ以上の説明は不要ですよね(^_^)

 

ということで、最近私が気がついた漢字大発見について徒然書かせて頂きました。

お付き合い頂きまして、ありがとうございます☆

 

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6 件のコメント

  • 「国」という漢字には、自分にもちょっとした思い出があります。
    小学6年生か中学生くらいの頃だったのですが、親の本を勝手に読んでいたら、その中にこの漢字のことが書かれていたのです。

    「國」という字は、戈(ほこ、武器)と口(国民)が囲まれている。戦後、旧字体が国という字になり、時刻も守れず、単に国土の中に玉(たから)があるだけで、拝金主義に陥った今の日本をよく表している。

    みたいな感じだったと思います。
    本は忘れてしまいましたが、確かプレジデント社の本だった気がします。
    実際は、国という漢字自体は戦前から存在はしていたらしいので、必ずしも本に書かれていたことが全面的に正しいわけでもないでしょうが、当時はちょっと面白いなと思って憶えていました。

    • はっ!お伝えしてくださるまで、私の中で「國」という漢字が完全不在化している事に気がつきました。
      でも仰る通り、今の「国」という漢字は、日本の意識を現わしているかもしれませんね。
      ただ、戦後教育を受けた日本人の中には「国」という概念そのものが、不在化してしまうという危機迫る事態にもなっておると感じています。
      「個人」を優先することが善であると促され、「国」という存在を否定するような教育を受けた私たちは、国という言葉を使う言葉に嫌悪感を持ち合わせやすいですよね。
      国家、国体、国旗、国歌と文字を見るだけで発狂する人たちも沢山いますが、「国」を考える事は、生きることの基本なんだなと、しっかり考えるようになって気がつくようになりましたし、またこれにより心持ちが随分楽になりました。
      だから、国をもっと意識してもらえたらいいなぁって思ってます。
      返答が全く返答になってないコメントになってしまいごめんなさい。
      それではこれからも宜しくお願い致します。

  • 「時刻も守れず」じゃなくて、「自国も守れず」でしたね。すみません(笑)。

    「個人」を大切にすることと「国」を考えることは相反することじゃないと思うんですけどね。
    以前、「愛国心」ってTwitterに書いただけで、その界隈の某有名人に絡まれたことがあって辟易したことがあるんですけど、なんでああいう人たちって、そういう言葉に脊髄反射的に反応するんですかね?考える力無いんでしょうか?

    • 仰る通りです。国があるからこそ、個人を大切にできるのに、脊髄反射される方たちは、「大義」の必要性が全く分からないままに、拒否しますよね。
      大きいものは自分たちをコントロールするためにあるだけに存在しているような、そんな勘違いができるのは、日本人としての教養の無さが生み出しているとしか思えないですね。
      そして、結局人の言葉というのは、自分の概念として存在することしか口にしないので、彼らの日常は誰かによってコントロールされて、それが強化される仕組みの中いる事を露呈しているに過ぎないんですよね。
      だけれども、それが全てだとして彼らが大声で騒ぐからたちが悪い。
      考える力が無いと言うよりも、エゴが肥大化し過ぎた挙げ句、概念そのものが違う人たちと割り切った方が良いような気がします。

      言われるまで時刻を勝手に自国変換してましたよ(笑)全然気がついてなかった(笑)

  • 御返事ありがとうございます。
    このブログを読んでいると、以前から考えていたことがいろいろと思い出されます。
    自分は、Twilogとか使って、自分のTwitterの発言も記録しているのですが、2010年3月くらいに、この「愛国心」という言葉で、某有名人に絡まれていたらしいのですが、その中で、

    僕:「自分の国に誇りを持つことが愛国心であって、他国の文化などを蔑むことが愛国心ではない。愛国心は自国中心主義じゃない」
    某:「愛国心の強さと他国を憎悪する強さは正比例します。」
    僕:「そうは思いません。他者との比較でしか自分の存在意義を感じられない人がそう思うのだと思います。」

    というくだりがありました。
    こちらのブログでも似たようなことが書いてあったような記憶がありますが、他者との比較や、勝ち負けを気にしたり、他社からの評価を価値基準にしてしまうと、自分自身(あるいは、この件で言うと自国)に対しての誇りや愛情というのが持ちづらい、あるいは歪んだ自分中心主義、自国中心主義に陥っていくような気がしています。

    偽スピに嵌っていく人たちも同じような感じなのかもしれませんね。

    • そうですね~。twitterとかでいきなり見ず知らずの人に殴りかかってくるような文章を書くような人たちは、特にそういう意識が強いと思います。
      所謂日本の反日活動家の面々は、大陸や半島イズムの人が多かったり、共産党や社会党イズムの人が多いですから、より比較意識が強くなっていくんだろうなと思います。
      儒教思想や共産思想というのは、神などの見えない世界を不在化させていき、見える物の中で優劣を競い合い、そして勝者の理論が全てになっていきます。だから、憎悪の強い比較意識が強くなっていくんだろうなぁと観察しています。
      またそう言った方々は無自覚の中においても、日本人が愛国心に目覚めることを拒否しているように思います。
      それは彼らの理論を易々と否定することにも繋がっていくため、驚異でもありますからね。

      偽スピの人たちも同じですね。彼らは見えない世界に頼るだけ頼って、現実的なご褒美だけを欲しがっています。結局見てるのは現実なんですよ。本当の現実では無く理想の中にある現実だけ。だからおかしくなるのだと思います。

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