【スピリチュアル】結局、自分になれない人たちの吹きだまり。

ブログを書いて、一旦スッキリしたと思っても、また沸々とした思いが込み上げてくるのは、私が皇居の勤労奉仕に行ってきてから間もないことも起因しているのだと思います。

沸々したのなら、書く!

それは今の私がしたいことだから書く!

ということで、書きます。

 

さとうみつろう氏のブログの拡散は、黒歴史ですよ。

餅は餅屋とは、日本社会の在り方をよく現わした言葉だと思います。

なぜなら、日本はそれぞれが専門職で成り立っていた社会だからです。

この平等観念のありがたさをどれほどまでにスピリチュアルに没頭している方たちは理解しているのでしょうか。

 

餅は餅屋であると同様に、日本には神の専門職の方がおられます。

「平成天皇」という言葉の違和感に気がつかず、先日さとうみつろう氏のブログにいいねやリブログ、さらにはリツイートやFBでシェア拡散した人たちは、天皇陛下が日本の祈りの総本山だということも知らないのでしょう。

「平成天皇」というありもしない言葉を拡散させた挙げ句、彼の言葉に心酔しているあなたたちを見た時点で、教養のある人々は、軽蔑の眼差しを持ち合わせてしまうことにも気がつけないのでしょう。

つまり、馬鹿が馬鹿の上塗りをして、その客観的事実を受容れなくてはならないことに、日本をきちんと理解している人々は辟易とした思いを持っているということです。

ちなみに……ここ数日私のアメブロ読者さんは想像以上に増えておりまして……新たにブログ読者さんになってくれた方は、どんな事を書かれているのかと思い覗いてみると、あの衝撃のブログを恥ずかしげも無くリブログされている方も結構な頻度でおられました。

さとうみつろうアンチの方が一気に読者になってくれているのかと思いきや……ぶっちゃけ驚きましたよ。

私にも色々黒歴史はございますが、あのさとうみつろう君のブログをリブログしちゃうって……それ結構な黒歴史ですよ!!!!

ガチで気がついた方が良いと思ってます。

そんなあなたの為に、今ブログを書いています。

 

スピリチュアルな人々の行動に、神職の方々も困っています。

餅は餅屋同様に、祈りは祈りの専門家に任せ、自分は自分の人生を歩むのが、本来あるべき日本の在り方だと思います。

ですが、様々な選択肢に翻弄された挙げ句、自分が何者で無い何かになりたいと青い鳥探しに躍起になるのが現代人の性とも言えます。

だからこそ、スピリチュアルビジネスに没頭している方々は祈りの専門家でもないのに、矢継ぎ早に仕入れた情報で祈りのあれこれを伝えたがり、祈りとは何なのかが分かっていない民を扇動したがります。

そして、何者かになりたいと願う民は、その何者かではなさそうな人の言葉に翻弄されていきます。

祈りにも、素人と玄人のレベルがあることを民は認識するべきでしょう。

餅をつくときに、素人が介入すると美味しい餅ができなくなることは言わずもがなで在り、それと同様に祈ることもそれぞれのレベルがあり、玄人の場所に素人が介入することの失礼さを現代人は認識するべきだと思います。

皇學館大学で進学を学ばれ、現在神職の山野本竜規さんは祈りについて、ブログでこう仰っています。

祈りのプロではない素人たちが正式な事前準備やプロセスを経ずに
妄想だけで勝手に祈る儀式を執り行うことはプロとしてみる限りも本当に危険な行為で、
僕たち神社神職も研修の時に一番注意されていた部分です。

「いくら祈りのプロ、神社神職と言えども、正式な儀式の時に気を抜くと
とんでもないことになるから、心の状態が不安定であるのであれば祭事は欠席しなさい。」と。

祈りのプロでもかなり慎重にやらなければいけないものを、
祈りの素人である500人の女性を集め、しかもその中には自分の人生に欲求不満で
情緒不安定、まともな生活すら送ることも出来ないような
レリゴーブスたちが大勢含まれている訳でしょう?

情緒不安定な連中に祈りなんて務まりませんから、その時点で
こんな与太話にまんまと騙されてしまう依存体質の女性が500人も沖縄や県外から集まって
世界遺産の1つである首里城で無駄な祈りを金を払って捧げるだなんて
祈りのプロの目から見ても、まともな人たちから見ても、本当に異常そのものですよ。

またまた怪しいイベントが沖縄で開かれるようで。~騙される馬鹿に落ちぶれる人たち~ より

 

まぁ読む人が読めば、この神職さんが誰のどのイベントに言及されていることは言わずもがなですよね。

 

はっきり言えば、やる気を出した素人ほど、玄人にとって迷惑な話はないということなのです。

 

私たちのお国には、それぞれその分野の専門職がおり、その人たちの誠心誠意によって素晴らしいお裾分けが頂ける社会がそもそもあります。

お米も誰もが作るわけでもありません。

ですが、お米を作ってくださる農家の方がいて、その農家の方の一生懸命なお裾分けによって美味しいお米が頂けるし、さらには太陽や水や風や気温があって、美味しいお米がいただけるのです。

そこに素直に感謝して、私たちは私たちのできる得意分野の範囲の中で最善のことをして、そしてまた別のお裾分けを誰かに渡すだけのことです。

結局、素人と玄人の区別ができずに祈りたがる人たちというのは、足るを知るということが分からないまま、自分は特別な何かなのではないかという勘違いと妄想と供に、多くの玄人に迷惑をかけているのです。これが昨今のスピリチュアル系な人々です。

誰も特別な人などいません。

全ては、ただの人間です。

それでも、それぞれがそれぞれの役割を精一杯果たす中で、社会は恵まれたものに変容されていくのです。

 

 

祈りの素人は、祈りに没頭するよりもやるべきことがあるでしょ?

スピリチュアルな人々は祈りたがりますが、祈るよりも自分の身の回りを笑い溢れるものに変える努力をするべきではないのでしょうか。

祈るよりも、実践によって自分の現実を変える努力をするべきではないのでしょうか。

 

素人の祈りなど、祈りの玄人の邪魔にしかならないことに、気がつくべきではありませんか。

 

さとうみつろう君は、なにやら御代変わりに合わせて様々なイベントをしかけているようですが、祈りのプロたちは、国民に祈ることを止めることもできず、困り果てているようですよ。

私たちは、祈りのプロたちが祈ってくれることに、ただただ感謝するしかありません。

ですが、それで良いのではないのですか?

祈りのプロが祈ってくれている間に、私たちはそれぞれ自分の身の丈にあったこと、自分の本来の役目に没頭して貢献すれば良いだけではないですか?

それすらままならいからこそ、何者かになりたいがために、祈りに参加したいだけのように私には見えて仕方がありません。

 

庶民の祈りとは、本来一人で厳かに、そして静かに、さらに時が来たときに行うものだと思います。

神社も自分が行くべきタイミングで行くのが普通で、スピリチュアル教祖さまが呈示したイベントに合わせて出向くものではありません。

そこも分からない人たちが、祈りに参加した事に満足を得ているのでしょうが、それは餅屋が餅を作る時に、素人が間を割って入って参加して、プロが作るレベルの餅にならない事態を引き起こしている事になっていることに気がつき反省するべきだと私は思います。

 

祈りは崇高なものです。

誰もが祈ることはあるでしょうし、もちろん一人一人が祈ることを決して否定しているのではありません。

でも、餅は餅屋がつくから美味しいのです。

 素人が介入したら美味しい餅にはならないでしょう?

それと同じように、祈りのプロの場に素人が介入して満足を得ることほど、恐ろしいことはないと思います。

身の丈をきちんと認識して、介入すべき場所で無い所には、素人は控える心持ちこそが、日本の安寧には必要なのだと、スピリチュアルに興味津々な人ほど、認識してほしいと切に願っています。

 

是非、こちらの神職の方の思いを多くの人に知って欲しいと思います。

 

 

 

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