【偽スピカルト化】ビジネスの陰りと先鋭化の先にあるもの

ふと気がつけば、民の最先端で世論を引っ張っていたはずの朝日新聞などの新聞社や大手マスメディアは、常軌を逸したレベルとしか表現のしようが無いほど、自分たちにとって都合の良い結論に結びつけるための論説しかしなくなりました。

同じように、先月大炎上してしまった心屋さん界隈の偽スピ教祖さまたちの論も、今まで以上にその場しのぎの矛盾の大きい説法が増えているように思います。

さて、これは一体どうしてなのでしょう。

 

一般的な顧客が離れると起きること。

マーケティングをしていてずっと思っていたことは、商品の購入動機において明確な理由を持ち合わせていない商品ほど大衆化しているという事実です。

商品が一般的に認知され、さらに購入動機を高めていく背景には、必ずSカーブ曲線と呼ばれる数字の変化が現れていきます。

↑Sカーブ曲線を分かりやすく示した図(お借りしました。)

マーケティングでは、この図で言う「アーリーアダプター」から離れ、「アーリーマジョリティ」での浸透率の中間点となる位置までのことを、「成長前期」と呼びます。

「成長前期」の時点までに商品に興味を持った人たちは、商品購入動機において明確な理由を持ち合わせている事が多いです。

しかし、この「成長前期」を抜けるのを境に、消費者の購入動機に関する答えは変わっていきます。

商品が大衆化すればするほど、消費者は世の中の雰囲気に流されて商品を購入するようになるので、明確な理由がなくなっていきます。

購入動機として挙げられる言葉として、「なんとなく」などの不明瞭な言葉が増えやすくなります。他にも、「友達も使ってる」などの無意識的な同調圧力を感じる答えや「価格が安い」などの分かりやすい他者比較による答えが増える傾向にあります。

もちろん、商品の中には、成長前期を超えても尚、商品のプライオリティや商品特性が購入動機になる場合もあります。この場合はロングセラー商品や文化として定着していく一方で、明確な理由が減っていく商品の場合は、単なる「流行」の範疇に収まる商品として、その商品サイクルの寿命がこの段階で見えることとなっていきます。

そして、どの商品においても言えることは、その商品のプライオリティや商品特性が消費者の中において明確に意識されている間は寿命がまだ見えないということです。

逆に言い換えれば、商品のプライオリティや商品特性が分からない人が多い中で、売上額が過剰になっていくと、それは一過性のブームとなることは明確なので、その時点で商品の寿命はある程度判定できます。

ただし、ここで気をつけたいのは、情報・芸術関連商品カテゴリーと一般的商品ではこのSカーブ曲線の下り坂になった時の消費者の反応が異なっていくことです。

 

たとえばポテトチップスのような食品(一般的商品)の場合は、味が商品購入において重要な鍵を握っています。このような商品の場合は、味が変わらないことがリピーターを満足させてくことに繋がるので、一時的なブームがあったとしても、常に変わらないことが求められます。

 

一方で、情報・芸術関連商品の場合はそういう訳にはいきません。

音楽でもインディーズとメジャーでは作る音楽が違うということはよく言われることです。インディーズで活躍していた頃は、尖ったナイフみたいな楽曲を作っていても、メジャーという大衆化される環境の中で、当たり障りのない曲を作ることは多々あって、それがメジャーと呼ばれる環境下には必要な技だったりします。ですが、一時的な稼ぎ時が終わって、コアなファンだけの循環に戻っていくと、それに合わせた音楽に戻っていくという事例は沢山ありました。

 

今、新聞社やスピリチュアルな教祖さまたちに起きている出来事も根本的には、インディーズ→メジャー→インディーズの流れと同じだなと私は思っています。

 

顧客があからさまに離れていく時に、経営者が考えること。

顧客があからさまに離れていくターンに入ることは、どの企業にもあり得ることです。

たとえば、カメラの場合、20年前に起きたデジタルカメラの登場は大打撃だったことだと思います。それまでは、フィルムの販売によって得られた収益が会社の利益の大半だったと推察されますが、デジタルカメラにはフィルム代もフィルムの現像料もほとんど必要なくなります。すれば当たり前に、企業の売上額や顧客は減っていくこととなります。このような社会環境の変化によって、当たり前にあったプライオリティや商品特性が目減りしていくことはどんな業種のどんな企業においても起きることです。

今新聞社やテレビ局の目の前で起きている事柄も、20年前に起きたカメラ関連会社と同じ出来事と同じ流れと言えるでしょう。情報はテレビ&新聞に占有されるものではなく、ネットを通じて誰もが発信できるようになったことで、メディアの人たちは、今までと同じように頑張っていても、成果がでない事象が起きてきます。

テレビや新聞の場合、そのビジネス構造を成り立たせる一番大きな要素は広告収入です。そして広告収入の場合、そこに広告を打つかどうかの判断基準はどれだけの人がその情報紙面に触れているかということになります。そしてその基準となる一番の決め手は、新聞の場合は購読数、テレビの場合は視聴率ということになります。

特にテレビの場合は、収益構造のほとんどは広告収入頼りとなります。視聴率が下がって広告効果が見込めなければ、広告価格を下げるなどして、なんとか広告を埋める方策がまずは求められることになりますが、どんなに広告を埋めた所で、以前のような潤沢なお金はテレビ局には与えられなくなります。すれば現場では、制作費が枯渇していきます。今まで潤沢な予算があって番組作りをしてきたテレビ局ほど、予算がない中で番組作りする方法が分からなくなるはずです。ここ10年ほど、テレビ東京が面白いと言われるようになったのは、単にテレビ番組全体の番組制作費が落ちているからだと言えるでしょう。

また、潤沢な予算を持ち合わせていたテレビ局ほど、安易に視聴率が獲得できる番組(食べ物系&健康系)や、コアファンとも呼べる一定層が満足する番組作りに特化していくのだと思います。

 

さて、今度は新聞社の話。

 

新聞社は活字媒体であり、テレビ以上に発信者側の考察が必要となる情報商材ですから、一般的な読者が離れれば離れるほど「コアファンとも呼べる一定層が満足する」ことに命をかけるようになるはずだと思います。

なぜなら、コアな読者が求めることほど、媒体の中に蔓延る「共感」になっていくはずだからです。

朝日新聞を真実だと思う人たちほど、朝日新聞が行ってきた捏造歴史の全てを真実として受け止めて生きているはずです。

読者はその捏造を真実とした上で、思考を作り上げます。

そして、読者がどんどん減っていく環境において必要となることとは、「共感」を持ち合わせてくれた読者を手放さない主張と論法に特化してくことになるのでしょう。

ですから、どんどん思想と思考がおかしくなっていくのだと思います。

結局、朝日新聞のような会社の主張において大前提となるのは、嘘が嘘を突き通ことになっていくはずです。

 

同じ事はスピリチュアルにも言えます。

引き寄せの法則というものは、あるかないかと言えばあると言えます。

ですが、散々ブログでお伝えしている通り、引き寄せなんてものはホイミ程度の魔法に過ぎず、

自分の思った通りに人生が進むなんてことは、あり得るはずもないことです。

 

ですが、これが真実であり、事実として世に嘘を広めてしまった人たちがいます。

 

多くの人たちは、「自分の思った通りに人生が進む」とか言うこの論法には大いなる穴があり、嘘であることに気がついていますが、それを盲信してしまい、彼らにお金を使い続けている人がいます。

教祖さまたちは、信者からのセミナーなどの参加料金と言う名のお布施で人生設計をしているため、自分の言ってきた事が真実であり事実であるということを、どんな矛盾があったとしても言い続けなくてはなりません。

嘘でした!なんていったら、

間違ってました!なんていったら、

一気にそのビジネススキームは終わることになるので、嘘をついてでもなんとしてでも、今のビジネススキームを続けるために、嘘に嘘を重ねながらも、信者の共感を得る必要性に駆られます。

ですが、それでも信者は減ってく一方なので、残されたコアな信者の要望と共感に反応していくことによって、より先鋭化した思想が生まれていくことになります。

その先鋭化した思想は一般的には寄りつけないほど、おかしなことだらけですが、行き詰まったビジネスを継続していきたい気持ちに駆られれば駆られるほど、そこから抜けられなくなるはずです。

そして、カルトと呼ばれるに相応しい活動が生まれていくことになります。

新聞社の思想がカルト化し、同じく「引き寄せ~☆」とか言っていたスピリチュアル教祖さまたちがカルト化していっているのも、ビジネススキームの流れから見ると同じスキームに見えて仕方ありませんね。

 

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