【私のこと】言い切る必要性

この間おとな塾にも通ってくれているお友達のゆかちゃんと沢山話しました。

その時に、私が他の人とちょっと違う部分を携えていることに気がついたので、今日はそれをお届けしますね。

 

私は言い切ることに長けている(笑)

私がゆかちゃんとあれやこれやとお喋りしている中で自覚したのは、「言い切る強さを自分自身が持ち合わせている」ということでした。

 

私は、社会人経験の中で瞬時の判断を常に余儀なくさる立場にありました。

それが22歳の時からですから、驚きです。

22歳と言えば、普通は上司や先輩の後ろを歩き、その方たちに言われたことをやる世代だと思います。

しかし、私は違いました。

以前にもブログに書きましたが、22歳の時点で、たった独りで名古屋支社長という大役を仰せつかる(笑)ような自体に直面してしまったのですから、常に誰かの言葉を背に歩ませてもらうということはできません。

その頃のことを書いた記事↓

 

今思えばそんなに難しいことを頼まれた訳ではないと思うのですが、何ら経験のない私においては、全てが七転八倒で、ドラマ以上にドラマ過ぎるアドベンチャーな毎日でした。

 

だから、否が応でも自分で判断するしかありません。もちろん、仕入れの金額が高いことなど、自分だけで判断できない難しいことは本社の指示を仰ぎます。でも、結局本社と言っても、たいして人数のない(社長を含めて3人だけの)ベンチャー企業ですから、いつだって丁重に私をもてなしてくれるわけではないのです。

だからこそ、自分での判断が否が応でも求められます。だって、名古屋支社にいる社員は私だけなのですから。

色んな人の気持ちを考えつつも、自分で判断し、そして判断して受け入れたことは自分の責任として受け入れて歩むほかありません。

なぜなら、それしか私の選択肢はなかったのです。

 

そういった環境によって、連続した判断を余儀なくさせられた経験から、私は瞬時の判断には定評があります(笑)

でも、「判断」と「言葉を言い切る」のはまた別の次元の話です。

私が結構な具合ではっきりと言い切るのには別の理由があります。

 

言い切ることに長けたのは、マーケッターだったから。

今でこそ、自宅でのんびり作業して、それなりの金額をもらってウハウハしつつ、自分の気になることに没頭している私ですが……、

会社を辞めるまでは、分刻みで働く社会人でした(^_-)-☆

そして、私の専門職はマーケティングで、名前を言えば誰でも知っているような企業のマーケティングに沢山関わらせてもらいました。

私が言い切ることに長けているのは、この時の職業病(笑)みたいなもんだと思います。

 

最近のマーケティング業界の状況は全く知らないのですが、私がマーケティングをガチでやっていた頃は、グループインタビューというマーケティング手法が脚光を浴びた時期で、私は20代なのにも関わらずモデレーター(グループインタビューの司会をする人)が上手いと小さな枠組みで話題になり、そこそこ仕事がきました。

そして、グループインタビューが終わった後は、ラップアップと呼ばれる関係者によるミーティングがあるのですが、その場ではいつもなぜか私が、商品開発などを進めるかどうかの判断をすることになるのです。

私はそこの社員でもなく、その商品の深い経緯も知りません。しかも20代です!

グループインタビューという調査はたった2時間だけの感触です。一日に3本する時もありますが、それでも6時間しかその商品とユーザーの声に接近することはありません。

なのに、判断せねばなりません。

こういう時に、曖昧な言い方をするとただただミーティングが長くなるだけで、誰かがはっきりとした意見を言い切ってほしいということを私はいろんな失敗をしながら感じ取りました。

そして、マーケッターと呼ばれる専門職に、ある種占い師的な立場を授けて、言い切ってほしいという人の感情も理解できるようになりました。

だから、私は言い切るようになりました。

今となっては、言い切る癖になってしまってます(笑)

日本人は曖昧だから発揮できる良さが沢山あります。

でもそれに慣れ過ぎてみんな大事な時に言い切る強さを持ち合わせていません。

それを代弁する誰かが常に必要なのです。

マーケッター時代の私は、常にそれでした。

いつも背後には「当たらなかったらどうしよ~」っていう怖さはありましたが、それでも言い切らなければ前にすら進めないので、当たらなくてもいいから言ってしまえと思えるようになるまで経験を積むことができました。

ちなみに、常にマーケティングではこういうことが起きることを想定の上で歩んでいたので、常に私の心は背水の陣です(笑)。そのおかげか、「当たる」と言った商品はほぼ当たりました。「当たらない」と判断した商品がどうなったかは、ほとんど私のせいでお蔵入りしているため分かりません( ;∀;)

 

マーケッターで培った、言い切ることの清々しさ。

日本人の多くは、曖昧さという独特の、ほど良き塩梅の観念で生きているので、言い切ることを良しとしません。

もちろん、社会人になるまでの私も、結構な具合の曖昧さや中途半端さを携えていました。

だけれども、

会社の中で、そしてマーケッターとして、判断と言い切ることを求められ続け、そしてそれに答え続けた結果、

曖昧さを加味した中でも、言い切ることは非常に自分にとっても良いことだなと思うようになりました。

 

言い切った以上、必ず責任は自分に降りかかるからです。

言い切った以上、誰のせいにもできません。

言い切ったのは、自分です。

 

だから、否が応でも自分を追い込まなくてはならない環境が生まれ、

自分はその環境の中でなんとかやるしかなくなるのです。

 

それは、世の中で言う責任と覚悟っていう奴だと思います。

人生を切り開くには、責任と覚悟が必ず必要なのに、

多くの人は、それが伴わなずに、夢と希望を語りたがります。

 

私は結構な具合でそれにいらっとします。

責任と覚悟がない奴がそれを語って実現するはずもねぇだろって、心の片隅で思ってます。

8割方それは当たります。

ちなみに、覚悟もないくせにと私が苛立ったのにも関わらず上手くいった後の2割は、ただただ無邪気な人だったと後に分かりました(笑)

 

無邪気な人は、根本的な欲が欠落してるため、大概叶います。

ただ、多くの人はそうではありません。

8割に入る普通の人は、

はっきりと言い切って、自分の責任と覚悟を携えるしか、目標を達成する方法はないんじゃないかなって思います。

 

私は知らず知らずのうちに身につけてしまった、判断と言い切る力、それと伴い現れる責任と覚悟を持っているからこそ、

割とスムーズに目標達成しちゃうのかなって今は思ってます。

難しそうに一見思うかもしれないけれど、

大事なのは

「判断と言い切る力」、それと、「責任と覚悟」だと思います。

 

スピリチュアルな人たちは

「ピュアな心で全てを愛しましょう~すればあなたにも幸せが来るよ~」とか言いがちだけど、

経験上、絶対そんなことはない!と私は思ってます。

そんなことに溺れる人は、単に宗教に依存したいだけの寂しい輩だと、私は思っています。