昨日、東出君の不倫記事について書くために、やたら「不倫」で検索していたせいか、思いもかけない情報が私の目の前に現れました。
コウスイ先生は的を得てるよね!
実は昨日、あの記事を書くためにやたらと「不倫」で検索を重ねてたんですよね(*_*;
そしてそういう検索をしていると、皆さんもご経験あるかと思いますが、なぜかホーム画面や訪れた先のHPの広告とかにそれに関する情報が出てくるようになりますよね。で、昨晩youtubeを開いた時には、こちらの動画が一番目立つところに貼り付けられました!
ぶっちゃけこの動画のタイトルは、私には全く無縁の話なのですが(;^ω^)、興味を持ったタイミングで目の前に現れたし、それにコウスイ先生の動画だったので、せっかくだから聞いてみたのです。
そしたら、そしたら、そしたら……このアドバイスはまるで東出君と杏ちゃんの事情を察知した上で発信された動画なのではないのかな?(もちろんコウスイ先生のアドバイスは別の方に向けられたものですが)と思ってしまうほど、やたらドンピシャのアドバイスに思えてしまいました。
だから、今回の不倫報道に興味を持っている方は是非聞いてほしいですし、それからもしももしも杏ちゃんと繋がる方がこのブログを見ていらっしゃるような奇跡があるのなら、どうか先にリンクを貼った動画を杏ちゃんに教えてあげてほしいです。
それくらい、ここでコウスイ先生が話している内容は、東出&杏夫妻にドンピシャな感じがしまして……そして、コウスイ先生が仰る通り、これは自分を超えるための試練なんじゃないかなぁと私も思いました。
それからコウスイ先生は動画の中で、男と女の違いについてしつこくお話をしてくださったのですが、そこがまさに共感だったので、ここからそこの部分について私の意見もお伝えさせて頂きたく思います。
どちらかの正論では、物事は解決しません。
ということで、前段終わって、本題です!
不倫という物事に限らず、日常に蔓延る様々な事象はされた方・した方で、物事の見方が180度違ってきます。
今の世の中の多くは「された方」側の意見の正論が強く世の中を覆うことになっておりまして、その意見を受け入れて、誰もがされた側の気持ちを理解すべく品行方正に生きなくてはならないという格式ばった意識が強くなっていると思いますが……(ちなみにガチの犯罪行為となると被害者の人権はないろがしにされて、犯罪側の人権ばかりを守ることになっていることは、ここでは捨て置いてください…)
不思議な事に、こんなにみんな品行方正に努めている割には、不倫などのネガティブな事象がなくならないどころか、このような社会空気感によって、必要以上に多くの人がヒステリックになってしまっていると思いませんか?
たとえば不倫一つの出来事をとっても、まるで国家を上げて人民裁判が行われるが如く、それをしてしまった側の一生はもう無いに等しいほどの罵声を浴びせることが増えております。
つまり、「寛容、多様」のスローガンが現代の主流な割には、多くの事が許せなくなっているのが現代日本だよなと私は思っています。
またこのような社会環境ですから「一歩間違ったら、もう二度と許されない日常が待ち受けている!」と思い込んで、必要以上に息苦しくストレスを感じる毎日を敢えて作り出しているのも現代日本人だなと思ってます。
「寛容、多様」と言いながら、こういう社会環境って、どう考えても変じゃないですか?
もちろん私も不倫は否定派ではありますが、それにしても異常だよなということは多いです。逆にこのような環境だからこそ、心屋さんのような無駄な不倫肯定論も起きてしまうのではないのかなと思います。
↓心屋さんの不倫を時系列で書いた記事↓
ちょっと前にも書いたけれど、現代人の思考って、単純にバランスがおかしいと思うのですよね。
物事の良い塩梅を失って、否定派は全ての駆除を求めるし、肯定派は全面的な容認を求める。
どっちもアンバランスだから揉めるだけだし、どちらかに意識が偏るから、許せないことが増えるだけなんだろうと、私は思うんです。
常識を作り出すよりも、許せる状態を作る方が良いのでは?
現代人はやたらと何か一つを正しいという思いが強くなっているからこそ、そうではないことが許せなくて、憤りを感じることが増えています。
しかしながら、これって人間の幸せという視点で見た時に最も不幸な言動なんですよね。
なぜならこれは以前よりお伝えし続けていますが、自分の感情がコントロールできないほどの許せない憤りこそが、人のエゴを強化さるからです。
でも不思議な事に許せない憤りを強く感じている人ほど、意外と自分は寛容だと思っている節が強くなるのですよね。
不思議ですよね~。
それは、自分の正義が強化されてしまった結果なのだろうと、私は思ってます。
そうなってしまうことで、自分の思うこと・言うことが正しくて、相手が間違っているという思いが強くなるから。
だからこそ、相手の思いを制裁する必要性があるという気持ちがどんどん強くなっていくのだろうと私は思ってます。
またそれゆえ「自分が許せていない」という気持ちの正体に気が付けなくなり、ただただ相手を自分の枠の中に押し込めようとするのだと思います。
しかしながら、この行為は根本的な解決など、何も生み出さないのですよね。
にもかかわらず現代人は、日々多くの事象をこの様式で解決しようとするから、何の問題解決もできず、問題が増えていくばかりの日常を過ごすことになっているのです。
不倫の話から随分発展した話になってしまいましたが、基点は全て同じです。
そこに気がついて、どちらかが正しいのではなく、融和な解決になる方法の模索があまねくできるようになったら良いのになと、私は思っています。
だって、自分が正しいを思う気持ちは、別の正しさの強化を強めるだけなはずだから!
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こんにちは 遅いコメントですみません。
今日こちらのブログを読ませて頂き、コウスイ先生の動画を拝聴しました。
その後たまたまとあるワイドショーを視ていたら某女医さんが今回の不倫についてコメントしていたのですが、彼女の「私は絶対に許せないし、一生許せないし、死んでも許せない」はまさに竹久さんが仰られていた「やたらと何か一つを正しいという思いが強くなっているからこそ、そうではないことが許せなくて、憤りを感じる人」の言葉だと思いました。
そして私が更に気になったのは、その女医さんが隣席の元国会議員さんに向かって「(離婚しなかった)元国会議員さんはおかしいとみんな思っている」「あなたは女の中でも少数派ですよ。普通の女は絶対許さない」と言い放ったことです。
私は女医さんがどんな根拠を持って元国会議員さんが少数派と言えるのかは知りませんが、「夫のはしょうもない火遊び」として離婚しなかった彼女はコウスイ先生の仰る「色々な問題を乗り越えようとするチャレンジング」を選択されたのだと私には思えました。それが結果良かったか悪かったかは彼女自身のみが決められることであって他人が断罪することではないと思うのです。
また、コウスイ先生の「離婚してもいいけれど、夫と向き合うなどすることをしない、チャレンジングしないで離婚するのは逃げることで、逃げてしまった自分を好きではなくなる」という言葉にも共感しました。
私も最近生きていると「寛容、多様性」どころか、やたらめったら「今までのこれは良くないから、正しくないから、外れているから」という判断で制裁を受けたり、排除されていく傾向に陥っているという不安を感じています。
だからこそ自分自身も物事の良い塩梅を失なわないように気をつけて生きていきたいと思っています。
長文大変失礼いたしました。
これからもよろしくお願いいたします。
おはようございます。
テレビのコメンテーターになれる人って、一般の人よりもよっぽど我が強くなきゃなれないと思うのです。
そういった方の常識や意見が「世の一般の声」とされることには、私もうんざりです。
特に、フェミニズム論者の主張は、普通の感覚を持ち合せ楽しく生きている女性の環境を壊すものにしかなっていないと思います。
このようなギャップがあると認識した上で、情報を汲み取り、メディアの発する良識に流されないようにしたいですね。
これからも宜しくお願い致します。