昨日の話の続きみたいなもんです。
↓昨日の話↓
ごっこの時代は、理想が優先
なぜ私たちの社会が「ごっこ感」に溢れたものになってしまったかと言えば、それはあまりに「理想論」で物事を観すぎたからのではないのかなと思っています。
理想と現実にはいつもズレが生じるものなのですが、戦後の日本社会は「理想的な社会を創ろう」と理想の実現ばかりに、躍起になってしまいました。
だから、現実には目もくれず、理想の中にある自分を演出することにも躍起になってしまった人は沢山いると思います。
その結果、
上辺だけの社会
上っ面の社会
裏と表の差が激しい社会が出来上がってしまったのではないかなと思います。
また、理想論の中で生きようと覚悟する人ほど、完璧主義となり、完璧論者ともなってしまい、理想と現実との見境がつかなくなり、また自身の生活のリアルとの矛盾も大きくなってしまったのではないのかなと思ってます。
自称革命家は、単なる理想論者
戦後社会はなにかと「革命」に明け暮れた時代だったと思います。
そう言えば、キンコン西野君の合い言葉は「常に革命だな」と前から思っていたのですが、最近やたらとモグラファン化してる山ちゃんが出ている動画を見てたら、キンコンの革命家ぶりは筋金入りだったことを知りました。
キンコン梶原君の番組で山ちゃんが……
「お前らNSC時代から、革命、革命って言ってるな!」
と話してまして、お二人が生粋の自称革命家なのだなと気がつくに至りました。
↓その動画↓
山ちゃんとキンコン。天才は、きっとキンコンの方なのでしょう。
しかし、理想を掲げて走る天才よりも、人間的に欠点が大いにありながらも愚直に一歩ずつ道を歩む職人気質な人の方が、遅咲きとはいえ結果はついてくるものなのだなと、この動画を見て思いました。
2000年代のキンコンはとにかくひっぱりだこだったけれども、今テレビのレギュラー番組は0。山ちゃんはレギュラー14本。
とりあえず西野君は2016年に芸人引退を表明しているので、それゆえの産物なのかもしれないけれど、自称革命家と名乗るほど、お笑い界に何かを残したとは、私は思えない。
よっぽど愚直に一個ずつ仕事をこなしてきた山ちゃんの方が、世の中に影響を与え続けてきたと私は思ってる。
特に、AKBが大衆化したり、大人がアイドルを応援しても許される構図というのは、「単にアイドルが大好きだっただけ」の山里さんの成果なのではないかと、常に思ってます。
革命の意図などもちろん本人にはないですが……、単に夢中で没頭している方のが、人に与える影響力は多きのではないかなと思います。
現実論に強いのは、道を歩む者
理想論を軸に成り立っていた「ごっこ世界」が崩壊すれば、横たわるのは単なる現実です。
理想論者は理想を語るのに長けており、その勢いで人を扇動することにも長けていると思いますが、愚直に一歩ずつ努力して仕事をするのは苦手なんじゃないかなと思ってます。
それに、扇動体質の人は、常に人よりも上にいたいとか、チヤホヤされたいという思いも強いと思うんで、腰を低くした生き方も苦手な気がします。
一方で自分の決めた道をただひたすら歩む現実論者の人にとっては、逆に有難いことだらけになっていくのではないかなと思います。
今まで辛酸舐めて、それでもくじけずやってきた人ほど、これからは楽に生きれるんじゃないかなと思います。
なぜなら、今までの社会は、ただ今やるべきことを今やっているだけではままならない事が多かったからです。
理想と目標に沿って、またその理想と目標に沿うために人々をコントロールできてなんぼでしたし、そういう人にお金が回る傾向が強かったのですから、ただ今やるべき事を今やる人に社会は冷たかったのではないかなと思います。
新しく書かせて頂いた本には、このコントロールを効く社会が今どのような形で崩壊し、すでに新しい社会はどのようなルールに基づいて動いているか書かせて頂いています。
新しく生まれている社会は、愚直に今自分がやるべきこと(やりたいこと)に真摯な人向けに作られていると思っています。
こういった社会の体制の恩恵も受けて、道を歩む人に有利な時代にここからやっと入っていけるんでしょうね。
そんな気がしています。
訂正
私の理想の解釈がかなり偏っていたことに気がついたので、訂正を含めた追加記事を書きました。
新刊発売しました☆
ほんの少し見方を変えたら~ようやく本質に戻れる時代の中で~
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【横書き】
紙書籍は現在最終入稿などの手続きをしておりまして、発売は7月頭頃になる予定です。紙書籍が良い方は、少しお待ちくださいね。
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今、めちゃ忙しいので一言だけ。
(夜、またコメントするかも)
竹久さんの言ってる理想って、「夢想」の方が近いような気がします。
ideal と dream の違い。
どちらも重要だと思うんですけど、As Is とTo Beを意識せず、ただ目の前のことにだけ囚われてしまうと、逆に刹那主義的、「今、良ければ良いんだー」っていう変な考えになってしまう可能性が高くなるように思えます。
「どうなったら嬉しい」「どうなったら楽しい」ではなく「どうあるべきか」という理想を意識することって大切じゃないでしょうか。
…一言じゃなかった(笑)
おはようございます。めちゃくちゃ返事遅くなってすみません。
金曜日の夕方から昨日まで、お出かけしていました。
そして、たまたまなのですが、お返事遅くなって良かったなと思うことがありました。
昨日、執行草舟さんの講演で「理想の必要性」について教えて頂きました。
その教えの中にあった話とひでぽんさんの頂いたコメントが、ずばりシンクロしておりまして、ご指摘がものすごく腑に落ちました。
教えてくださりありがとうございます。
執行先生に教えて頂いたことをふまえて、「理想」について改めて考え直し、新しく訂正記事を書こうと思ってます。
だけど……3日も家を空けてたので、まずは目の前の仕事を片付けないと(^^;)って感じです。
丁寧に一つずつ仕事をして、執行さんに教えて頂いたことを自分なりにまとめる時間を早く作りたいです。
それではこれからも宜しくお願い致します。
こんばんは。
道は長く、焦りが出るものです。
人それぞれ何らかの欲があると焦ります。
焦りは「よきもの」との繋がりを隔てるものです。
「探究心は抜群です。ただね、特急に乗るべき時は特急に、歩くべき時は歩くことこそ良いのです。過程や風景を楽しみなさい。心の幅が狭いのです」、我が道の師の言葉です。
おはようございます。お返事遅くなりました。
コメントすごく腑に落ちます。
道に焦りは禁物なのですが、性急に結果を出すことが前提となっているとも言える社会の中で、この焦りを制御するのって、本当に本当に大変ですよね。
ただ、風雪流れ旅さんのお師匠様が仰る通り、特急のシーンは必ずやってくるはずで、でも予期していないタイミングで特急が来ると、乗ればいいのに迷ってしまいチャンスを失ったりしがちですよね。
お互い一歩ずつ精進して参りましょう。
どうぞこれからも宜しくお願い致します。
家族または 誰か近くにいる人とおはようとおやすみ、いただきますとごちそうさま
の挨拶をかわす毎日が 実は神様や自然や 世の中の沢山の恵みを経て この日常が送れている事に人々が気がつくといいのにと思います 毎日家族のために働いているお父さんお母さんに光があたって欲しいです
竜神をあやつったり例えばレイキ?など何かそういう怪しげでフンワリした スピリチュアル的なもので自分を特別扱いしなくても 挨拶をする、掃除をする、周りの人に優しいなど 当たり前の事ができる普通の人が 実は特別なんだよという世の中になってほしいです
おはようございます。お返事遅くなりました。
みえちんさんが仰る通り、家族できちんとした挨拶を必ず交わすこと、またご近所の人や職場の人ときちんとした挨拶を交わすことこそが、哲学云々、スピ系云々以前の問題の、人間が心地良く生きるために最も必要な基礎だと私も思っています。
きちんとした挨拶、元気の良い挨拶、気持ちの良い挨拶ができる場所は、必ず雰囲気が良く、一方で当り前の挨拶ができていない場所は、必ず空気が悪いですよね。
それから、一人の時間こそ、いただきますやごちそうさまはきちんと口に出して言った方が良いと思います。一人でいるときにできる挨拶って、食事の挨拶くらいしかないですから。それを怠ると、生活が怠惰でだらしなく、張り合いもなくなってしまいますよね。
何ヶ月も前に「岡本〇〇〇さんのホームページ」の情報について、
勝手ながらお願いを申し上げた者です。
ぶしつけなお願いであったことから、とても厳しくNOと断られましたが、
覚えていらっしゃるでしょうか?
私のように「突然、ストレートに、赤の他人に、頼みごとをする人間」は稀有でしょうね。
お返事を頂いて読んでいる時は、たけひささんの言葉が強く、トゲトゲしており、
ぐさぐさと胸を突き刺すような感覚を覚えました。
ご自身が大切にされている物なので、怒りと反発できつくなるのも仕方ありません。
私も「赤の他人に、ぶしつけなお願いをするのは・・・・間違っていた」と反省しました。
ですが、どうしても諦めがつかず色々と試行錯誤をした結果、
奇跡的にホームページの全文を提供してくれる方と出会うことが出来ました。
こちらの今の状況や考え、思いを丁寧にメールにしたため送信したところ、
大きく深い器で受け止めて下さり、全文を特別に提供して頂けました。
たけひささんとは全く間逆の対応をされる方でした。
とても心が広く、思いやりと親切心を持ち合わせた、とても波動が高い方でした。
私がおこしたアクションは同じでしたが、
波動の低い人がどんな対応をするのか、
波動の高い人がどんな対応をするのか、身を持って体験しました。
この経験以降、こちらにはお邪魔することはなくなりました。
このブログに合う方が読者となっているだけですし、
このブログに合わない私が離れただけのことです。
「本当に波動の高い人は、断る時も受け入れる時も、必要以上に人を傷つけることがなく、赤の他人の話に耳を傾け、その人の気持ちや思いに愛を見い出せる人」ではないでしょうか?少なくとも、たけひささんはそうではないと私は思いました。
こんにちは。
はっきりと覚えていますよ。
グサグサした思いを経験されたという事は、あなたのエゴにささったということでもありますね。
その時にどちらの方向に気持ちを向けるかで、エゴが正常化するのか肥大化するのかが変わってきます。
もちろんエゴが肥大化すれば波動低下を引き起こしますが……さて、通りすがりさんはどちらにいったのでしょう……。
ちなみに、
「本当に波動の高い人は、断る時も受け入れる時も、必要以上に人を傷つけることがなく、赤の他人の話に耳を傾け、その人の気持ちや思いに愛を見い出せる人」
ということを繰り返してきたからこそ、日本は波動低下しました。
ここら辺のこと、私の著書「生きやすさを手に入れるための 波動とエゴの法則を書いた本」に書いてありますので、ご興味あればお読みください。
それではこれからも宜しくお願い致します。
とおりすがりさん反省したって、全然反省してないじゃん。っと、コメント読んでびっくりしました。支離滅裂ですね。
私もはっきり覚えています、ゆりこさんが大事にしてるって言ってるのに2回くらいお願いしてらして、なんて空気が読めない人なんだと私が引いてました(-_-;)
くれくれブスって言うんですって、そーいう行動。
私もそのメッセージが見てみたくてネットで検索したこともありましたが、なんていうかあの時期にリアルタイムで知った人に意味があるような気がして、私はそれを実践されてこられたゆりこさんのブログや本の方がいいやと思いましたよ。
ここにはお邪魔してなかったのに、ナゼに今になって伝えに来たのか不思議ですし、わざわざ伝えに来たことにさらにどん引いてしまって、ついコメントしてしまいました。
ゆりこさん、新刊を読む前に、また一からエゴと波動の本を読んで自分の最近の心持ちを正しています。もちろん新刊も読ませていただきます♪いつもありがとうございます。
こんにちは。
人は自分の正しいと思う行動しかしないものですが、相手も同様に正しさを持ち合せていることを見失うと、視野が狭くなり波動が低くなります。
その典型例かなと思いました。
当初からお渡しする気はなかったのですが、コメントを頂き、やはりあの判断は正しかったと思った次第です。
怒りが収まらないからこその行動なのでしょうが、その怒りは「過去を引きずっている現われ」であることにも気がついていないのだと思います。
地球攻略ガイドBOOKも途中まで読まれたとのことでしたが、残念ですね。
いつも本を読んでくださりありがとうございます。
新刊の見本書がまだ届かず作業が遅れていますが、どんなに遅くとも7月中には新刊も紙書籍で発売できますので、これからもどうぞ宜しくお願い致します。