昨日の記事の続きです。
それ、結局△の中で生きてる証じゃん!
昨日の記事では、そこに至った経緯とそれについての表面的な感想しか書けなかったんですが、小池さんの懺悔を読んで心底思ったことは、
あんた!結局△の世界の中で恍惚得ていただけじゃん!
です。
どうしてそう思ったのか、その理由を要約してみます。
①解脱だけを求める心は、上昇志向の一端
②極端を求めることは、二元論で生きていることの証
③性欲があることに嘆くことは、性欲を善悪に分けた時に悪と認識している証
大まかに言ってこの3点から、私は彼は結局△の世界の住人なんだなと思いました。
私は小池龍之介さんと会ったこともないですし、本も昨日紹介した超訳 ブッダの言葉しか知りません。
超訳 ブッダの言葉は、ブッダの言葉を超訳しただけなので、彼の人となりというのはもちろん見えてきません。
ですから私がそう決めつけたのは、彼が解脱失敗した時に発した言葉だけです。
この言葉だけで彼を決めつけるのは良くないとは思うものの……それでも…言葉には人の本質は映し出されるものだと私は考えています。
そして、そこに映し出された言葉には、結局△の世界の事しかなかったなぁというのが、私の印象です。
だって、もしも彼が〇の道理を意識して生きていたのなら、まずは極端な方向性で解脱の道を歩むはずもなかったでしょうから……。
そして小池さんが解脱に走った思いと解脱に失敗した反省の中には、分かり易い二元論(社会悪)と、上昇志向が蔓延っていることが垣間見れるのですから。
さらに、極めつけは性欲に懺悔した事です。
これが私の結論を決定づけました。
彼の懺悔は、性欲を悪いことだと決めつけていました。そして、それを失うことが解脱の道だと思い込んでいる様子が浮き彫りになっていることは初見の人でも気がつく事でしょう。
これは本当におかしなことです。
なぜなら私たちがいまここにいるのはそれぞれの性欲があってこそ。そしてこの性欲のおかげで私たちは、幾面もの時を繋ぎ、民族を維持し、歴史を紡ぐことができました。
ですから性欲を悪とすることは、人間の存在を否定することと同じだと私は考えています。
しかも……そもそも私たちが全ての欲を断ち切った後にあるものは、生物としての壊滅です。それが解脱というのなら、最初から人間などこの世にいなければ良いということになります。極端な言い方に聞こえるかもしれませんが、性欲を悪とすることは壊滅と同意だと私は考えています。
また性欲と言うからバイアスがかかるだけのことであり、食欲や睡眠欲、さらには排泄機能など、別の体の道理で言い換えてみたら、理解して頂きやすいのではないかと考えています。
もしも、食欲が悪としたのなら、私たちの生活はどうなるでしょう。
もしも、睡眠を悪としたのなら、私たちの生活はどうなるでしょう。
さらには、排泄することを悪としたのなら、私たちの生活はどうなるでしょう。
性欲というのは、これと同等のものであり、悪に括り分けることの方がおかしなことです。
それを裏付けるように、日本では性器がシンボルとなる神社も沢山あります。
しかしながら、大陸はどうしてか性欲を悪に見立てる傾向があります。
また仏教も大陸発祥の教えであるため、否が応でもその傾向は付きまといます。
さらに明治の開国後の日本は、西洋哲学が強くなったため、大陸同様に性欲を否定することが善人の素養として見られる傾向が高まっていますが、道理に基づいて考えればおかし過ぎるほどのおかしなことです。
もちろん彼が性欲を否定したことは、二元論に固執していた証だと私は考えます。
つまり彼は、二元論に縛られながら、上昇志向に囚われていた、それだけのことです。
そういった波動状態において、瞑想すればあのような妄想も現実を帯びてしまうということだけでしょう。
瞑想よりも現実で波動上昇を。
随分前に自分の波動状態を知らずに、変性意識に入るのは危険だとお伝えしたことがあるのですが
↓その記事↓
結局彼がやっていたのは、それだったのかなと思ってしまいます。
瞑想やチャネリングなど、見えない何かに繋がることは凄い事のように見えますが、本人も仰っているようにそこで見える世界にも間違いは多分に含まれています。ですから、目を開けた日常の中で波動を上げていくことのがよっぽど合理的だし効率的だと私は思います。
瞑想ばかりして、やせ細った体一つで世界が救えるとはとても思えません。
しかも瞑想で解脱したら世界が救えるなんて、中二病だろ!としか思えません。
だけど、△の世界に囚われると、目標の先に大きな変化があると思えてしまうものです。
だから間違った方向であっても夢中になれるのでしょう。
小池さんは素直に失敗を懺悔し、自分の不甲斐なさを反省しました。
この発信の中から学ぶことは沢山あると思っています。
小池さんの解脱に対する執着と行動は、個人の行動として間違っていたと私は思いますが、その失敗を発信したことは、大多数の大きな学びに繋がっていると思います。
散々な物言いをしましたが、小池さんの行動と失敗、そして懺悔に感謝します。
行動してくれてありがとう、そしてその間違いを多くの人に伝えてくれてありがとうございます。
本を発売してます
電子書籍は半額です。(縦書きと横書きと2パターン用意してます。)
生きやすさを手に入れるための 波動とエゴの法則を書いた本【縦書き】
生きやすさを手に入れるための 波動とエゴの法則を書いた本【横書き】
書籍紹介ページへ↓
【新刊発売】生きやすさを手に入れるための波動とエゴの法則を書いた本
今回は竹久さんの着眼点に脱帽しました。まさしく下品な話も真面目な性の話も「下ネタ」とひとくくりにされて、悪いものと決めつけられる風潮はありますよね。話の幅は大きいはずなのに、そのワードが出ると受け付けないみたいな。それはお金もそうで、この世の中お金を稼がなくちゃ生きていけないのに、金儲けだと拒絶するみたいな。どんな話も把握してしっかり聞ける人間でありたいですね。
こんにちは。
性欲を否定する事って、生活を否定することに等しくて、日常に不用意な贖罪意識を植えつけることになるなと思ってます。
とは言いつつ、最近まで私も妙な贖罪意識を抱えながら生きていたんですけどね。
それを吹き飛ばしてくれたのは、全裸監督です(笑)
性欲は別に否定する程でもない日常的なことで、秘め事にし過ぎるのも逆におかしなことだったんだなぁと気がつかされました。
何事も過ぎたるは猶及ばざるが如しですね。
それではこれからも宜しくお願い致します。
私も、解脱を求める事が△云々のくだりに「おお!」と思いました。
確かお釈迦様も、アレコレ修行した結果、修行は意味がないと悟ったとどこかで聞いたような(^_^;)
日本は性に対しておおらかで、かつては性教育もきちんと指導してたみたいで、確かお雛様で女の子が集まったら、母親や年上の女の子達が指導したのだとか。
それを変に隠すからおかしくなっちゃってますね(;-ω-)ノ
イザナギとイザナミの最初の子供がヒルコなのは、流産なんじゃないかなと解釈しています。
女の子の方が早い年齢で性に関心を持つけど、体の成長がまだなのに赤ちゃん産んだらよくないよ、男の子が成長して女の子をエスコートできるまで待ってからにしようね、と教えてるんじゃないかと思うんですが、やれ男尊女卑だとかで片付けられてますから、もどかしいです。
ちなみに我が家は性にオープンで、子供の前でも旦那といちゃつくし、先日も子供に「なんでお股から血が出るの?」と聞かれて、ち○ことま○こからはじまり、赤ちゃんが出来るくだりから生理までを説明しました。
性にオープンとはいえ、ち○こや○こと言うワードは嫌がる人もいるから外では言わない、抱きつくのは相手から了承得た関係で、とも指導しているからか、おかしなことにはなっていません。
やはりバランスは大事ですね。
おはようございます。
そうですよ。お釈迦様は過酷な修行を6年間くらいしてみたけれど悟るどころか様子がおかしい精神状態になっていき、それをやめて羊の乳を飲んで、ようやく悟りの境地に入ったと言われています。
ちなみに私がこのお話を最初に知ったのは小池さんの本で、その本のおかげで私は普通の日常生活を送ることが何より大切と思いここまでやってきたので……小池さんの行動は「どうしてそうなった?」のオンパレードでした。
江戸時代の歴史を調べ直すと、本当に性に寛容だったことが伺えます。寛容でありながら健全な範囲なのがまたすごいなと思います。
それから京都の方では、おんなのこのあそこを「おひし」と呼ぶそうなんです。ひな祭りに菱餅を飾るのはそういう意味があると聞いたことがあります。
性を大切にしていた様子が神事や祭りからも伺えますよね。
それではこれからも宜しくお願い致します。
興味深いトピックをありがとうございます。
小池さんの悟り失敗については、それは残念だったねぇ…という気持ちになりますが、それ以上に、その体験をしっかり発信してくださることは素晴らしいと私も思います。ましてや悟りの本のベストセラー作家、このことを公開するのは、まさに勇気ある行動ですよね。
自分の至らなさや失敗をしっかり日の当たるところに置いて、他の人から隠そうとしないことは、自然体な生き方だと思います。自分も他人も大切にする、〇のマナーだと思います。
おはようございます。
そうなんですよね。
行動自体はすごく残念と思うのですが、そこを反省して生き直すことができるのは本当に凄い事ですし、あの失敗を受けて〇に戻ることができたのかなと思います。
小池さんは瞑想を本業にされていたのもあって、やり過ぎちゃったんでしょうね。
それではこれからも宜しくお願い致します。