最近、知りました。
小池龍之介さんが2018年頃解脱しようとして旅立たれたものの失敗して帰ってきたことを…。
それについて思うことがあってので書いときます。
超訳ブッダの言葉は今も大切にしています
先々週のイイネでご紹介した本「なぜ人はカルトに惹かれるのか 脱会支援の現場から」を読んで、小池龍之介さんが、ある時(2018年頃)本気で解脱しようとして失敗したことを知りました。
ちなみに小池龍之介さんはビギナー向けの仏教書を沢山書かれているお坊さんで、ベストセラーは何冊もあります。
私が読んだことがあるのは超ベストセラーでロングセラーの超訳 ブッダの言葉だけなんだけど、実はこの本、アセンションの道を受け入れて最初に読んだ本なのです。
↓アセンションすると決めた経緯を書いた記事あれこれ↓
だから本にも著者にもすごく思い入れがありますし、未だに超訳 ブッダの言葉は大切にしていて、時たま読み返すこともあります。
とか言いつつ、最近の小池さんのことなんて全然知らなかったですし、他の本も読んでなかったんですけどね。
ただ私にとってはブッダに関する情報は超訳 ブッダの言葉だけで十分とも言えるもので、逆に超訳 ブッダの言葉に書いてあることを全て理解して実践するだけでも十分悟りの効果があるのではないかと今でも思ってます。
そして、この本しか読んでいなかったからこそ、小池さんが解脱しようとしたことに驚きました。
だって、それこそブッダが否定していたことなのに……って。っていうか、超訳 ブッダの言葉でもそこら辺のことしっかり触れてたはずなのに、どうしてそうなった?と。
しかも、失敗したと。
なんで失敗したのか気になったので、調べてみたら余計に驚く話が待ってました。
心身危険になると性欲が現れるらしい
小池さんは、ある時からあるビジョンに憑りつかれて、2018年解脱するための旅に出たそうです。
どんなビジョンだったかというと、過去生(前世)の小池龍之介は、お釈迦様が生きていた時代(2500年くらい前)の人で、お釈迦様に次ぐ2番目の実力者であったデーヴァダッタというもの。
デーヴァダッタは、ブッダの仏教教団の中で裏切り者とされている人ですが、小池さんのビジョンではデーヴァダッタは本当は裏切り者ではなく、裏切り者に殺されてしまった人として現れたそうです。
そしてデーヴァダッタは小池龍之介として今の時代に蘇り解脱しブッダ(覚醒者)となって、今の世で苦しんでいる人々を救うというビジョンが、瞑想中に繰り返し現れたそうです。
デーヴァダッタの詳細はこちらで確認を↓
そこで小池さんはブッダ(覚醒者)になるべく旅に出ました。
自分が最終解脱することによって、多くの人を救うのだと確信していたそうです。
また、最終解脱するためには建物には住んではいけないというビジョンがあったそうで、売れる建物は売り払い、旅を出ると同時に住民票・マイナンバー・保険証も消滅させてしまったそう。電話も解約してしまったよう。
そうすることで、解脱できる道が開けると信じて疑わず、旅に出てからは野宿生活をしていたそうなのですが、早々に挫折したそうです。
挫折の要因の一つには、性欲の顕現があったそうです。
本人の言葉を少し引用します↓
【解脱失敗】小池龍之介氏(空朴)の懺悔動画の要約と感想 より
★懺悔その壱
https://www.youtube.com/watch?v=QUikoLONNYg放浪の途上で自らの弱さに気づいた。
「人間という条件を超えて解脱するだろう」というのは、間違いだった。
自らの状態を見誤って、おかしなストーリーを思い込んでしまったから、こんなことを言ってしまった。未来のコトはわからないので、絶対とは言えないが、多分解脱することはなさそう。
自らの境地について、大げさなことを言ってしまったことに関して、頭を下げて懺悔する。
(頭を下げての部分で音声が大きくなる、マイクに近づいているような感じ)過酷な状況に曝されることによって、安定した環境では隠れていた自分の弱さに直面した。
性欲と異性を求める気持ちは、消えたと思っていたが消えていなかった。
性欲が消えていることが相当な境地に達していることの証だと思うので、そのように(消滅したと)公言していたし、そう(性欲が消滅したと)思っていた。
天から与えられる戒めのようにエッチな妄想が浮かんできて、夢精をすること度々で、着替えもないのに衣服が汚れて大変だった。野宿は最初のうちは楽しめた。
公園などで寝袋を敷いていた。
途中からは辛くなってきた。
妄言・妄想・境地の詐称に対する天罰なのか、ビリビリする強烈なエネルギーがあちこちから流れてきて、頭から腹部に刺さるように入ってきて、腹部に鉛の玉(塊)が入っているようで、瞑想状態に入れなくなった。
そして、瞑想できなくなることによって、野宿の苛酷な状況に耐えられなくなった。汚い服で裸足で歩いていると、人からの社会の最底辺の人間として扱われ、非人道的な扱いを受け、大変だった。
野宿する場所が見つからないこともあり、苦労した。
寝る場所が見つかっても、その土地の森の精霊に追い出された。
街に下りてきて、別の場所に移ったら、天罰なのか、今度は警察官がやって来て、職務質問をされ、追い出され、またまた大変だった。
腹部の鉛玉のようなエネルギーの所為もあって、痛い、しんどい、という感覚を追い払えず、自分の心は乱された。自分の境地は、公言していたよりも、あるいは思っていたよりも低いところにあった。
瞑想のためにすべてを捨てたはずなのに、瞑想すらできないなんて、生きていても仕方ない。
海の側を歩いていた時に、大粒の涙を流して、泣いてしまった。
うまく行かないだけで泣いてしまう程度の悟り具合だった。
小池さんは、自分を極限状態に追いやることで解脱のスピードを早めることになると勘違いしたようですが、小池さんのようなことを行ったら性欲が現れるのは、ある種人間として当たり前のことじゃないかと私は思ってます。
というより、性欲のくだりを読んだ瞬間、野口健さんのお話が頭に浮かびました。
野口健さん曰く、高山に昇って身体が極限状態に陥ると、不思議なことに性欲が現れるそうなんですよね。
6000Mを越え高山病の影響で頭痛と吐き気に苦しめられている時の出来事。突然、息子殿がピョコンとなっているではないか。そして「かまってくれ!」と。しかし、こちらは具合が悪くそれどころじゃない。そして親子喧嘩。脳からの性欲というよりももっと動物的な独特な性欲。
— 野口健 (@kennoguchi0821) May 25, 2012
いや、極限状態での性欲に関してはどうやら男性だけではないようです。五輪に出場した女性選手から話を聞いた事がありますが、むしろ男性以上とも。いずれにせよ精神状態と性欲の関係はテーマとして調べる価値はあるでしょう。RT @mmrr0309lbm: 女には一生分からない感覚ですね!
— 野口健 (@kennoguchi0821) May 25, 2012
こちらの動画でも確認を♪
私はこの話を知ってたので、身体が本能的な生命維持機能を発揮しただけではないかと思いましたが、本人は隠れていた煩悩が出てきたと思い傷ついたと……これには笑ってしまいました。。
だって一番の煩悩は、突飛な方法で(社会から逸脱する形で)解脱しようとしたことに尽きるのに、そこには気がつかないんだなぁと…(笑)
野宿した公園も、煩悩の塊の社会が作り出してくれたものなのに……。っていうかこの世の産物には煩悩の関わりがないものなど何もないのに、どうしてここに区別をつけようとしたのかそこが不思議だし、自分は違うという感覚こそが煩悩そのもの過ぎて……。
それから、結局何もかも頭を優勢に考えていた証なんだなぁと、本能(道理)を理性が超えられると勘違いしてしまったんだなぁと…。
悟り以外の部分に目を向けていたら、多少の性欲に傷つくことなんてなかったはずなのに、残念だなと思いました。
って、気がついたらかなり長い記事になってしまっていました。
まだまだ書きたいことはあるのですが、続きは明日以降の記事で。
それではまたね♪
追記
続きかけました。
本を発売してます
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私は小林さんを存じなかったですが、この懺悔を見て、身につまされる思いです。行動して経験した事により、わかる事だから、失敗ではなく、さらにレベルアップしてると思わせられます。包み隠さず話せることが、境地だと思います。かくありたいと思わせられました。人間は深いですね。
こんばんは。
小池さんが懺悔の冒頭で発した「「人間という条件を超えて解脱するだろう」というのは、間違いだった。」という言葉に全てが詰まっていますよね。
その教えから分かることは沢山ありますよね。
この懺悔の教えしっかりみんなで覚えておきたいですよね。
それではこれからも宜しくお願い致します。
人間なんだから、それ以上のものになれるはずもないし、なる必要もないですよね。
色々見えたビジョンというのも、瞑想して変なモノと繋がってしまって、おかしなイメージを見させられてしまったのではないかと勘繰ってしまいます^^;
おはようございます。
瞑想は心の安定を作り出す方法の一つではありますが、瞑想で何もかも分かり解決できるはずもありません。
本人も気がつかぬうちに瞑想に依存していたと思うのですが……ここで紹介した本に何事も依存は良くないって書いてあるんですよね…。
しかも、ブッダは瞑想中は精神統一ができても、瞑想を解くと心がざわめきだし苦しむとも仰っていて、つまり瞑想だけでは解決できないと仰っていたこともこの本に書いてあります。
結局言うは易し、行うは難しってことなんでしょうか。
やっぱり普通に生きるのが一番だと思わされますね。
それではこれからも宜しくお願い致します。
竹久様、お久しぶりです。とても興味深い方のお話ありがとうございました。私は普通に、人間にまみれて、日常を悩み続けながら割りに合わない仕事で日銭を稼ぐ事も立派な修行だと思ってます。あとエリザベス女王が亡くなってしまいました。時代の転換点にいる心境です。世が良い方向に行きますように。きっとそうでありますように。父と子と聖霊の名の下に。ではでは良い1日を(^。^)
おはようございます。
本当に時代の転換点にいるのだなぁと思わされますね。
悩み揺れ動きながら、一歩ずつ歩んでいきたいですね。
それではこれからも宜しくお願い致します。