【人間はバランス】知識も吸って、吐いて。

人間は呼吸のリズムによって、心のバランスに違いが出てくる。

これは道理じゃないかなって思うんだ。

 

吸って、吐く、吸収して、捨てる、これが人間。

 

私たちは息を吸ってばかりいたら、苦しくなってしまう。

私たちは、息を吐いてばかりいたら、苦しくなってしまう。

息を吸って、吐いて、そしてようやく当たり前に、そして普通に生きていられる。

 

ご飯を食べても、老廃物が体からでなくなってしまえば、途端に病人になってしまう。

体に必要なものと、不必要なものを選別して、

また、体にとって役目を終えたものを捨てて、

その循環ができて、初めて私たちは健康な状態でいられる。

 

知識も同じ。

今は知識をむやみに吸収することばかりが推奨されるところがある。

というよりも、情報過多と言われる時代、自分で選別しながら情報を取得せねば、情報を吸収する量が許容量を超えやすいと思う。

その上、知識量が多い人の方が優位と言える環境になっているから、何が正しく何が間違っているかの選別もなしに、全てを丸飲みしてしまう傾向も強くなっている。

 

これを呼吸でたとえるのなら、無理して空気を取り込むことばかりをしていることと言えるだろう。

これを食事でたとえるのなら、うんこやおしっこが出ない状態にもかかわらず、とにもかくにも飲食を続けている状態に似ているだろう。

この二つの行為のその先に、人が苦しむのは目に見えている。

 

知識とて、同じこと。

吸って吐いてが必要。

吸収し排出することが必要。

 

一方に偏っているから、いつまで経っても己の中の循環が確立しないだけのこと。

 

知識を吐くとはなにか、排出するとは何かをよくよく考えよ。

 

それをせぬことには、己の循環が始まらないことに気が付けよ。

 

以上である。

 

あの……書いてる途中から、どうも自分の言葉ではない何かがまた乗り移ったようになってしまいまして(*_*;…………どう考えても、自分の言葉じゃないなと思うところは、緑文字にしておきました。

もう普通に戻ったので、ここで書きたかったことを自分の言葉でお伝えし直していきます。

 

知識は書く・喋る・行動するで、循環します。

今の世の中は、知識の持ち腐れみたいなことが沢山起きています。

分かっているけれど、行動できないのも一つ。

また、分かっているけれど、自分の言葉にできなかったりするのもその一つ。

知識というのは、聞いただけ、知っただけでは、体に定着できず、またその量が増えすぎれば体に害悪をもたらすこともあると、私は考えます。

ですから、気が付いたことや分かったことを自分なりの言葉に落として書いてみたり、話してみたり、行動してみたりしてみてください。

そうすることで、分かっていたつもりの事が分かっていなかったことに気がついたりしますし、思考の整理に繋がります。

誰かに伝えるためではなく、まずは自分のために。

5年ほど前に書いたこの記事↑にも書いてあるのですが、逆に「誰かに何かを発信したい。」という思いが強くなりすぎると、それはそれで空回りに繋がりやすいので、どうか自分のために、自分の整理のために書いたり、話したり、行動してみてください。

そうすることで、変わる感覚が生まれると思います。

その変わる感覚が循環の入り口だと私は思ってます。

途中、私じゃない文体が入り込んで失礼致しました(^_-)-☆

それではまたね♪

良い週末を♪

 

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4 件のコメント

  • 考えされられる内容でした。
    情報を聞いただけ見ただけというのは、辞書を買っただけで使っていない状態と変わらないのかもしれませんね。
    その情報を元に何を伝えたいのか?そして自分はそれに対してどう考え時にはどうアクションするのか? を考えられないと持っているだけで役に立っていないのかもしれません。

    SNSで不特定多数の様々な人と簡単に交流が出来る今の世の中、あらゆる情報が次から次に飛び込んできますが咀嚼して取り込めないと情報に溺れて鵜呑みにしてしまうことも十分にありそうですね。
    「TVや新聞の情報なんて当てにならない」「いやネットの匿名の書き込みを信用するほうがおかしい」とその二次元論ばかりが注目されがちですが、自分はどう考えるのか? ということを忘れないようにしたいです。

    • こんばんは。

      コメントの中にある「辞書」のくだりで、私は「恍惚」という言葉を初めて知った瞬間のことを思い出しました。
      私が恍惚という言葉を初めて知ったのは、高校生時代の国語の授業の時。森鴎外の舞姫でその言葉が出てきました。
      辞書を読んでも、先生の話を聞いても、さらに先生に「恍惚の意味が分からない」と言って、何度質問しても、当時はどうしても恍惚が分かりませんでした。
      そして当時の私がどうしても恍惚が分からなかったのは、私が恍惚という感覚をその時までに体感をしたことがなかったからだということに、十年以上も経過した後に分かりました。

      言葉で知っていても、体感していなければどうしても分からないことがあります。
      でも、今はそこの部分がやたらと希薄ですよね。
      多くの人が簡単に分かった気になれてしまう。
      そこが問題の根幹じゃないかなと思っています。

      それではこれからも宜しくお願い致します。

  • 竹久さん こんにちは。
    私は一時期本を読み漁っていましたが、情報や知識が増えれば増えるほど心も体も重苦しくなるだけで、それで自分が変わるわけでも、悩みが解決するわけでもなく、思う様に出来ない自分を否定するばかりでした。情報ばかりを追い求めると現実から目をそむけおろそかにし、理想ばかりの言動になりがちで夫から「現実をみなさい。」と言われたことを思い出しました。
    その頃に読んだ本・・・
    ◦本田健  大好きなことをやって生きよう!
    ◦千田琢哉  好きなことだけして生きていけ
    ◦心屋仁之助  「好きなこと」だけして生きていく。
    を読みましたが自分は好きな事をして生きていくより、人から感謝される生き方が幸せを感じるものだと気づきました。
    海外の本で何度も読み返している本があります。
    ◦テリー・コール・ウィッタカー  私がわたしになれる本(1・2)です。
    この本の最後の文章【「やってみたけどだめだった。」などといわないで、もう一度自分を信じ、もう一度本当のことを語り、もう一度人生のゴミを掃除し、もう一度暗いところから出てきて、もう一度人を許し、そしてもう一度愛を選んでください】のくだりが心に響きました。

    私はどうにもこうにも、自分の思いを言葉にし文章にするのに難儀します。
    こちらのブログのコメントには、もっと自分の思いを自分の言葉で表現できたらいいな。と思いました。
    コツコツ努力したいと思いました。

    あと小宮一慶さんの本の紹介がお役に立てたならば嬉しいです。ありがとうございます。

    • こんにちは!
      小宮さんの本教えてくださりありがとうございました。
      読んでも実践しないと苦しくなるばかりですよね。
      寒いと思ったら厚着すれば良いということは分かっていても、服を着なければずっと寒いままです。
      そして着ないから気がついた時より、どんどん寒さが増すので辛くなりますよね。

      知識の吸って吐いてもそういうことだと思います。
      吸収した情報を吐き出すことで咀嚼し、そして咀嚼で理解ができるようになって行動ができるようなると思います。
      そして行動ができるようになって、初めて問題解決も可能になるのだと思います。

      小さな事からやってみて、感覚が掴めるようになれば、この作用が普通になると思います。
      応援しています。
      これからも宜しくお願い致します♪

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