※こちらは、以前私がアダルトチルドレン(現在の自分の生きづらさが親との関係に起因すると認めた人)の問題に向き合っていた時に書いた内容を掲出しています。できれば最初からお読み頂ければと思います。→0.はじめに
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アダルトチルドレンは国民病?!
第一章 親のことが好きになれない大人が増えていく日本
1-3.アダチルが増えるきっかけとその法則
アダチルというのは、「現在の自分の生きづらさが親との関係に起因すると認めた人」を指す言葉です。
ポイントとなるのは、「認める=自覚する」ということなのですが、実はこの「自覚」には社会の混迷ととても大きな因果関係があることが見えてきました。
まずは、ここから見ていきましょう。
日本でアダチルドレンと言う概念が浸透し始めるのは1995年のことなのですが、この年がどんな年だったか覚えていますか。
この年の日本は、年が明けてまもなくの1月17日、阪神大震災という未曾有の災害がありました。さらに3月には、地下鉄サリン事件という大変痛ましい国家転覆を狙ったテロ事件が起きました。
また、バブル崩壊後の社会余波も本格化していきた頃に加えて、1ドルが80円を切る超円高が到来し、「円高デフレ不況」も始まりました。そして、国内の製造業は大手であってもリストラをせねばならない事態に追い込まれ、一方でコスト低下を求めて海外に工場を移転する企業も相次ぎました。
その上この年は、その後の日本の社会体制を大きく変化させていく政策のきっかけとなるレポートが日経連より発表されました。このレポートは、非正規雇用者の増加を促した内容の「95年レポート」と呼ばれるもので、現在まで続く非正規雇用者の増加の出発点として位置づけられているものです。
ジャーナリスト歴35年の山村明義氏は、「ジャーナリスト人生の中で最も日本が暗く陰惨としていて、忘れたくても忘れられない年だ」と著書「勝つための情報学」で語っています。
それほどまでの暗い気持ちに日本国民が覆われた年に、アダルトチルドレンという概念は国内で産声をあげたのです。
しかし、今思えばそれはまだ静かなブームだったと思います。
日本においてアダチルであることを自覚する人が増えていくのは、母娘関係にクローズアップした書籍や雑誌記事が現われたことによってです。その始まりとなった年は、2008年でした。
この年はリーマンショックによって、世界的な経済不安が訪れた年でした。
株価は半値になり、資産が大きく目減りした会社も多いでしょう。また、ボーナスの支給がなくなってしまったサラリーマンも沢山いました。派遣切りも多く行われ、元々収入が少ない人たちの収入源が絶たれてしまう事態も起き、経済の大混乱によって大きく国内が揺れ、不安を抱える国民が増大しました。
さらにアダチルが浸透していくキーワードとして登場したのが「毒親」という言葉なのですが、この言葉の始まりはいつ頃のことだったのか、アマゾンで「毒親」をキーワードに書籍検索をしてみた所、タイトルに「毒」がついていた書籍の中で一番古い書籍は2012年1月7日に発売された「毒になる母親」(キャリル・マクブライド著 江口泰子訳)でした。毒という言葉の浸透は、この書籍をきっかけに徐々にじわじわと広がっていったものではないかと推測されます。
奇妙な因果は続くもので、この本が発売された前年の2011年は、東日本大震災がありました。この国に住む誰もが、この国の行く末と自分の将来不安に覚え、悲しみに暮れた時だったと思います。
こうして振り返って見るとアダルトチルドレンという自覚が増えるタイミングには、なぜか強い社会不安やショックがあることが見えてきます。
これは、災害による精神的ショックや社会に対する不安、未来に対する不安という環境が色濃くなると、「現在の自分の生きづらさが親との関係に起因すると認める人が増える」とも言いえると思います。
また、アダルトチルドレンという概念が初めて日本にやってきた95年は、震災報道をきっかけに、「被害者」という言葉がメディアで多用されることになったそうです。
「被害者という言葉の浸透と供に、自分の事を家庭内における被害者だと言う自覚を持つ人が増えていった」とも信田さんは分析されています。
逆に言えば「被害者」という概念が社会に定着していない限り、このような問題は顕在化しないとも言えます。
つまり、アダチルを自覚するためには、「漠然とした不安」と「被害者意識」という大きく二つの要素が必要になるということでもあります。
私が先の項目で各家庭環境の問題だけではないとお伝えしたのは、この自覚には社会環境が密接に関係していたからです。また、私が問題だと感じているのは、この漠然とした不安が、容易に被害者意識にすり替わっていく現代の風潮です。そして、その不安の責任を親に押しつける構図を作ることで、自己を正当化する術になっているのではないかという疑念も持っています。
もちろん個々に家庭の問題は違うので「親のせいだ」としか言いようがない環境で育てられた人もいることでしょう。ただし、社会的不安が強い時に自覚が増えるという事実は、自分の人生が上手くいっている時であれば、親の育てられ方を問題視することはないという事実を現わしているとも言えます。
にもかかわらず、世の中の風潮的に「親のせいだ」とすることがどんどん正当化しているということは、自分の人生に対する不安や不満の種とその責任を、親に押しつけることで解消する方策が蔓延しているとも言えます。一度アダチルである自覚を持つと、親が憎くてしかたがなく、その感情からどうにもこうにも逃れられなくなることは、私も経験しているので知っています。
しかし、これは非常に危険な行為だと思っています。
なぜなら、どんなに親のせいにしても、自分の心のしこりは解消されないからです。
心のしこりを解消していくためには、まずは自分が「被害者である」という意識から抜ける必要があるのですが、現代社会はあらゆることを二分する考え方が定着しています。そして、世の中は被害者優位の世論が一般的にもなっています。
そのため、被害者である自覚を持ち、それを告白することは何ら問題ないこととして多くの人が捉えているように見受けられますが、この風潮は、人を不幸せにしかしません。だから、現在の風潮を私は危惧しているのです。
そもそもアダルトチルドレンという言葉が流入された頃までの日本は、被害者・加害者という感覚があまりありませんでした。この感覚が未熟だったことに対して、未開であるような印象を持つ人がいるかもしれません。
しかし、社会体制としては対立軸がはっきり別れる方のが、実は退化していると言えるのです。詳しい解説は後にさせて頂きますが、経営者・雇用者、権力者・非権力者など、対立軸でものを考える方法を二元論と呼ぶのですが、この考え方は非常に厄介な対立ばかりを作り出し、問題が無いところにまで問題を作り出す作用まで持ち合わせています。
つまり、二元論で考えることが馴染むと世の中は自然と対立軸を作り出すので、社会は殺伐化していき、トラブルが増えるようになります。
昔の日本にも朱子学や儒教に代表されるような二元論的考えはありましたが、そういった対立軸を持ち合わせた内容について考える時に、日本人は「YES」や「NO」といったはっきりと白黒つけるような考え方だけを持ち合わせていたのではなく、繊細な表現を用いた考え方に基づいて、対立構図となっている問題についても議論していました。
今でも海外の人から見ると、日本人は曖昧ではっきりしないと言う印象を伝えられることが多いですが、それは「YES」や「NO」だけで判断できない繊細な感情を加味した上で物事を考える奥深さがあってのことだろうと私は思います。
しかし、現代はすっかり短絡的な二元論の範疇に多くの人の思考が収まってしまっています。
そのためこの本では、いかに私たちが知らず知らずのうちに二元論という窮屈な考えに収まって自分の心を苦しめているのかという部分にも焦点を当てていきたいと思います。
ただ一方で、子供たちが耐え難いと思う程、子供を束縛し支配しようとする親が増えていることも事実です。どうしてこのようなタイプの親が増えているのかも歴史を紐解いていくと、分かりやすい分岐点があることが見えてきますので、後にどうしてこのようなタイプの親が増えているのかも考察していきます。
アダルトチルドレンという問題は、個々にとって非常に大きくてセンシティブな事柄です。
しかし、歴史を背景にこの問題を紐解いていくと、私たちが直面しているこの問題は自分自身だけの問題ではなく、未来の子供たちのためにも乗り越えなくてはならない必然に迫られている直近の課題であるように思えてきます。
そして、これを乗り越えることこそが現代に生きる私たちの役目なのではないかと、私は切に思うのです。
こんにちは、竹久さんのアダチルについての見解を興味深く今読み進めています。
私がACを知ったのは古くて1998年の時です。その時に斎藤学さんという方の書いた本
機能不全家族を買って読んでいました。当時はまだ、ACはアルコール依存症を家族にもつ
家族について主に書かれていました。実は1997年に私はアメリカ人と結婚し、夫の母親が
再婚した相手がアルコホリックで、渡米した後から夫と夫の母の関係性に悩み苦しみました。
そして、私の家庭も機能不全でしたので、ACについては当時調べまくってました。
英文を読むには英語が達者じゃなかったので、翻訳本が出て数年で毒親本を手に入れました。
(※竹久さんがAmazonを調べた時には毒親のキーワードでヒットしたもので一番古い本は
2012年と書かれていましたが、私が知る限りでは一番古いのは2001年に既刊されています。
『毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫) 文庫 – 2001/10/18
スーザン・フォワード (著), 玉置 悟 (翻訳)』というものですね。私は2005年に購入しています。)
これからまた竹久さんの毒親についての記事を読み進めていきますね!
また後で感想を送らせて頂きます
すいません、さっき送ったコメントの中で、斎藤学さんの本の名前(機能不全家族と書きましたが)を間違ってました。正しくは、『アダルト・チルドレンと家族―心のなかの子どもを癒す (学陽文庫) 文庫 – 1998/4
斎藤 学 (著)』という本でした。その中に機能不全家族という名称が出てきてたので、勘違いしました。しかし、1998年でアダルトチルドレンとタイトルがついてたんですね、改めて確認した次第です。
ねむねむさんありがとうございます!先ほどのコメントと合わせてお返事致します。
まず毒親の書籍が2001年には刊行されていた事を教えてくださりありがとうございます。
どうして「毒親」という言葉がこんなにも流通するようになったのか、もっとここの部分にはしっかり調べ直しますね。
日本ではアルコホリックの親という事で悩むということは過去においても現代においても少数であるように見受けられますが、やはりアメリカでは非常に多い症状なのでしょうか。海外の事情と日本の事情が違うためそこら辺の事にどうしても実感持てないので、また教えて頂けたら嬉しいです。
それではこれからも宜しくお願い致します。