6-7.触れていないからこそ、生まれてしまう隙間

※こちらは、以前私がアダルトチルドレン(現在の自分の生きづらさが親との関係に起因すると認めた人)の問題に向き合っていた時に書いた内容を掲出しています。できれば最初からお読み頂ければと思います。→0.はじめに

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アダルトチルドレンは国民病?!

第六章 私の格闘記

 

6-7.触れていないからこそ、生まれてしまう隙間

 

唐突な質問をします。

最近、あなたは親と手をつないだ事はありますか?

最近、あなたは親とハグをした事はありますか?

 

残念ながら、私は今年父が脳内出血で倒れるまで、この十年程度、父に触れていなかった事に気がつきました。

同じように、母にも触れていなかったと思います、

父親が倒れた三月。病院に行くと、幾つものパイプに繋がれた父の姿がありました。その姿は、もういつ死んでもおかしくないような瀕死の状態でした。ようやく意識を回復し始めたとはいえ、それは決して生きてるとは形容出来ないような状態でした。その時になって初めて私は、父の手を握りました。あまりにも触れていなかったので、恐る恐るその手に触れました。  「友理子だよ?、分かる?」と、手を握りながら父に話しかけると、父は、ゆっくりとそして力強く握り返してくれました。

その時、幾つもの涙が私の頬に流れました。そして、気がつきました。

「どれだけ長い間、この手に、この身体に、触れていなかったのだろう」

小さな頃は、父に飛びついたり、母に抱っこしてもらったり、そうして触れ合う事が当たり前に生きていたはずなのに、大人になると、どうしてこんなにも父や母と触れ合う事が少なくなるのでしょう。

「これがいけなかったんだな」と、一つの答えが見いだせた気がしました。

親子という関係は、あまりに特別です。逆に特別過ぎるからこそ、少しの掛け違いで大きなトラブルにもなってしまう。小さな頃から、数え切れない程のスキンシップを重ねて来た関係だからこそ、本当は口に出さなくても、理解しようと努めなくても、肌に触れれば分かってしまう事が沢山あると思うのです。

それをうっかり私たちは忘れてしまって、言葉や常識の中で分かり合おうとしたり、共感を探そうとするから、チグハグしていたのかな?と、思うようになりました。

今の父は、ベッドから起きるたった一つの事でも介護が必要なので、それからの私は父に頻繁に触れるようになりました。そして、同じように母も父に触れる回数が増えました。触れる機会が増えた母と父の間では、喧嘩がもの凄く減りました。

父が倒れる前までは、喧嘩することが父と母の日課のようになっていて、それが嫌で帰りたくなかったりもしたのだけど、今二人はそんな時期があったのかと思うほど、仲良くしています。

それは、触れ合う機会が増えたからだと思っています。

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