3-10-2.学校教育の中で育まれる革命理論②

※こちらは、以前私がアダルトチルドレン(現在の自分の生きづらさが親との関係に起因すると認めた人)の問題に向き合っていた時に書いた内容を掲出しています。できれば最初からお読み頂ければと思います。→0.はじめに

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アダルトチルドレンは国民病?!

第三章 戦後教育・戦後社会とデュープス

 

3-10-2.学校教育の中で育まれる革命理論②

②知識過多の教育によって、考える機会を損失していること

そもそも学ぶは真似るという言葉の意味から出来上がっています。全ての学びは真似ることが始まりで、座学で知識を吸収することではありません。

しかし、私たちがイメージする学びや学習というものは、教室の中に先生と生徒がいて、先生の話をノートに書き写すイメージではないでしょうか。

今の世の中でも真似ることが学ぶことに繋がっている学習は沢山あるのですが、それは主にスポーツや習字などの動作を覚えるお稽古事に限られていると思います。

学校でも学級会などで互いの意見を出し合って考える時間などはありますが、基本的にはテストや受験の為に、答えを暗記する作業が学習であると錯覚する時間の方が圧倒的に多いと思います。

これは本来の学びの形とは違いますが、このイメージの方が色濃く焼き付いてしまっているので、戦後世代は、知識だけを得て分かった気になるということが多く発生しています。

たとえばスポーツだとできるようになるまで練習を重ねます。そして、先生の言っていることが体の感覚として理解できた時に、はじめて「分かった」という言葉を使うと思います。しかし、このような体の動作が必要としない分野になると、知識を吸収した時点で「分かった気になる」のです。

この何が問題かというと「考える」ということの動作が欠落してしまうことです。

動作を真似る作業をしている時は、「なぜ?」を思うことが必然的に発生するので、自然と考える機能が使われるのに対して、知識を覚える時にはそれがほとんど使われません。相手の言葉を鵜呑みにして、ただただ情報を蓄積させる作業を続けるだけです。考える事なしに、情報を蓄積させていくことを私たちは学習と呼んでいることが多いと思いますし、これが一番の問題だと私は思っています。

これは小中高と十二年もの間、テストの為に答えを暗記する繰り返しを続けてしまったがゆえの産物です。私たちは考えることよりも覚えることや暗記することが学習であると思い込む感覚が強くなってしまっているので、本来の「学ぶ」から遠ざかってしまっています。

たとえ動作を必要としない分野のものであっても、「なぜ?」を考えることは非常に大切なことだと思います。なぜなら人は、「分からない」と考えていたことが分かった時に、ようやく体感を得た理解になりますが、その「分からない」を考える暇も無いほど、私たちの学習は暗記に費やされました。

高校受験、大学受験となれば、普段のテスト以上に広範囲の情報が問題として出題されることになりますので、適切な答えを選び記入することが、受験生に求められることです。だから、「なぜだろう?」なんて、考えている暇がないのです。とにかく適切な答えを導く方法を覚えて、答えを覚えて、決戦の日に挑むことが全てなってしまいます。その結果私たちは、考えることがとても苦手になってしまいました。

さらに、問題だと思うのは、私たちが十二年間してきた勉強は、答えが既にあるものばかりでした。受験勉強においては、特にその傾向が強くなります。

幼い頃から十二年間、そんな勉強しかしないでいると、この地球にはもう不思議なことは残っておらず、既に答えはもう出ているという錯覚までが生まれてきてしまいます。

地球で答えが判明していることなんて、実はほとんどありません。海の底に住む深海生物のことはほとんど知られていませんし、地球の内部がどうなっているのか、目で確かめた人はまだいません。私たちは分かっているようで、この地球のほとんどのことを知りません。

しかし、答えのある問題を解くことばかりしてきた私たちは、ここで大いなる勘違いをしてくようになってしまいます。

全ての答えはもう出ているという錯覚をしてしまいますし、上に行く為に必要なのは、自分の意見ではなく「正解を探すこと」という感覚を身につけてしまいます。 だから、考えるよりも、既にある答えを探したり、答えが見つかればそれに合せようとしてしまいます。そして、ちょっと考えれば分かるはずのことがどんどん分からなくなり、マニュアルに沿ってロボットのように行動することが正解となっていきます。

自ら考えて失敗するよりも、マニュアルに沿ってやった方が保身に繋がるし、考えなくてすむという利点もあるのでしょう。このようなマニュアル型社会によって、柔軟な対応ができない人が増えた結果、ギスギスした社会までも生み出していると思いますが、そのギスギスした環境を作っているのは自分であるという自覚は、「正解がある」と考える限り芽生えません。ですから、問題は自分の中にあるのではなく、外にあるのだと思ってしまいます。

また、私たちが受けてきた教育には、明らかに間違っていることを敢えてそれが事実だと教えられている場合もあります。その上覚えることが学習の基本でしたので、明らかに間違っているはずのことでも、学校で教えられた内容を反射的に選びやすくなっています。この誤解から現実認識に対する歪みまでも生まれるようになっています。

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