心屋さんを始めとした人気スピリチュアルリストに関して、書籍の販売実績を元に調査した時代があります。
- 【偽スピ報告書①】書籍から見える世界:実施概要など
- 【偽スピ報告書②】書籍から見える世界:年別出版冊数
- 【偽スピ報告書③】書籍から見える世界:著者別出版書籍数
- 【偽スピ報告書④】書籍から見える世界:出版社別書籍数
- 【偽スピ報告書⑤】書籍から見える世界:著者別分析:Happy
- 【偽スピ報告書⑥】書籍から見える世界:著者別分析:天宮玲桜、大和田菜穂
- 【偽スピ報告書⑦】書籍から見える世界:著者別分析:LICA&FUMITO
- 【偽スピ報告書⑧】書籍から見える世界:著者別分析:子宮委員長はる
- 【偽スピ報告書⑨】書籍から見える世界:著者別分析:滝沢泰平、望月俊孝、鳴海周平
- 【偽スピ報告書⑩】書籍から見える世界:著者別分析:阿部敏郎
- 【偽スピ報告書⑪】書籍から見える世界:著者別分析:心屋仁之助
- 【偽スピ報告書⑫】書籍から見える世界:著者別分析:雲 黒斎、さとうみつろう
- 【偽スピ報告書⑬】書籍から見える世界:著者別分析:奥平亜美衣
そして、今世の中に迷惑をかける人を増殖させている心屋さん、Happyさん、子宮委員長はるさんは、エゴの観点で見た時に共通点があります。
そのことについて改めて記事にします。
スピリチュアルの情報で良くなる、悪くなるの分岐点
基本的に人間は精神世界だけでは生きていけないので、全てを精神世界だけで判断していくと誰もが泥沼に陥るはずです。
ただし、スピリチュアルな情報の発信側が現実を直視するタイプであれば、その情報を元に現実と精神世界の融合が図れるので、心と現実の不具合が緩和され、現実を悲観することなく、生きやすくなるはずだと思っています。
以前、私が行った調査では、17名の方を調査対象とさせて頂き、うち14名の方のエゴの状態を分析させて頂いたきました。
この時行ったグルーピングが、その後読者の方からお寄せ頂いた情報と符合するグルーピングだったと、さきほど改めて思いましたので、記事にすることにしました。
まずは、当時私がどんな風に彼らをグルーピングしたのか見てみましょう。
こんな感じです。
↓この図の意味を理解するための記事↓
この図ではエゴの状態によって5つのグループに括り分けしました。
そしてこの5つのうち、スピリチュアル教祖様が存在しているのは②~⑤の4つなのですが、ここで括り分けたグループによって、最近見えてきたのが、教祖と信者の因果応報の関係値です。
②~④の分類において、信者にどのような影響が与えられるかざっくり言うと……
②奥平さん、黒沢さん
→信者は、割合良い方向に導かれる。
③さとうさん、大和田さん
→信者、可もなく不可もなく。今まで通りが維持されるが少し良くなったと感じるはず。
④心屋さん、Happyさん、はるさん、天宮さん
→信者になると、他人に迷惑をかけたり、他人を傷つけるようになる。
⑤滝沢さんなど
→信者になると、本人が面倒臭いことに巻き込まれる。
③までのレベルのスピリチュアル教祖さまが持ち合わせているエゴは、一般人と同等かそれよりもエゴが少ない人です。
そのような人の教えを取り入れて、今まで以下の生活状態や精神状態になることは、あまり考えられません。
しかし、スピリチュアルという業界は大変恐ろしく、崇高な言葉で自分を飾りながら、一般人には考えられないようなエゴを身にまとった人がうじゃうじゃ生息する地帯であります。
ですから、一般人には考えられないようなエゴを身にまとっているのにも関わらず教祖様として君臨されている方は沢山います。
私が以前調査した時は、70%の教祖様が一般人以下の強大なエゴを持ち合わせていることが分かりました。
ただ、スピリチュアルに没頭する人たちのエゴの作り方には2パターンあって、それによって信者に与えられる影響に違いがあるなということが、最近分かってきました。
その2パターンは、夢見かガチかの違いです。
夢見というのは、私用語なので初めて聞く方は、下記の記事を確認願います。
↓夢見関連記事↓
ざっくり言うと、
夢見は、善良な心持事態がエゴに支配されている人で
ガチは、エゴが取り返しがつかない程肥大化してしまった人の違いです。
この間、心屋さんは自らの事をサイコパスだとカミングアウトしていましたが、
【本人談】心屋は、魂の波動が低くてサイコパスで楽しく生きることしか知らないバカっぽい宗教。
エゴが取り返しがつかない程肥大化してしまっている人たちは、サイコパスと同様の心持になっていきます。
そして、信者はその波動と同期していくために、様子がおかしくなっていきます。
夢見の人たちも、一般人と比べ物にならない程エゴの状態が深刻になっているのですが、ガチの人たちと比べた時の違いは、
人に迷惑をかけるのか、それとも自分が迷惑をこうむるのかの違いだなと思いました。
以前、滝沢さんの友人に頼まれて、以下のような記事を書いたことがあります。
コメント欄には、実際に被害にあった方からも多数のコメントを頂きました。
ただし、こちらにコメントを頂いた方は自分が被害にあったことを自覚した上で、自己を反省し自己解決しています。
一方で、ガチな人である心屋さん、Happyさん、子宮などにはまった信者さんは、いつまで経っても自分が被害にあっている自覚がないまま周りに迷惑をかけて闇落ちしているケースが多く、周囲を振り回している事が多いように思います。
ですから、どっぷり本人がはまった経験があった上で報告してくるケースは少なく、周囲が心配して検索してコメントをくださる事が多いように思います。
だから、
滝沢さんのようなタイプに対しての情報提供は、主語が「私」や「自分」になるのに対して、
心屋さん、Happyさん、子宮さんの場合は、主語の多くが「家族」や「友人」などの自分以外の人になるケースが多いように思います。つまり思い悩んでいるのは、本人ではなく、周囲に変化するのです。
これはカルト宗教にはまった家族を救出しなくてはならない悲劇と同意とも言えるのではないのでしょうか。
つまり、この3人にはまると、本人以上に周囲が気をもむ事態が発生していることを改めて意識した方がいいと私は思いました。
TSUTAYAのある店舗で、心屋さんの本が撤去されたそうです。
案外今回の心屋さん虐待騒動は、商業ベースにも変化が生まれているようです。
TSUTAYAのある店舗では、心屋さんの本が全て撤去されたそうです。
↓読者さんが教えてくれた記事↓
こちらのブロガーさんは、本屋に心屋さんの本があったらチクリと言ってやろうと思っていたそうですが、行ってみたら全て撤去されていたとのことでした。
このブロガーさんのように、本屋さんに行った時に、この3人関連の本を見かけたら、店員にチクりと伝えることは大いに意味があることかもしれませんね。
ちなみにこのブロガーさんが、心屋さんを問題視するようになったのは、友人が心屋さんにはまりだしてから、子供を叩くようになったからだそうです。
精神世界に嵌って闇落ちする人は確かに沢山いますが、それがこぞって人に多大なる迷惑をかける人に変貌してしまうのはやはりおかしなことだと思います。
その事実を書店側にお伝えする意味はあるよなと、とあるブロガーさんの行動によって気が付きました。
サイコパスの発想は、サイコパスを生み出すだけなので、警戒して対応していきましょう。
お知らせ☆電子書籍発売開始しました。
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本の内容一部を公開してます。
本の紹介ページはこちら↓
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- 【偽スピ報告書①】書籍から見える世界:実施概要など
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【本人談】心屋は、魂の波動が低くてサイコパスで楽しく生きることしか知らないバカっぽい宗教。
こんばんは!はじめてコメントします。
半年ほど前からの読者です。
友人が、ある起業塾(おそらく少しスピリチュアル寄り)にハマってから、自分の気持ちを大切にしよう!仕事はなるべく楽してたくさん稼ごう!というような自己中心的な考えになっていると感じています。
また感情の暴走が止められないことも増えている気がして、心配しつつも最近少し距離を置いています。
スピリチュアルでは、自分の気持ちを大切にしようというようなことをよく言いますが、これは決して、人様に迷惑をかけてもいい!という意味ではないと思うのですが、
心屋などのスピリチュアルでは、人様に迷惑をかけてもいい!というように言葉そのままに解釈する人が多いので、自己中な思考の人が増えて、結局まわりの人が被害を被るんでしょうね。
※実際心屋さんの解釈は違うかもしれませんが、ブログなど読んでると信者の人はそういう風に解釈してる人が多い気がします。。
結局、なんでこんなのが流行ってしまってるのかって、
自分の頭で物事を考えられない人が増えているからなのかなと思います。
自分の頭で考えられない、もしくは考えたくないから、自分にとって都合のいい人の言葉をそのまま鵜呑みにしてしまう。真偽が判断ができない。何かに依存してしまう。。
楽しよう、楽しようという今の流れがなんだか気持ち悪いです。
コメントありがとうございます。いつもお読みくださりありがとうございます。
さーちゃんさんの仰る通りで、自分の頭で考えない人が多いということだと思います。
私たちの学習にはいつも答えがあったので、自分で考えなくても答えを暗記すればいいという行動が身についてしまっている人たちが多い現れなんだと思います。
そして、答えがあると思っている人は、自分にとって一番都合の良い答えだけを信じて真似することになってしまうのでしょう。
つねに「なぜ?」って考える気持ち持ち合わせて生きたいですよね。
それから、心屋さんのようなタイプはエゴの肥大化がどうしようもないところまできてるので、他者の存在や気持ちが分からない状態だと思います。だから、他者の心が不在化するメソッドが確立され、周りに迷惑をかけていることを何も感じない人を生み出しているのだと思いますが、どう考えたって間違っていると思います。
ただ、去年の今頃と思えば、格段彼らのメソッドが間違っている事を知り、そう感じる人が増えてきたと思います。一度はまった人を変えるのはなかなか難しいですが、危ない思想である事がより広く伝わることを私としては期待しています。
どうぞこれからも宜しくお願い致します。
先日の「叩かれるために生まれてきた」の件で、心屋を擁護する人が多いんですけど、その理屈がテンパっててよく理解できないんですよね。
こんなブログがありましたよ。
https://ameblo.jp/kobaytake/entry-12405972621.html
親が自分の視点を変えるために「叩かれるために子供が生まれてきた」と思い込むんだったら、結局親の視点の変更のために子供を利用してることにならないでしょうか?
そこに子供の本当の意思はあるんでしょうか?
親が自分の罪悪感を紛らわして、ごまかすために、なんで子供が生まれてきた目的を勝手に決めちゃうんでしょう?
「子供が生まれた目的なんか何もわかってない」のが正解じゃないですか?
この間は、大事な指摘をしてくださりありがとうございました。
該当ブログ読みました。反吐がでる気持ちになりました。
子供っていつからサンドバックになったのでしょう。叩かれるために生まれてきたのなら、学校でいじめられることも含めて子供が傷つくことを全て肯定せなければならなくなります。
彼らのメソッドは、自分だけを肯定して、他者の気持ちを不在化させることに溢れています。
心屋流を名乗って活動している人たちは、皆さん漏れなく再起不能なほどエゴが肥大化しているので、彼らに間違っているということを伝えても、逆上するだけで、解決に繋がらないと思いますが、一般社会の人たちは、すぐにこのおかしさに気がつくと思うので、一般社会にいる人たちに、彼らのおかしさを伝えて行く意味はあると思っています。
それではこれからも宜しくお願い致します。
竹久さん、こんにちは。
いつも楽しく読ませて頂いています(^^)
わたくしごとで恐縮ですが、友人が心屋さんに嵌まっています。ポッドキャストをよく聞いているそうで、夢は心屋さんと遊ぶことだと言っていました。
先日、何人かで出かけるときに、この友人に車を運転して貰うことがあったんですが、、、
この人に運転させてはいけないなと、思うことがありました。
落ち着きのなさと責任感の欠如?のようなものを感じてしまって…人の車なのに運転が自己中というか…こんな運転する人だっけ?っていうような…
最近、話す言葉もおかしいです。別の友人にこんなこと言われたと話すと、「それは怒っていいレベル」と言われ、人を傷つけても厭わなくなっているような様子も見られます。
普段は誠実で大人しい人柄で、心屋さんを知って時分を開放出来た部分もあるのかもしれません。
ただ、最近、落ち着きがないなぁと友人である私はそう感じています。
本人には、このブログで得た情報を伝えておきました。どう受け取ったかは分かりませんが、目が覚めることを祈って…
本当に情報をありがとうございます。私も心屋さんってどうなの?とひそかに疑問を持っていた一人だったので、こちらのブログで色々と教えて頂けて感謝しています。
嫌がらせなどおありだとのことですが、それに負けず勇気のある投稿をされていて、頭が下がる思いです。
いつもありがとうございますm(_ _)m
いつもお読みくださりありがとうございます。
お友達のお話痛み入ります。
この記事でも書かせて頂いたことですが、あのお三方に嵌まると、おかしいと思うのは他者であり、本人の自覚は伴いません。
そして、批判されると、自分ではなく世間が間違っているという、解釈だけが大きくなっていきます。
自分だけの考えを肯定させることを継続することが、どれほど恐ろしいことなのか、知れば知るほど私も辛くなりますし、私自身がそのような所に陥らないように、気をつけなくてはならないなと終始言い聞かせ、確認し、歩んでいます。
私が始めたことは、覚悟を決めて、私が始めたことです。
だから、批判の的になることも充分承知の上です。
それでも、嫌だなと思うことは確かにありますが、同じような気持ちを持ち合わせていた人は私だけではなかったと知ることも沢山あり、ひつじさんのようなコメントを頂くと心強くなれます。
それではどうぞこれからも宜しくお願い致します。
今日も楽しく生きましょう♪