【日本人】いつから労働は罪になったのだろう

日本人にとってはたらくことは生きがいであり続け、それに伴い文化と歴史を育み続けたはずなのですが、戦後の日本社会はその歯車に歪がおきてしまいました。

 

労働が罪である価値観は西欧社会由来

日本の社会はそもそも働くことを肯定的に捉える社会で、いくつになっても働くことは良いことであっただろうと思います。

なぜなら、働くの語源は「端楽」からきており、周囲を楽にしたり楽しませることが働くの基本にあるからです。

憲法で労働が義務図けられているのも、日本人の価値観として、はたらくことは人が活き活きとした人生を送るために必要不可欠なことだと認識していたからだそうです。

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【日本経済】労働の疲弊は、無駄なことをしているからなのかも。

ですが、敗戦国になってから立ち直るために、日本は金儲けに必死にならざるを得ませんでした。

さらに占領下時代には、日本古来からの考え方のほとんどは否定され、日本が間違っていて、西欧社会が正しいという教育が満遍なく行われました。

 

その結果、働くことは、「端楽」から「労働」というものに移り変わり、そして西欧の価値観に近い、労働に対する罪や罰のような意識も芽生えるようになったのではないかと思っています。

 

「認められたい」と「金稼ぎ」の曖昧さが日本人を苦しめる

今の現代人は、労働に対して、二つの価値観を同時に併せ持つから、みんな苦しんでいるのかなと思うようになってきました。

 

「端楽」という言葉が指し示しているように、日本人は誰かの役に立ちたいという欲求がとても強い民族だと思います。

本来お金など関係なく「端楽」が循環できる環境にいれば、多くの日本人は満足な気持ちに満たされると私は思っています。

 

しかし、戦後の日本社会は、「労働」と「金」の関係値がより一層密接となり、「労働とはお金を得るための手段」に変わっていき、そもそも付帯していたはずの「端楽」という概念が表向き欠如しやすくなっています。

だからこそ、「端楽」の循環が失われ、「認められたい」という欲求が強くなりがちなのかなと思います。

そして、収入が高額になればなるほど、「認められた感」がある錯覚をおこしやすいので、お金を沢山ほしくなっていき、さらにお金儲けに目がくらんでいくのかなと思います。

そして、苦しんでいるのかなと思います。

 

私たちは日本人だから、自分の価値観を「端楽」に戻した方が、心も生活もゆとりあるものに変化していくだろうと私は考えます。

私も社会人時代は、寝る間も惜しんで働くようなまさに「働きマン」な人生で、やっぱり収入が多い方が認められている価値観の中に生きていましたが、この生き方は絶対に疲弊します。

さらに「働く」ことと「お金」が密接な関係値を築いている方が、疲れると思います。

 

私たちはやっぱり日本人だから、「端楽」を起点に生きた方が、楽だなと思います。

自分の得意なことを他者に施すことによって「端楽」をのんびり続ける方が性に合っているように思います。

「端楽」を起点にして労働していると、常に「認められている」感覚が増えるので、お金を得る以上の満足感がもたらされます。それによって、労働に対する不満は消えていくだろうなと思っています。

こういう話をすると、すぐに起業と結びつける人がいると思うのだけれども、起業はプロと呼ばれるだけのスキルを持っていない限りなかなか難しいと思います。

しかも、今の環境を否定して、新たな所に飛び込んでもきっと同じ問題の中に生きることになると思います。問題はその会社や環境ではなく、ほとんどが自分自身で作っていることが多く、不満の種は自分自身にあることがほとんどだからです。

ですから、今労働に対して不満を感じている人は、起業や転職するのではなく、労働時間を「端楽時間」に切り替えて、とにかくみんなの為に動いてみたら良いと思います。

新たな発見があるかもしれません。

 

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6 件のコメント

  • 竹久様

    こんにちは
    何時も楽しく拝読いたしております

    今回まさに今の自分の事?
    以前もお話致したかとは思いますが、小生が居る業界は印刷・出版・広告で紙媒体の装置産業です
    直近シュリンク速度加速して利益が出せない状況でオーナーから転職も考えて
    言われております(汗)
    これもピラミッド型の資本主義が変容していく過程での出来事なのでしょうか?
    「端楽」確かに理想かな~
    しかし現実問題お金がないと家庭が回らないのも事実でして・・・

    現実は己の心から造られているでしたか
    まだまだ自分が恐れや不安持っているのだろうし、決心とか決意が出来ていないのかなと思います

    まあ焦らずじっくり考えます

    エゴの事も書いてあるリズ・ブルボーさんの「五つの傷」読み始めですが大変面白いです

    書籍後日購入させて頂きますね

    おじさんの愚痴すいません

    以上よろしくお願いいたします

    • そうですよね。
      特に家族を背負う立場にある男性が「端楽」をするのは女性より難しいことだと思います。
      ただ、小さなことからコツコツとで、明日からできる範囲で「端楽」を心がけてみると、小さな変化があるかしれません。
      そして小さな変化の先に大きな変化がやってくるかと思います。
      それは転機と呼ぶに相応しいような形でやってくることになるかもしれませんが、どんな時も現実を受け入れて「端楽」してみてください。
      一時的に苦しいかもしれませんが、徐々に日常的に蔓延る不満は現れにくくなるように、経験上思っています。

      応援しています。

  • 僕はコンサルをやっていますし、自分自身も経営者ということもあって、経営者を含むいろいろな人から(最近は、あまり無くなってきたんですけど)「仕事が無い」みたいな話を聞くことがありますし、最近のトレンドとしては「AIの出現で、仕事が無くなる」みたいなことを良く聞きます(←最近はむしろこっちが多い)。
    その度に、僕は
    「人間が生きている限り、仕事はありますよ。稼げるかどうかは知らないけどね(笑)」
    と答えています。自分にとって、働くということと生きるっていうことは同義なので、働くこと=罪ということだと辛いですね(ずっとミッション系の学校に通っていたわけではありますが(笑))
    「生きている限り仕事はありますよ」という話をすると、多くの人、特に経営者は「はっ」とした顔をします。そして「いつの間にか、『仕事をする』っていうことが、『会社に勤めて給料をもらう』ということと同義になっていた。確かに生きている限り仕事はありますよね」というようなことを言います。特に経営者は。
    まともな経営者は、従業員に給料を払うために、当然、利益を出すことも重要ですが、それ以上に、会社の役割、ミッションというものを大切にしています。自分の周りにいる経営者にそういう人が多いだけかもしれませんが(笑)、利益第一主義で、あわよくば株を売り抜けて…っていう人はあまり見ないですね。ラッキーなだけかもしれませんが…。
    むしろ、自分の責任で仕事をし、世の中での自分の立ち位置を明確にしている経営者の方が、一般的な従業員よりもそういう意識になるのかもしれません。

    さて、いつも、ほぼ竹久さんの主張には賛同することが多いのですが、今回の記事(というか関連記事かな)では、4分の1くらい、僕はちょっと違う立場を取っています。
    それは、「生涯学習」に関する見解です。
    実はこれ、理学部の先生と工学部の先生の仲があまり良くない理由にもなっていると思うのですが…。
    (ということなので、正しい正しくないという話ではなく、立ち位置とか生き方の問題です)

    竹久さんは、障害学習を「無駄なもの」として捉えているようですが、僕は必ずしもそうは思っていません。
    「無駄なもの」としている理由は、今日の記事に書いてある「働く」ということとの関連で、「学習」というのが「実践」して、あるいは「実務に活かして」こそ意味があると思っているからではないでしょうか?
    (と、読み取ったのですが、もし違ったらスミマセン)
    これが、工学部の方々の「研究」に関する捉え方です。研究(学習)は、世の中に役立てられてこそ意味があると考えます。これは正しいですよね?
    ところが、理学部の人たちの「研究」は、真理の探求であって、世の中に役立てられるかどうかは結果論なんです。結果として役に立っても、それはいつのことなのかわからないというのが、正直なところなんです(予算の関係で、正直に言わないことも多いけど(笑))

    「成果だけを求める」、「すぐに役に立たないならやらなくても良い」という立場は、僕にとっては、蓮舫氏の言った「2位じゃだめなんですか?」発言を思い出させます。

    僕が大学生のとき(だったと思う)、連載していたMASTERキートンという漫画があるのですが(詳しくはググってください)、その中に出てきたセリフで忘れられないものが一つあります。

    「人間は一生、学び続けるべきです。人間には好奇心、知る喜びがある。肩書きや、出世して大臣になるために、学ぶのではないのです。では、なぜ学び続けるのでしょう?それが人間の使命だからです。」

    自分の経験から学ぶこと、実体験は非常に重要です。しかし、それと同時に、人間は先人から学ぶこと、本から学ぶこと、人から学ぶことも同じくらい重要なことだと考えます。
    僕はこれを「魂の群体」と名付けていますが、人が他の人の体験を自分の体験と同じように学べるというのは、人が人たる所以だと思っています。詳しく書くと長くなっちゃうので、ご興味があれば、goo.gl/pwviUG のブログをご覧いただければ幸いです(この中には、学習の重要性と同時に、知識でしか学んでいないことの弊害についても少し書いています)。

    もう一つ、気に入っている言葉を紹介すると、同じく漫画なのですが(笑)、ドラゴン桜の中で主人公の桜木が同僚の先生に対して「勉強とは?」という問いかけをするシーンがあります。桜木の答えは「勉強っていうのは『生きる』ってことだよ」というもの。
    僕にとっては、「働く=生きる」と同列で「学ぶ=生きる」ということも言えます。

    最初に書いたとおり、これは取っている立場の違いであって、何が正しいということではありません。

    文科省が進めている生涯学習は、「人々が,生涯のいつでも,自由に学習機会を選択して学ぶことができ,その成果が適切に評価される」とされています。
    様々な事情により、学ぶ機会の持てなかった人、あるいは学べる機会はあったのに、興味が持てず、時間が経ってしまってから学びたいという欲求が出てきた人たちに機会が提供できる社会は、僕は素敵な社会だと思います。
    齢をとったんだから、そんな場を敢えて作る必要はないよね。っていうより、いつでも学びたいときに学べる社会の方が、自分は嬉しいなぁ…。

    もうちょっと言えば、学びたくもない・働きたくもないのに、仕事のために嫌々勉強をするような環境を整えましょうというような生涯学習だとあまり嬉しくないですね(←竹久さんの言いたいのはこういうことだと思いますが、違うかな?)

    ちょっと長くなっちゃいました。スミマセン。

    • いつも考えさせられるコメントありがとうございます。

      「無駄なもの」としている理由は、今日の記事に書いてある「働く」ということとの関連で、「学習」というのが「実践」して、あるいは「実務に活かして」こそ意味があると思っているからではないでしょうか?
      ↑その通りです。

      ひでぽんさんの仰ることすごくよく分かりました。私もひでぽんさんの仰ることには賛成で、この点に関して異議はないのですが、私が生涯学習を問題としている部分には別の視点が絡んでいて、それは地域性による視点なのかなと思いました。

      私が住んでいる場所は愛知県豊田市で、トヨタ自動車の城下町で、20歳を過ぎて社会に出るまでトヨタ自動車以外の会社が存在していることにリアル感がないほど、みんなトヨタ自動車で働いていました。
      そのおかげで街は裕福です。高齢者も、他地域と比べれば悠々自適な生活をしており、それはこの産業城下町の恩恵であることは間違いないのですが、老人がみんな暇なんですよね。
      やることないから、カルチャースクールの延長で生涯学習ということが老人たちの集いになっていく。生涯学習と言う名のカルチャースクールに行く人はまだ良い方で、朝からカラオケ喫茶に集う老人が多いようで、町にはカラオケ喫茶が増えています。ついでに、葬儀場とデイケア施設が増えています。
      また、生涯学習に国から補助金がつくようになれば、そこにビジネスとして参入していく人も増えていくだろうと思うのですが、暇な老人たちを一時的に楽しませて、国のために何になるのかなっていつも思うのですよね。
      それよりも、老人たちが何か自分の思いでやることを見つけてやった方がいいのにって思うのですが、しっかりと囲いの中で生き抜いてきた人たちは、私の感覚のようなものが備わっていないのかなと思うことも多々あって、嫌になる時があるんですよね。
      老人と呼ばれる大人になったのなら、若い人に伝えることもあるはずなのに、その場所もやり方も分からないまま、ただの暇つぶしで生涯学習を楽しんでいる老人ってどうなのかなって凄く思うんですよ。

      ひでぽんさんのような志がない中での、生涯学習が大半を占めるような気がするんですよね。そして、生涯学習というのは、そういう人たちの集いになっているように思うのです。
      学ぶ気持ちのある人は、幾つになってもどんな環境でも学ぶと思います。だけど、世の中の大半はそことはちょっと違うと思うんですよね。

      だからあんな見解になりました。
      ひでぽんさんのような人の生涯学習にはもちろん賛成なのですがね。

      それではこれからも宜しくお願い致します。

  • なるほど、いいことを教えてもらった。
    自分は以前お金に対してけっこうシビアな考え方をしており、
    とにかく節約、人にも自分にもお金は使わないような生活をしておりました。
    貯金はできたけど、結局親から泣きつかれてそれを渡す日々に。
    結果、自分の周りからは人が離れていってなにも残らない現象が起きました。

    考え方を変え、もっと人にお金を使う風に変えた所、離れた人が戻ってくるようになりました。
    レジャーに誘われたり、ごちそうや旅行のお土産もらったり、お金ではないけれど返ってくるものが増え、
    例えば普段自分では買わないような旬のものを食して新たな発見ができた等々、
    いわゆる幸福感のようなものを感じる機会が増えた気がします。
    うまく言えませんが、繋がりがもたらした”循環”を経験している感じです。

    ”はたらく”とはこういったことも含まれるのかな
    なんて考えさせられました。

    • コメントありがとうございます。
      仰る通りだと思います。
      キースさんの気持ちの中に「与える」というものが生まれたから、与えたものが返ってくる好循環が生まれたのだと私は思いますよ。
      端楽も仰る通り、同じ概念の中にあると思います。
      ギブ&テイクではなく、ギブ&ギブという概念に自分の中で切り替えると、穏やかな時間が増えるように思います。

      それではどうぞこれからも宜しくお願い致します。

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