【弊害】生涯学習とかいう無駄なものとその危険性

生涯学習と言う言葉が世の中に浸透して久しい。

私はこの浸透は、男女平等と同程度……いやそれ以上の問題を抱えたスローガンだと思っています。

その理由を書くね。

 

「働きながら学ぶ」という言葉からあなたは何をイメージしますか?

 

「働きながら学ぶ」という言葉からあなたは何をイメージしますか?

 

このイメージの中では、

働く場所と学ぶ場所は一緒でしたか?それとも別でしたか?

 

別とイメージした人が多いのではないのかなと思っています。

「学ぶためのお金を稼ぐために働く」ようなイメージを持ち合わせた人が多いのではないかなと思っています。

 

ここ最近の日本では、働くことと学ぶことが別の括りになっているように思うのですが、本来は同化することに意味があり、同化するからこそ発展があると思うのです。

それにそもそも「学ぶ」という語源の始まりは「真似る」という音から成り立っています。

誰かの言動を真似て自分に取り入れていくことが本来の学びなので、所謂座学における学習よりも、実践の場でもある「働く環境」で真似るを繰り返している方のが「学ぶ」という本来の言葉の意味に近いと思っています。

しかし、働くことが気がつけば「苦痛」であり、「罰」であるかのような、本来の「端楽」の意味から離れて行くようになればなるほど、働くことと学習が共存できなくなってきているような気がしています。

【日本経済】労働の疲弊は、無駄なことをしているからなのかも。

リカレントに関しても、一番危惧しているのはここなんです。

 

ただ学ぶだけでは活かせないことは沢山あります。

例えばパソコン関係の資格とかもそう。パワーポイントの使い方が分かっていなければ、パワーポイントで企画書は書けませんが、ただし使い方を知っているだけで良い企画書が書けるわけではありません。

企画書を書くのが上手になるために必要なのは、どこかの学校に通って資格を取るとかそういうことではなく、単に実践ベースで企画書を書き続けることだけだと思います。

パワーポイントの使い方を最初は知らなくても、書かなきゃいけない状況に追い込まれて書き続けているうちに、パワーポイントの使い方も覚えて企画書も書けるようになれます。こっちの方が実践的で学習効率が高いように思います。しかも仕事で書いているのですから、金銭を頂けますから、より合理的ですよね。

他の分野でも同じ事でしょう。

どんなに学習していても、実践の場所において座学の知識は、ほとんど出る幕がありません。緊張感ある場所で、何度も実践をし経験を積み続けることで技術は向上していくものです。

 

生涯学習で周囲に還元されるものはあるのか

また、生涯学習という言葉に代表されるように、今の日本は知識を増やしていくことが立派になることと勘違いされている面も多いのではないのかなと思いますが、これってとっても危険な発想だと、私は思うんですよね。

地球攻略ガイドBOOK」や「だから、あなたの幸せは苦しい。」で詳しく書いていますが、知識より大事なのは経験を刻むことですし、知識の落とし方を間違えればそれは新たな洗脳になったり、エゴを活発化させてしまうだけになります。

 

また、若い頃であれば、知識を吸収するだけの事でも意味があると思いますが、

老人になってからもただ知識を吸収し続けてるだけでは、ストレスがたまるだけではないのでしょうか。

私たちは吸収した知識を行動に結びつけたり、誰かの役に立つ形で還元できることによって、満足を得られるように体が作られていると私は考えます。

吸収したら、吐き出す。つまり、学ぶということも呼吸と同じような仕組みで出来上がっているように思います。学んで吸収したことを何かの形で還元することでバランスが取れるように思います。

働く場所と学ぶ場所が同じ場所であるのであれば、吸収して、吐き出すことは簡単にできますが、

学習と働くことに線をひくと、この呼吸のような行為が途端に上手く行かなくなります。

 

結局、人生が上手くいっていて、仕事が楽しいと思える環境にいる人は、学ぶと端楽が上手く連動できていているからこそ、上手くいっているように思います。

 

社会人になっても、大人になっても、学習と働くことが切り分けされてしまった世界観を持ち、さらには働くことに否定的な気持ちが重なっていれば、余計に幸福は遠ざかってしまうし、働く意欲ももちろんわきません。

結局学習しただけの事になれば、リカレントの意味はありません。

しかし、一方で労働者になることが目的であれば、リカレント意欲すら沸きません。

【リカレント】学び直した先に行き着くのは労働者?

どうしたら、塞ぎこんでしまった人の気持ちが端楽に転換できるのでしょう。

また生涯学習ということで知識を得る努力ばかりを続けている人が、知識を還元する方向に意識を向けるためにはどうしたらいいのでしょう。

 

沢山吐き出したおかげで、一昨日よりも考えることがステップアップしているように思います。

 

生涯学習ではなく生涯端楽の方が日本人の気質に絶対あってるはずなんだけれどなぁ。

っていうか、元々そうだったのが戦後からおかしくなっただけだと思うんだけれどもなぁ。

【日本人】行き過ぎた針を少し戻すのでも苦手

針を戻すのが苦手な日本人だけれども、ちょっと気持ち戻して、「端楽しようぜ!」にしたいよね。

っていうか、50代以下にとって、働くが「端楽」になるっていうことは、実は新しいことかもしれない。

なら、実は戻っているのに、前進してるみたいに見えるかもしれないから、いいかも!( ´艸`)

もう少し考えようっと。

 

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4 件のコメント

  • 老人になってからもただ知識を吸収し続けてるだけでは、ストレスがたまるだけではないのでしょうか

    本当の事と 思います。
    役所では 退職者向けの市民講座を積極的に
    安く 提供しています。
    人気講座は すぐ満員になるそうです。

    散策的山歩き ・ちょっとお洒落な健康体操など
    講座が終わると 彼女たちたちは 昼食に連れ立ちます。
    そして 長い cafeがはじまります。

    あるカフェは 滞在時間 90分とお店が
    決めているところもあります。
    田舎では そうも言えず ズルズル
    飲み物だけで 居座られてしまうようです。

    それが日常になり 気づかなくなるのでしょう。
    話している内容は 自分のことのみ

    知り合いが 市民講座の健康体操 ピラクテスとか言う
    講座講師で 行っていて
    色々 知りました。良い講座でしたが 来ている人の波動が
    凄まじく 数回でやめました。

    これが 地方の市民講座 公民館事業 の一部です。

    • 情報提供ありがとうございます。
      きっとそうだろうと思ってた通りの実態で納得でもありつつ、やっぱり哀しいなと思ってます。
      サラリーマンで年金生活になるとただただ暇になって、ストレスを持て余すだけになっているケースって多いように思います。
      私の地元は企業城下町という性質もあるせいか、パチンコの開店時間に並んでいるのは老人ばかりです。それから朝からやってるカラオケ喫茶も増えており、老人たちは朝から窓のない店に集まって歌ってます。講座とかに行く人の方がまだ健康的なようにも見えますが、根本的にどんぐりの背比べみたいな心持ちなんだろうと思います。
      老人の人たちの心持ちが変わるのは難しそうですが、変わってくれると結構な具合でいろんなことが楽になりますよね……。

  • 「働きながら学ぶ」とは、お金を貰いながら、その道のプロとして学ぶという意味ではないのかと思うのですけど、現実は「即戦力」とかそんなんばっかりで雇用とかの道は狭き門のように感じます。
    まずはどうにかして最初の道に入らないことには先に進めない。
    結果として道を狭めて派遣の窓口を広めることで人材をそこに集中させて派遣会社が潤う、そういう感じなのではとも思います。
    多分、「金はいらないから少しでもいいからここで学ばせてください」って言うぐらいなら会社は中に入れてくれるんだと思います。
    その後で時間がかかってお金も貰って学べるという状態になるんでしょう。

    基本は「働きながら学ぶ」は同じ場所ではないと正しくないと思うんですよ。学ぶためにお金を得て、違うところで学ぶ。これは時間がもったいないと思います。時間は有限なのに。
    しかもそういうところに限って初歩的や踏み込んだ内容とか実践的なものはないですね。
    同じ場所で学べる状態になり、そしてゆくゆくは独立という道になるのが「働きながら学ぶ」の最終到達点のように思います。

    会社の環境もあるでしょうね。苦痛に感じ場面は多々あるように感じます。
    端を楽にするっていうけど、楽にもならず絶えず苦痛という感じです。
    やっぱり誰かの役に立つとか感謝されるということがないとダメなんだと思います。それがないと面白みも向上心も生まれません。
    学んだ知識でも、それを活かさないとすぐにでも記憶の彼方に消え去ることもありますし、かといって「そんなことも知らないの?」っていう傲慢なのもダメなんですが。

    老人になっても知識を学ぶ意欲、そしてそれを活かすことに興味があれば苦痛ではなく、どうやってやるのかとか面白そうという思考があれば苦痛ではなくて本人の思考が若いと思います。
    本田健さんも言ってましたけど、老人になっても「それどうやってやるの?」とか興味を持ったりすると意欲もあり古き時代の思考ではなく常に新しい方へ流れているのだと。
    親とかの世代は大体思考が停止して古いままになってますね。何かを良くしたいと思ってる人ほど年老いて後がなくても何かを考え続けてます。
    何事も刺激がないと人生がつまらないと思います。

    • 自分のやりたいことを優先すると、「働きながら学ぶ」は狭き門になるのですが、「どんな場所であっても学ぶべきことはある」と思って働くと、想像以上に学べることは沢山あるように思いますし、その場で頑張っていることが次のステップアップに繋がるように感じています。
      それでも無理な環境は、ここまで学ぶと決めた到達点に達しているか否かで継続の判断をすれば良いのになと個人的には思っています。

      今目の前にあることが「学びなのだ」と思える感覚が身につくと、不平不満は起こりにくく、毎日が充実しやすいのですが、その気持ちに辿り着き維持するのは、なかなか難しいですよね。
      リカレント政策が意義のある使い方をしてもらえることによって、そのような気持ちに辿り着く人が増えればいいなって思ってます。

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