国家が今ロスジェネ世代などのいわゆる働き世代の人たちに向けて、リカレント(学び直し)政策に多額の予算をつけています。
私は、この政策に対して自分なりの意見をまとめて提案したいという希望を持ち合わせているので、今色々と勉強中なのですね。
で上の記事に書いた「議員さんに見ておいた方が良い」と進められたNHKドキュメンタリーをまずは見たのですが……そしたらまずは吐き出したいことが一杯出てきたので、そのことについて書きます。
社会問題を扱うドキュメンタリーの制作の問題点
ドキュメンタリー自体は特別嫌いなはずではないのだけれども、なぜ社会問題を扱う系列のドキュメンタリーはいちいちこんなに重苦しい雰囲気で映像を作るのでしょうか。
東京に住んでた頃、休みの日にごろごろしているとついうっかりかかっちゃうフジテレビの「ザ・ノンフィクション」も「♪生きてる~生きている~」って音楽が流れた途端、テレビ切るのに必死だったもんな。
月曜から夜更かしで桐谷さんのテーマソングになるまで、この曲苦手で苦手で……。
きっといい曲なのだろうけれど、あの番組(フジテレビのザ・ノンフィクション)の重苦しさによって、曲に良いイメージができないくらい気持ち悪い気持ちになってしまっていて。
本当に、この曲に特別変な感情を入れ込まなくなれたのは、月曜から夜更かしの桐谷さんと番組スタッフのおかげですよ。
桐谷さんだって、角度変えて「ザ・ノンフィクション」みたいな映像の作り込み方したら、ただただ見てるこっちも切ない感じになると思うけれど、月曜から夜更かしみたいな映像の作り込みだからこそ人気者になったと思うんだよね。
社会問題を扱うということで、とにかくトーンを低めに真面目に映像を作り込まなきゃいけないという風潮があると思うのだけれども、これどうなんだろう。
今回リカレント政策を勉強する一貫でNHKドキュメンタリーの「ミッシングワーカー」をわざわざ今さっき見終わったのだけれども……
このドキュメンタリーの作り方が、やっぱりそもそも問題なんじゃないの?って思うようになった。
見ているうちに「個人のせいじゃん」って思う気持ちが強くなる
いつも思うのだけれども、こういう社会問題を扱うドキュメンタリーで登場する人たちって、なんか似たような思考性の人が多いように感じるんだよね。
特に私が気になるのは以下3点。
①部屋がやたら汚い
②貧乏感が前に出すぎる(食生活が異常)
③悲壮感が漂う
今回も特に気になったのが、基本みんな部屋がとても散らかっているということ。
特に男性陣3人の部屋(4人中3人)は、男性陣だからこそ仕方がないのかもしれないけれど、見ているこっちが気持ち悪くなるくらい部屋が汚かった。(一人は行政が入ってゴミ屋敷を地域の人と一緒に清掃したから、映像上そこまで汚くはなかった。)
出演されていた方は「気持ちが明るくならない」「未来が見通せない」とお話されていましたが、その前に部屋を片付けようよ、こんな汚い部屋で過ごしているからだよってどうしても思っちゃう。
それができないくらい気持ちが追い詰められているからこそ、部屋が汚いのも仕方が無いという設定なのかもしれないけれど、でもね……ってやっぱり思うよ。
それに食事も、お金がないなどの理由でだいたい悲壮感たっぷりの食事シーンを見させられるということが、こういうドキュメンタリーのお決まりだと思うのだけれども、安い素材でもアイディア次第でそれなりに美味しく食べられる方法って幾らでもあると思うの。なのに、なんかこういうドキュメンタリーに出る人たちって、わざわざ自分で食事を貧乏そうにしている。これも凄く苦手なんだよね。
もう十年以上前の夜のNEWSで、「女性派遣社員の貧困ドキュメンタリー」みたいなのを見てしまった記憶が未だに残っているんだけど……、その人は食費に使えるお金がなくて、毎日食パンだけを何もつけないでひたすら食べてるっていう映像が流れたんだけれども、アイディア次第で食パンより安く食費を抑えることもできる上に、美味しい食事なんて幾らでも作れるでしょ?
それを貧乏のせいにしてパンしか食べられないっていう訴えをするのはいかがなものなのだろうかって思ってたんだ。
同じような流れが今回の番組でもあったよ。一切味付けしないおじさんの食事シーンとか。
それから、逆にそれなりに美味しそうに夕食作っていた女性の食事を貧乏そう見せたり、一人で食べる食事をやたら切なげな雰囲気で映像作ったり……。
なんかなぁっ……て思った。
部屋が映されれば、やっぱり部屋の汚さは目に入るし、それを見たらまずは掃除しようって、掃除できてないから気持ちが暗くなるんだよって、私のように思う人は少なくないはずだし、
さらにあーいう貧相な食事を敢えて自分でしていることを見れば、自業自得じゃんっていう気持ちまでも沸いてきがちだと思うんだ。
結局ね、いつもこういう社会問題を題材にしたドキュメンタリーの何が問題かと私が考えているかというと、
色の濃すぎる人を連れてきちゃうせいか、そしてその人の悲壮感が強すぎるせいか、さらその人の自分の範囲でできるはずの生活空間の中に問題があることが幾つも発見されてしまうせいか……
社会問題ではなく自業自得じゃんという思いが、見ているうちにどんどん強くなっていくと思うのよね。
本題よりも、個人の問題が目について、結局「その人次第」っていう考えに落ち着いてしまう人も多いのではないかなって思う。
それから、こういうドキュメンタリーを見れば、必ずこっちも気持ちが重く苦しくなるから、こういう問題と向き合いたくないっていう感情を増やしてしまうだけな気がする。
前向きに問題を考えて解決しようという気持ち以上に、こういう気持ちの方が大きくなる気がしちゃう。
提起しているはずなのに、そもそもそこに辿り着きにくくなる気持ちになる映像を作るって問題だなって思う。
私もある種ミッシングワーカー?
今回ドキュメンタリーで追っていたミッシングワーカー的な定義に当てはまって、出演されていた人は、
40代以上、親の介護で離職、独身
という3セットが揃った人が出演されていた。
実は、これって私にも当てはまる要素だったんだよね。
こんなに楽しく毎日生きていますが!
あーいう映像見ると、楽しく生きてたらいかんのかなっていう思いすら沸いてきて、心に良くないよね(笑)
とはいえ、結局楽しく生きちゃうのが私ですがwwww
40代以上、親の介護で在宅、独身
ですから。
8割型同じパターンに私も飲み込まれていますよ(笑)
だからこそ、気がつけた社会的問題の面を私は理解している部分があるの。だから、リカレント政策に興味を持っているの。
たとえば、これから怒濤のように押し寄せるはずの団塊世代の介護問題によって、働き世代の人たちがより強い不遇感を感じたり、働けなくなったりしないように、自分が気がついている問題点を踏まえて提案したいと思っているのですが、
結果、わざわざお金使って作ってくれたドキュメンタリーは、社会問題以上にその人の問題点を浮き彫りにさせてしまっただけに見えた。
どんな環境にあったとしても、
自分で乗り越えようとする強い気持ちは大事だと思ったし、
それ以上に今いる場所の環境を今自分でできる範囲で良くするための努力はしなきゃいけないって思った。
大事なのは掃除と笑顔だと痛感
ドキュメンタリーを見て、掃除と笑顔は楽しく生きるために絶対必須の条件なんだなぁと改めて思いました。
掃除をして、自分の身の回りにある物にちゃんと感謝して、
それから、どんなに辛い時でも笑顔を心がけること。
辛いからこの当たり前のことができなくなっているのだろうとは思うけれども、これは自分の力である程度乗り越えなくてはならない問題でもあると思う。
この当たり前のことができなくて不幸だと言っている限り、それは因果応報であり、自分自身が自分自身で蒔いた種に過ぎないって思う。
どんな場所でも、楽しさは見いだせれるし、その楽しさによって笑顔は自然に生まれるようになると思う。
まぁ、グズグズとドキュメンタリーを見た感想について愚痴ってみたので、この実情を踏まえて、企画を考えてみましょう。
さぁ、気持ち切り替えていこう!
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NHKのドキュメンタリーというと、思い出すだけでも貧乏ネトウヨ男性ヤラセ疑惑、出家ブローカー役者疑惑、貧困女子高生ヤラセ疑惑などがあるので、どうしても疑ってしまいますね。それ、演出(と書いてヤラセ)じゃないの?と
それはともかく、良くない時こそきれいに掃除をするのは良いことですね。明らかに雰囲気が変り、気持ちが軽くなるのが自分のように0感でも分かりますから
今ご指摘されるまで、NHKのドキュメンタリーにはやらせが横行していたことをすっかり忘れていましたよ。
特に今回はこれを題材に勉強しなきゃっていう思いが強かったので、客観視するどころか、あの映像ですっかり自分のメンタルの方がやられちゃってwwwwww
敢えてあーいう人を選んで誘導している側面を忘れちゃダメですよね!
思い出させてくれてありがとうございます!
本当に掃除は良いですよね。やっぱり整理整頓は基本ですものね。
いつも鋭い視点からの見方を提供して下さってありがとうございます。
NHK「ミッシングワーカー」、私もみていました。
一番不快に感じたのは、介護の仕事をするまでに至ったのに心臓病になり、社会復帰を断念した男性の
周囲。民生委員の冷めた目と、「病気だったのに酷く言ってごめんね。」と言った地域の人。さらしものじゃんと嫌悪感がでました。(民生委員、笑顔プリーズ!!)
社会的弱者の問題をテーマにしている内容ではなく、見る側の、「人の不幸は蜜の味」みたいな優越感を味わせ、「私はまだまし」と安心させる制作側の意図を感じます。
確かに、取り上げられた方達は好き好んでそうなったわけではないけど、当事者達の責任。一方で、親の介護だったり何か自分のしたいことを後回しに生きていると、いざ一人になった時に何をしたいのかさえわからなくなってしまうケースも。掃除すらできなくなるのも、行動しないことで何かバランスをとっているようにも。
横並びが良しとされる日本では、このようなドキメンタリーがまだ受けるのでしょうか—。同じくして見ていた母は「取材料で美味しいもの食べるといいね。」と涙してました。
私も40代、独身、無職。社会復帰目指してリハビリ中です。精神的にきたときは、窓全開にして大掃除。一人での時間も楽しくいられれば、外見や雰囲気にもハッピー感がでてくる。
その姿が周囲を安心させたり、自分への力へとつながっているみたいです。
笑顔と掃除の大切さ、改めて考える機会をありがとうございました。
確かに、仰る通り、社会問題を提起しているように見せかけて「見る側の、「人の不幸は蜜の味」みたいな優越感を味わせ、「私はまだまし」と安心させる制作側の意図を感じます。」だったように思えてきました。
それでは社会問題としての本質に辿り着けなくて当然ですよね。
私が一番嫌悪感を感じたのは、布団屋の57歳の味付けしないでご飯を食べるおじちゃんなのですが、ご飯に味付けしたらもっとご馳走が欲しくなる的なこと言ってたのに、食卓に幾つか半既成食品が置かれていましたよね。「なんやねん」って思ってました。しかも見ている最中もですし、今あの映像を思い出す時も、あの人たちの部屋の臭いみたいなのを一緒に感じちゃうんですよね。本当に気持ち悪い。しかもあのおじさんエンディングで花見でぽつんとコンビニのおにぎり食べてましたからね、味付けしないってなんやねんってもう一度思いましたよ。
当たり前のことを当たり前にやった上でしか問題は解決されないよなと改めて思いました。