【呪縛崩壊】広告屋が広告屋に戻れる時

2018年7月17日

ほんの少し前の時代、物は広告次第で売れると言われる時代がありました。

 

「餅は餅屋」ではありますが……。

 

餅は餅屋。

餅は餅屋とは、何事においても、それぞれの専門家にまかせるのが一番良いということのたとえ。また、上手とは言え素人では専門家にかなわないということのたとえ。

故事ことわざ事典より

今でこそ広告制作は広告代理店の土壌ではありますが、元々広告代理店の立場というのは、単なる仲介屋です。

誰かが広告を出したいと言った時に、その人の希望に添った出稿先を提案し、媒介して差し上げるものに過ぎません。

家を探している時に、希望に添う家を提案する「不動産仲介社」の業務と本来は然程違いがないはずです。

しかし、いつの日からか、広告代理店の仕事は「売れる広告を作る」こと、「売れる広告展開をすること」に変わっていきました。

美味しい餅であればあるほど、周囲が喜ぶのと同様に、広告代理店は、売れる広告と広告展開こそが周りを喜ばせることであったのです。

 

広告次第の時代は確実にありました。

今から百年くらい前の明治時代は、今ほど広告がメジャーではありません。

だから昔は、告知を徹底するだけで、売れることは普通でした。

テレビが導入されたばかりの時代は、テレビCMを入れたらそれだけで、人気になってしまうということが矢継ぎ早に起こりました。

だからこそ、テレビCMの価格は高いのです。広告代金を高くしてもそれに見合うだけの還元を手にすることができたのです。

でも次第に、テレビCMを打つだけでは以前ほどの広告効果を得られることができなくなってきました。

それが大凡1970年(昭和40年代中期)くらいからの出来事なのだろうと、私は推察しています。

その頃から、徐々にCMは奇抜に変容していきます。そして、広告代理店の立ち位置は変わっていくことになります。

単純に広告先を提案するべき役割が、広告の仲介ではなく、「売れる広告」や「売れる広告展開」を考え作ることに特化せざるを得ないように変わっていったように思います。

餅屋が美味しい餅を作ることを社是とするように、広告代理店は、商品が売れる広告を作ることが責務と変容していったのだと思います。

 

飛べない豚はただの豚ですが……。

頼む側にしてみれば、意味の無い広告を作り広告展開をされても意味がありません。

だから、頼んだ甲斐があったような仕事をしてほしいと思うのは、万人が思って然るべしことだと思います。

そして、ほんの15年くらい前までは、広告プランナーの発想力と力量次第で、面白いほど物が売れる時代がありました。

それはCDが軒並みミリオンセラーになってしまうくらい、面白いほどCDが売れていた時代と被ります。

この時代こそが、テレビを中心としたマスメディアの情報操作が面白いほど民衆を誘導できた時代であったと言えるでしょう。

しかしながら、その時代は長続きしませんでした。

新たなメディアであるネットの勢いが増せば増すほど、あんなに面白いほど誘導できた時代が、一気に過去の産物化としていきました。

 

広告は味の分からないデコレーション化してしまった

このような広告ありきの一時代があったからこそ、広告業界は脚光を浴び、その業界に生きる者は誰もが、クライアントの要望通りに物を売ることに必死になっていた時代がありあましたし、ひょっとしたら今もそうなのかもしれません。

その結果、気がついたら広告は、プロモーションを含めた展開の中で、商品を売るためのあれやこれやをオプションとして継ぎ足して行くがために、気色の悪いデコレーションを創作してしまっていたように思います。

餅の上に、生クリーム足して、さらに唐辛子をおいて、その上にスプレーチョコレートをかけて、醤油をかけて、柚子胡椒を混ぜるようなくらい、何とか売れるために試行錯誤していたような気がします。

もちろんそんな事をしたって売れませんし、逆に何もしなくても売れません。

単純に広告次第では売れなくなっている時代が到来しただけのことです。

そのことに業界自身が気がつかなくてはならない時代が到来しただけのことですが、「売れる広告を作ることが使命であり生きがい」と思っている業界人であればあるほど、この時代の変容は受け入れがたいでしょうし、受け入れられないものでしょう。

 

広告って民意を誘導することですか?

 

本来広告は広告であって、民意を誘導することではありません。

しかし、そうではなかったはずのことを錯覚し、それが使命だと思わせる時代は確実にありました。

 

ですが、もう広告だけの力ではどうにもならないという自覚すべき時代でしょう。

 

しかし、広告の力だけでどうにもならない時代が到来したからと言って、広告の必要性はなくなりようがありません。

単純に、本来求めている広告の仕事の本筋に戻ることができる土壌を手に入れただけだと言えるでしょう。

同じ事はテレビにも言えます。広告業界の方がテレビ業界よりも不況に陥るタイミングが早かったため、それによって先に等身大に戻る作業が始まっていますが、テレビも一時代に起きた幻想を手放す時代に入っています。

それに気がつかず右往左往しているからよりおかしな事になっているだけで、元々あった場所におさまれば何もかもが上手くいくようになると思います。

 

テレビも広告も民意を誘導するために存在しているわけではありません。

 

広告は、商品の告知をするためだけにあるものであり、

テレビは、広く情報を伝えるためだけにあるものです。

 

あまりに斬新な情報機械の登場によって、面白いほど民意を誘導できてしまいましたが、それはもうできません。

これは、単に時代の違いであり、時代の変化であって、努力でなんとかなるものでありません。

 

そこを受け入れて、広告業界もテレビも、餅は餅屋に戻れるようになったらいいなと思います。

良い餅屋は、美味しい餅を作ることが本分であり、売れる餅を作ることが餅屋としての使命ではありません。

広告屋も、クライアントの商品やターゲット性に見合う広告を作り、それに合う出稿先を提案することが本分であり、売れることが使命ではあいません。

テレビ局は、単に広く情報を提供することだけが本分であり、情報を色づけし民意を誘導することは不必要です。

それぞれが地味で地道に本分を全うしていく時代に既に入っていると思います。

そして、等身大に職務を全うすることで道は開ける時代に移り変わっているように思います。

 

この時代の変化を、自分にも活かしていきたいですね。

 

 

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