【再調査①】心屋仁之助と資本主義社会の盲点

前回の書籍から見える世界側からの調査では、唯一問題点を見つけられなかった心屋さん。

【偽スピ報告書⑪】書籍から見える世界:著者別分析:心屋仁之助

悔しかったので(笑)、図書館から本を7冊借りてきて再調査開始!

それで分かったことを今からご報告致します。

 

波動に敏感の方への注記

私が今回波動の扱いについて慎重な理由は、アメブロの方に書かせて頂きましたので必要あれば確認ください。

358 波動敏感体質の苦悩

また、私のブログをお読みになっている方は自身が気がつかないうちに波動に敏感になっている方も多いと思いますので、

まずは

あっこちゃんパワー炸裂の邪気払いを浴びておいてください。

それから、できればjammin’ ZebのPeace of Earthを聞きながら読んでください。

4分30秒経過したところから曲が始まります。

もしも、ニコ動アカウントお持ちでしたら下記リンクのページを開いてリピート再生させながら読んで頂くのが良いなと思います。

【J-POP】jammin’ Zeb – Peace On Earth【ボーカルユニット】

さぁ、始めましょう!

 

本の第一印象

昨日図書館に行って借りてきた本はこちらです。

そう言えば、分析を始める前にお伝えしておいた方がよいことがありました!

図書館で心屋さんの図書検索をして初めて気がついたことがあります。前回のAmazon調査では、心屋さんの本で一番発売日が古いのは2011/2/24発売の【「めんどくさい女」から卒業する方法 】だったので、この本が著者デビューの本だと思い込んでいたのですが、少し違いました。(【偽スピ報告書③】書籍から見える世界:著者別出版書籍数

図書館には2008年から作家活動されている経歴がありました。

ただし、この3冊の著作の流れからは、市場に影響を与えている流れは見えません。よって、先日の報告書通り、市場に影響を与える存在になったポイントは2011年の日本人の思想の転換期によるものであるという解釈に変更はありません。

さて、話を心屋さんの本に戻しましょう。

表紙からはもちろん嫌な雰囲気は感じませんよね。私も感じませんでした。

豊田市の図書館には心屋さんの書籍が37冊蔵書されています。結構借りられてはいましたが(汗)、昨日私が貸し出しできる限度の7冊を超える本はあったので、借りれる本の中から7冊を厳選するために、全ての本を軽く目通しして7冊を選びましたが、

「どれもこれも、しっかりと編集が行き届いた書籍である」という印象を受けました。

パラパラめくっていれば、おかしなこと書いてるなと思う部分はすぐに幾つか見つけられますが、ここに幾つかのトリックがあって、心の扱いを知らない人であればある人ほど、心屋さんの間違ったロジックにずっぽりはまっていく仕掛けになっているんです。

恐ろしい!これは恐ろしいわ!!!!

としか思えませんでした。

一見まともな事を書いているように見える、

編集もしっかりしている、

信用しても大丈夫そうな感じがする。

嵌まる要素満々なんですよ~。

今から一つずつ説明しますが、これが心屋の本を手に取る人には、最も危険な装置として機能しているのです。

 

心屋の本には一体何が書いてあるのか。

特に気になった箇所を3枚写真に収めさせて頂きました。

ちょっといろいろあって、もう本は返却していて本が手元にないため、どれがどの本なのか分かりませんが、選んだ3つには、心屋ロジックの特徴が顕われています。

①「○○だけ」理論

タイトルの「幸せにする」のではない、「自分が勝手に幸せになる」のだの定義が正直全く分からないのですが(笑)、実はこういう見出しの方が少なくて、書籍の中の見出しの8割くらいは、どこの自己啓発書にも書かれていそうな至極真っ当な見出しが並んでいて、残りの2割くらいがこんな風に、超心屋的ロジックを想起させる見出しになっています。

ただ、見出しがまともな8割にまともな事書いてあるかというと、そういうわけでもなく、上の写真の最後の行のところに

そういう人と「だけ」と一緒にいればいいんだと。わざわざ、だけをかっこで強調するように、読者の行動を無自覚に制限させる言葉など、どこもかしこも心屋ロジックが潜んでいます。

一見まともそうに見えて、心屋さんのロジックは不幸せになるトリックだらけなんですね。

また、掲出した写真の文章の最後の方には、わざわざ太文字で誰かを幸せにすることの危うさについて言及されています。

ここの言及文章で特に注目したいのは、最後から4行目

一方「誰かを幸せにしたい」ではなく「自分が楽しいと思えることをしてきた」ら、それを「勝手」に楽しんでくれる人たちが出てきます。

これは別々に存在させたら危ない思想です。

本当は、自分が楽しい気持ちを持てる状況をつくって誰かを幸せにするのです。

もしくは、本当に楽しいと思うことの派生や恩恵を人に渡すのです。

農業が好きな人だったら、食べてもらう人の顔を思いながら作業をして幸せの気持ちを込めてお裾分けをします。

日本の働くとは単なる労働ではなく「傍を楽にする」言葉が起源であり、日本人は昔から自分のためにはなかなか頑張れないけれど、人の笑顔の為には頑張れる人種であり民族です。

心屋さんは、その当たり前に日本人が持ち合わせている民族性を心が痛んでいる読者に向けて、その逆こそがまさに真理であり真実かのような自信を持ったテンションで、民族としてあるべき根本をめっちゃ切り裂いていきます。

 

②他人の存在が見えなくなる論

本当にこれもびっくりなのですが、

後ろから7行目

「まず自分」のわがままな人生に変えることです。

心屋さんの本を読者が手に取りたいと思うタイミングの多くは、普段の健康な心持ちではない時であると私は思います。

そういう時の心は実はとても危険で、何かのきっかけを機に、我欲が爆発する隙を狙っているんです。

普段の生活では健康な意識が心の優位性を保っているのですが、人というのはいつもいつもそのような状態でいられるわけではありません。心が疲れている時には、寂しさというエゴが持ち合わせる感情が大きくなりやすいのです。

そして心屋さんは、そのような環境に置かれている読者を狙っているのか無自覚なのかは分かりませんが、確実に読者のエゴが刺激され我欲が一気に肥大化させてしまうロジックを羅列させ、エゴの肥大化を促します。

昔書いたエゴについての記事を少し引用します。

エゴというのは時として、自分でもコントロールしきれないくらい肥大化してしまう性質を持っています。

常に魔物のように肥大化している状態が永続している事は考えにくく、我欲の隙間で小さく生息しながら肥大化する機会を待っています。

そして、タイミングが巡ってきた時に、凄い勢いで肥大化していきます。

 

……この間の文は省略します。……

 

エゴは「カオナシ」とよく似ています。

普段はいるのかいないのか分からないくらい影の薄い存在です。

しかし、

いつも誰かに反応されるのを待っています。
寂しくて寂しくてしかたのない存在です。

そして、いつも寂しさから逃れるきっかけを待っています。

その寂しさから逃れるきっかけが、エゴの肥大化と結びつくのですが、その多くは他人の我欲と呼応することで寂しさから逃れようとし、またそこからエゴの肥大化が始まります。

そして、我欲の餌になるものを得た瞬間からエゴの欲求が始まります。

不思議なもので、我欲の餌となるものを一口食べてしまった瞬間から、「もっと、もっと」と、えげつない欲求が心の底から湧いてくるようになります。

心が「もっともっと」と叫んだ時には、既に自身でエゴをコントロールするが難しい状態に陥っています。

詳しくは→エゴを収束させる方法

上記の記事で書いたロジックが、本を読むだけで始まるようにセットされています。

 

③道徳観念の崩壊

彼のロジックで一番怖いと思ったのはここです。

読むだけで目眩がしませんか?????

こんなことを心に許可させたら、完全に心が崩壊しますよ。

しかも、この書籍の場合、この文章は結構最後の最後の方で畳みかけるように出てきます。

つまり、この文章を読む前の時点で

読者は心屋さんによって

①行動の制限を植え付けられ

②我欲が勢いよく肥大化してしまう波に自分自身がコントロールできない状況になって

③一番大事な道徳観念までも崩壊させられるんですよ

 

さらに意味の分からない言葉の羅列の中にこっそりと

私はセミナーにお金をつかってもいい

って書いてあるのに気がつきましたか?

これ、完全に洗脳でロックオンじゃないですか!!!!

 

心屋さん界隈が狂ってしまうのは、起こるべくして起こっているのです。

心屋さんが自信をもってお届けしているロジックは、エゴを肥大化させ、読者の波動を低下させ、現実を見えなくさせる工夫に溢れているのです。

 

心屋さんは、ある種無自覚だから質が悪い。

前回の報告書にも書きましたが、そもそもこのロジックを作られた心屋さんには悪気はないと思います。

彼の中では、この考えが人を幸せに導くと完全に信じ切っているところがあると思います。ただし、一方でそれとは別の気づきもあることでしょう。その一方の気づきとは、このロジックに読者がはまれば読者が自分の元に集まってくるという実績に基づく実感です。

だって、先ほどのロジックにうっかりはまると、一気に読者は心屋さんを教祖に見立てた行動をしますよね。

心屋さんのロジックは、読者と自分の共依存を引き起こしているだけで、なんら読者も自分も幸せに近づいていないのですが、共依存の中に存在する「共感」は、どうしても「自信」につながってしまいます。

ですから心屋さんにとって、このロジックは間違っていないのです。

そして、我欲の共依存が始まっている中で、彼の教えは特別な正義にすり替わっていきます。だから、彼の考えはより強固になっていきます。

彼の心の言動を客観的に見れば、彼の心がとてもささくれだっている状態なことは多くの人が気がつくことでしょう。

でも、彼は周りが自分をそのように思っていることに気がつかけなくなっています。

なぜなら、エゴに体が乗っ取られている状態のうちはは、誰もが正常な判断ができなくなるからです。

 

先ほど引用したブログの別の部分を引用しますね。

そして、

虚像のものを武器にして、様々な我欲からエネルギーを吸い取る行為が始まります。

そして

互いのエゴが喜ぶ音に心奪われて、一緒に踊りだす人たちが増えていくことで、そのエゴは一気に巨大化し始めます。

そして行動はどんどんエスカレートしていくのですが、

食べても食べても満たされない、空虚な地獄を味わいます。

だから、制限のないエゴの肥大化が続いていきます。

詳しくは→エゴを収束させる方法

今の心屋さんのエゴの状態(心の状態)はこのような所にいると推察できます。

この資本主義社会において、名誉も栄誉も金も手に入れている自分の状態に間違いを感じる隙間はありません。ただ、本当の心は苦しがっていることは本人も多少は気がつく部分があると思います。しかし、立場上そこに向き合ってしまったら、全てを手放すことになってしまいます。だからこそ、エゴが要求してくる不条理な要求に応えずにはいられないのです。

彼は、決して自由になどなっていません。

単に、エゴに操られ、エゴの支配下に自分の体があるに過ぎない状態になっているだけです。

 

心屋さんのロジックはエゴの喜ぶ好物だらけになっている。

私が、偽スピ界の闇のやばさに気がつき、心屋さんをとことん研究しよう思わせてくれたのは、このブログのおかげです。↓

信者と書いてカモ

ブログ主のたこわささんが、かつての経験を赤裸々に伝えてくれたことで、波動探求家の私のテンションは、スーパーサイヤ人並に引き上げられることになり(笑)

自分が探求し続けている波動やエゴのことと世間の乖離を研究させてもらう題材となったのです。

今から書くことは、信者と書いてカモに書いてあった要約です。できれば、要約ではなくきちんとした文章を引用させて頂きたかったのですが、いつも通り(笑)この界隈と向き合うとどうも興奮してしまう自分がいて、頑張ったのですがどうにもこうにも該当する文章が今は探せません(・_・;)

気になる方は、上記ブログを見てください。そして……私が違うことを言ってたら、どうかご指摘願います。。。。

私が信者と書いてカモを読んで「やっぱり~」と思った心屋ロジックとエゴの結びつきは以下の通りです。

 

まずは、エゴの性質から確認しましょう。

 

エゴは、矛盾が好物です。(細かく説明すると延々と長くなるだけなので、後から追加する記事の方で、その理由が分かる過去記事を載せておきます。)

そしてエゴはエゴが作り出す矛盾に気がつかれ、魂が本当の自分自身と向き合うことを恐れています。

なぜなら、その行為こそがエゴを消滅させることになるのですから。(後に作るブログ記事で、それはエゴの妄想であるということを記述した記事を載せます。)

つまりエゴとは、

極力自分が自分自身と向き合えないように、様々な矛盾を作り出し、そして現実と向き合えないような環境を作り上げるもの

なのです。

 

 

たこわささんのブログを読んで感じた、当てはまる心屋さんのロジック(私なりの超訳)を羅列してみましょう。

◆自分と向き合っちゃいけない

◆自分と向き合わず今の自分をそのまま受け入れろ

◆今の自分のままで、幸せになれる(これはある種正解ですが、心屋さんの読者層は必ず心に問題がある状態で彼の元を訪れるはずなので、この状態でこれをしたら深みにはまります。)

◆今の自分を否定する方が悪い。あなたは思考を外して、俺に洗脳されろ

◆なんなら俺に依存しろ

◆そして、俺の言ってる話を聞いているうちに幸せになる

 

これを鵜呑みにして、エゴの肥大化が防げる人がいるのならば、会ってみたいものです。

人は必ず定期的に風邪をひいてしまうように、いつもいつも健康体でいられるわけではありません。

心も同じように、いつもいつも調子がよいわけではありません。

そんな否が応でも、誰しも必ず訪れる心が病んでいる隙間に彼の言葉はそっと囁き、それが間違いでないような構造で世の中に受け入れられています。

これは、本当にとっても危険なことです。

スピ界はいろいろあって、ほとんどの人は落ちるべくして落ちた穴に嵌まったとしか思えないことばかりだったのですが、心屋さんの界隈においては、落ちるべくして落ちたのではなく、誰もがはまってしまう落とし穴だからこそ質が悪いのです。

だからこそ、私は悲しくて仕方が無いし、だからこそ、この落とし穴の穴を埋めたいんです!

 

編集者は、その道の専門家ではありません。

私が心屋さんを批判すればするほど、この記事を読んでくださる皆さんは、「心屋の本を出した出版社が悪いんだよ!」っていう定義に行きがちです。

しかし、それは間違いで、そこに責任を押しつけても何の一つの解決には至りません。

 

前回の報告書のどこかに書いてあるはずなのですが、資本主義社会というのは、良い物が良い物ではなく、売れた物が良い物なのですね。

前回の報告書のどこかに書いてあるはずなのですが、そろそろ記事を探すのが面倒なので、リンクするのやめます。

心屋さんの本は、2011年の東日本大震災を受けて心の傷ついた日本人に嵌まってしまいました。それによってメッチャ売れるようになりました。嵌まれば抜けにくい構造性があるからこそ、出せば出すほど売れるのは言わずもがなでしょう。

そして、売れるのだから、出版社も力を入れます。そしてまたも売れるのだから、この現象に誰もが肯定的な解釈を上乗せしていくのです。

私は、心屋さんの本を見て本当に驚いたのは、編集者たちが良い本を作ろうとしている努力があったことです。

悪気があってしていることに、あの労力はつぎ込めないんです。

売れているし、読者からは感謝の声が届いてしまうし、だからこそ、心屋の言っていることは正解だと思う環境が否が応でも出版界の中に生まれてしまったのでしょう。

私は、心屋さんがブレイクしたタイミングと同時に啓示を受けて、心の問題に立ち向う覚悟をして歩んでいたからこそ全くそこに興味喚起が生まれずに、そして陥ることもなくここまできましたが、もしも心屋さんのブレイクが後1年早かったら、私はどうだったのだろうと思ってしまいます。

あの頃の私は、社会人人生で最も難解なストレスを感じていて、苦しくて苦しくて仕方がない時期でした。どうやってこの問題を解決したらいいのか分からない状況が起きていました。ぶっちゃけ、世の中で言う「問題社員」という人をスタッフに抱えることとなり……というか、その……世の中的には問題社員と呼ばれるカテゴリーに属しておかしくない人たちによって、会社の一部が乗っ取りにあっており、ごくごく会社として当たり前のことを言ったり、資本主義社会として当たり前のことを言ったつもりだけのことが、全て私が罵られることとなり、さらにユニオンに提訴するだの、労災保険を使うだの、パワハラで訴えるだの……、私からしてみれば常軌を逸した日常に埋め尽くされていたのでした。

今思えばもちろん私にも問題があります。今のように相手の立場とかを考えてあげられる思いやりには溢れていませんでした。ごくごく当たり前のことが分からない人たちに、自分の当たり前の伝え、それに従わせることが私の役目だと思っていたのです。

だからこそ軋轢が起きたのですが、当時の私はなぜ私が責められなければいけないのかさっぱり分からなかったのです。ここでは詳細は差し控えますが、本当に会社という組織に属してたら、まさかそんなことがトラブルの引き金になるとは想定しないようなネタによって、こじれるんです。当時私も本気で驚き、頭がおかしくなりそうだから、友達にそのことは散々話しました。友達はみんな普通の常識を持ち合わせているので、誰もが「あんたの会社大丈夫?」と、その人たちの存在よりも、その人たちを生息させる領域がある自分の会社に問題があると責められました。

もちろん私が働いていた会社も普通の常識は持ち合わせています。だからこそ、なんやかんやでもう30年近く潰れずにいて、なんやかんやで輝きを持って存続をしているんです。だけれどもどうしてか、ちょっと目を離した隙にというか……そんなこと起こるはずもないと思って任せていた部署の中でそんな事が起こってしまい、私がその部署の立て直しにあてがわれてしまったのです。

辛いとかそいう次元じゃなくて、そんな人たちと毎日日々を過ごしていると、自分の心が病んでいき、そして自分の方が間違っているんじゃないかと思ってしまうのですよ。

当時の私は、今の私と違って、たいした心の知識など持ち合わせていません。

そんなタイミングで心屋の本にたまたま私が出会っていたのなら、どんな事が起こっていたのでしょう。

想像するだけで、本当に怖いです。

それがメキメキと分かるくらい、彼のメソッドはエゴを拡大させる必要事項が上手いこと羅列しています。

でも、それが分かるのは、きちんと心に興味を持っている人だけなんですね。

出版社の編集者は心に興味はあっても、心の専門家はいないと言っていいでしょう。

だから、専門家の人に本を書いてもらうのです。

そして、その本の著者の主張を精一杯分かりやすくして本を出版するのです。

そしてその善し悪しは、売上や読者カードで評価されるのです。

売上や読者カード(今時はamazonの書評)の反応が良ければ、どう見ても良い本と言われるステージに上がることができてしまいます。

だからこそ、出版社も編集者も責めれません。

中には心屋さんの事がおかしいと思う編集者もいることでしょう。でも一時代を築き上げてしまった人を怒らせるようなことは、絶対に出版社や編集者の立場からは言えません。

売れているのならなおさら、資本主義社会の大前提である銭を稼ぐ道義のために、なんとか本を作ることに専念してしまいます。

これは良いとか悪いではなく、私たちが置かれている資本主義社会の中であれば、当たり前の行為です。

 

結局、心屋さんの本は、資本主義社会の盲点をことごとく上手くついていて、誰も悪者にすることはできないのにも関わらず、世の中に害悪を垂れ流し続ける存在なのです。

 

長くなりました。

本当はもっと書きたいことがあるのですが、今日はもう疲れてしまって、これ以上書けないので、記事を分けますね。

 

追記

とりあえずここまで読んだら波動浄化はしておきましょう。

写真をクリックすると綺麗な波動の世界に行けます。

 

合わせて読んで頂きたい記事

【再調査②】心屋仁之助とロスジェネ世代の闇

 

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